【画像】相川七瀬は若い頃かわいい!旦那はタクロー?現在は大学進学?

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誰もが1度は聴いたことがある「夢見る少女じゃいられない」でデビューし、現在も積極的にライブを開催するなど歌手として活躍を続けている相川七瀬さん。

数々のミリオンセラーを達成し、今では3人のお子さんを持つママアーティスト。45歳で大学に入るなど常に努力続けてきました。

今回はそんな相川七瀬さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

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目次

【画像】相川七瀬は若い頃かわいい!

10代・20代(1985年~2005年)

引用元:Instagram

相川七瀬さんは1995年(当時20歳)の時、シングル「夢見る少女じゃいられない」で歌手デビューしました。上の画像は「夢見る少女じゃいられない」のジャケット写真です。相川さんは幼少期から歌が好きで、中学生の時から歌手になりたいという夢を持っていたそうですが、

「中学の3年間、歌手になるために挑戦してもいいけど、それでダメだったら諦めなさい」

そう母親から言われ、中学3年生の時に応募した、CBS・ソニーグループ主催のオーディションが最後の挑戦となりました。そのオーディションで、のちに相川七瀬さんの生みの親となるプロデューサー・織田哲郎さんと出会います。

オーディション結果は不合格となりますが、その1年後、歌手になることをすっかり諦めていた相川さんに織田さんから「新プロジェクトでシンガーを探している」と連絡が来たのだとか。

相川さんは母親との約束を固く守り、諦める決心をしてから1年経っていたこともあって、最初は断ったそうです。ですが、さらにその1年後、通っていた高校を学校生活に馴染めず中退したことをきっかけに、再度織田さんに連絡を取り、デビューが決まりました。

相川さんは織田さんのプロデュースする曲について、

作って下さった曲の世界の主人公は、すべて私なんです。だから、格好つけたり、演じたりする必要がなくて、ありのままの自分を出すだけでよかった。」

とお話しされており、デビュー曲となった「夢見る少女じゃいられない」は織田哲郎さんプロデュースで、「ダークで前向きじゃないロック」を前面に打ち出した曲で、今もバンドロックの定番曲となっています。

引用元:Instagram

翌年1996年7月(当時21歳)には、1stアルバム「Red」を発売しました。デビュー曲から勢いそのままに1stアルバム「Red」はオリコンアルバムチャート初登場1位を獲得し、270万枚以上の記録的セールスを達成しました。

上の画像は「Red」のポスターの写真です。

同年10月に発売した5枚目となるシングル「恋心」は、ミリオンセラーとなり、相川七瀬さん最大のヒット曲となりました。年末には第47回NHK紅白歌合戦にも初出場を果たし、デビュー曲「夢見る少女じゃいられない」を披露しました。

しかし、デビューから充実した時間を過ごす中で、仕事がうまくいかなくなったら周囲の人がいなくなるのではないか、という不安もあったそうで、

「このまま誰かがいないと行動できない自分になるのは危ない。このままでは私はひとりで生きていけなくなる。」

1998年(当時23歳)に仕事を一旦お休みして、ドイツで1人旅をしたそうです。”全て自分で”を経験したことが自信となり、帰国後も様々なことに挑戦する勇気が持てたのだとか。

引用元:AIKAWA NANASE OFFICIAL WEBSITE

上の画像は2001年(当時26歳)に発売された「The Last Quarter」のジャケット写真です。今までのハードな印象のCDジャケットとは違い可愛らしいジャケットですよね!

「The Last Quarter」は相川さん初のバラードミニアルバムです。

2001年は相川さんにとって、結婚と初めての出産を経験された年でした。妊娠中から出産直前まで「The Last Quarter」の制作を続け、様々なジャンルで活躍するアーティストとコラボしました。

これまでわりと特定の相手とコラボレートすることが多かった相川七瀬さんが、このアルバムではプライベートでも親交の深いアーティスト達へ楽曲を依頼したことでも有名な作品です!

SMAP「夜空ノムコウ」など多くのアーティストへ楽曲提供をするシンガーソングライター・川村結花さん

元JUDY AND MARYのベーシストで、音楽プロデューサーもつとめる恩田快人さん

松任谷由美さん、竹内まりやさんに次ぐ逸材と言われ、歌手・シンガーソングライター・ラジオDJなど幅広く活動されている古内東子さん

など、楽曲提供者によって全く違う曲調で、いろんな相川さんの歌声や表情が楽しめるアルバムです。

ちなみに、相川さんがご結婚されたこともあり、コラボアーティストの川村結花さん、古内東子さんからの楽曲提供は入籍祝いの意味もあったそうで、その楽曲に相川さんが歌詞をのせた曲も収録されています。

引用元:紀伊国屋書店

2002年(当時27歳)には小学館より2冊の絵本を出版しました。上の画像は1作目「ぼくはくじら」と2作目「くじらサンタ」です。ストーリーと文を相川さん、絵はなかざわあきらさんが担当しています。

1作目「ぼくはくじら」はロックシンガーとして活躍されてきた相川さんが結婚・出産を経験して今感じること、母としてのメッセージを自らの文字で綴った愛溢れる作品です。

2作目「くじらサンタ」は「世界中の子供達に贈る最高にファンタジックなクリスマスプレゼント」がテーマで、前作に引き続き、相川さん自身の文字で綴られ、世界中の子供達に向けたメッセージが込められた作品となっています。

「歌詞では伝えきれない想いを、絵本という新しい世界で思う存分、表現してみたいーー。」

そんな想いから絵本制作に挑戦されたのだそうです。出産を経て母となり心境の変化が大きかったようで、伝えたいことの幅が広がっていったようですね。

ギモンくん

相川七瀬さんは他にも本を出版されているのかな?

カイケツさん

写真集「RED」をはじめ、カラーセラピストとして監修した「色の魔法」、構想から執筆まで10年を費やした小説「ダリア」など今までに10冊以上の本を出版されているよ!

30代(2005年~2015年)

相川七瀬さん
引用元:AIKAWA NANASE OFFICIAL WEBSITE

上の画像は2005年7月7日(当時30歳)にSHIBUYA-AXで開催したライブ映像を収録したDVDのジャケットです。

相川さんは自身の名前にちなんで、毎年7月7日を「七瀬の日」として7時からライブを開催しています。

ドラムに元LUNA SEAの真矢さん、ベースにDEAD ENDのCRAZY COOL JOEさん、ギターに元MEGADETHのMARTY FRIEDMANさん、X JAPANのPATAさん、キーボードにhide with spredbeaverのD.I.Eさんなど豪華なサポートメンバーを迎えて、デビュー曲「夢見る少女じゃいられない」を含め数々のヒット曲が披露されました。

会場のファンから「10周年おめでとう」という声が上がると、「一つのことが10年続いたのは初めて。自分をほめてあげたい」と喜んでいたそうです。

また、七夕開催なこともあり、ライブ会場には笹の葉が飾られ、ファンが短冊に願いを込めて飾る姿も毎年恒例となっているのだとか。

毎年豪華なサポートメンバーやゲストを迎えて、パワーアップする「七瀬の日」は、カバーソングや未発表の新曲が披露されたりバラエティに富んだセットリストで、毎回会場を盛り上げているのだそうです。

引用元:YouTube

相川さんは2011年8月(当時36歳)から2012年3月(当時37歳)までニコニコ生放送で配信されていた「西川貴教のイエノミ!!」初代アシスタント(隣のお姉さん役)として出演していました。

上の映像は相川さんが初出演した第2夜で、ラッパー、シンガーソングライターとして活躍するSEAMOさんがゲストの回のものです。終始笑顔でお話を聞かれていて、相川さんの人の良さが出ていますよね!

相川七瀬さん
引用元:音楽ナタリー

2014年には3周年を迎えた「西川貴教のイエノミ!!」の生配信に遠藤舞さん、吉村由美さん(PUFFY)とともにゲスト出演し、会場を盛り上げました。

MCを務めるT.M.Revolutionの西川貴教さんとは昔からの友人でプライベートでも仲が良く、「アシスタントだけらこそ知っている西川の秘密」というテーマに対して、

「私がしゃべるとニュースになっちゃうから、あえてここはしゃべらんときましょか(笑)」と冗談を言うなど、まるで漫才のような掛け合いもあったそうです。

こういったバラエティ番組では、歌っている時やインタビューの時とはまた違う雰囲気の相川さんが見られるのも魅力的ですね!

仲良しの西川貴教さんの若い頃がイケメンと話題です!妻や筋肉美なども気になる方は以下の記事もチェックしてくださいね♪

引用元:音楽ナタリー

2013年(当時38歳)の誕生日には、ソロとして4年ぶりのアルバム「今事記」を発売しました。上の画像はアルバム「今事記」のジャケット写真です。3度も出産されているとは思えない美しさですよね!

「古事記」をもじった「今事記」というタイトルは、「今、自分のこころにある事を記していきたい」という想いから命名されたそうで、これまでの相川七瀬さんのイメージを大きく変える、柔らかく暖かい言葉の詰まった1枚となっています。

本アルバムを制作するきっかけとなったのは、2011年の東日本大震災だったそうです。

「自分が作ってきた今までの曲は観ている人を盛り上げることはできたとしても、そういう大変な状況に置かれた人たちに寄り添うことはできないんじゃないかなって思ってしまったんです。」

被災地の訪問やチャリティライブをする中で、そういった気持ちの変化があり、自然と柔らかいサウンドの曲を制作されるようになったそう。自分の気持ちを素直に表現した結果「ことのは」や「ヒカリノミ」といった、これまでの相川七瀬像を覆すような楽曲が誕生したのですね。

また、この頃から日本文化や伝統にも興味を持ち、和テイストな部分も増えていったといいます。

ギモンくん

アルバム収録曲で1番最初に制作された「ことのは」はどうやって生まれたのかな?

カイケツさん

歌詞のほとんどがひらがなで書かれた「ことのは」は、相川さんの夢の中に流れてきた歌詞を書き留めたものなんだって。
インタビューでも「今までの自分が書いたことのないタイプの言葉遣いだったんで、サッと起きてメモしておいたんです。」とお話しされていたよ!

40代以上(2015年~)

引用元:YouTube

2015年(当時40歳)には20代後半から度々訪れていた茨城県・鹿島神宮との縁もあって鹿島市の観光大使「かしま大使」に就任しました。

上の映像は、鹿島市の新年賀詞交歓会で「かしま大使」委嘱状が交付された時のものです。普段はカジュアルな服装が多い相川さんですが、和装もお似合いですよね!

「鹿島に行くことが多いため自然と地域の皆様との交流が深まりこのようなお役目をもらえてとても嬉しいです」

幼少期から神社との繋がりが強く、大人になって改めて春日大社を訪れたことをきっかけに、神社への興味が加速し「古事記」なども読むようになったそうです。それから鹿島神宮をはじめ、神社巡りを始めたのだとか。

「20代後半くらいから、日本にはこんなにすごくいいものがあるのに、今までの私は海外ばかり見ていたなという思いがありました。それで神社を巡りはじめたということが一つの根底にあります。」

と「まほろば」第60号でお話しされていた相川さん。

そんな相川さんのオフィシャルブログ「ヒカリノミ」には、鹿嶋のことというテーマで60以上の記事が投稿されています。”伝統を繋いでゆく”という強い思いから、今後も自分をメディアとして情報発信を続けていきたいそうです。

相川七瀬さん
引用元:スポーツ報知

上の画像は2019年5月(当時44歳)に自身初となる始球式に臨んだ時のものです。緊張しそうな場面ですが、楽しそうな笑顔が印象的ですよね!

相川さんが始球式に登場されたのは「BLUE⭐︎LIGHT SERIES 2019 Supported by nojima」で、ご自身もファンである横浜DeNAベイスターズ対ドラゴンズ戦でした。

かなり投球練習をしたそうなのですが、実際にマウンドに立つといつもの練習場所との違いを感じてワンバウンドでの投球となりました。

ご自身の投球について聞かれると、「投球がななめにいってしまったので、点数をつけると35点くらいですね」と厳しめの自己評価をされており、「次もしも機会があったら真ん中に投げたいです」とお話しされていました。

また、ライブとどちらが緊張しますか?という質問に対しては、

「始球式の方が緊張しますね。歌を歌う方が私にとっては簡単ですね。」と答えられていました。

ロックモンスター
引用元:YouTube音楽ナタリー

2023年(当時48歳)のデビュー日となる11月8日には、相川七瀬さんご自身がセレクトした歌い継ぎたい曲を詰め込んだカバーアルバム「ROCK MONSTER」が発売されました。

サディスティック・ミカ・バンドの「タイムマシンにおねがい」や黒うさPの「千本桜」、Official髭男dismの「Cry Baby」など90年代のバンド楽曲からボカロまで多様なジャンルの楽曲が収録されています。

上の画像が、ROCK MONSTERに収録されている「POISON」を歌唱している際のシーンの一部です。48歳とは思えない肌艶でいつまでもお若いですよね。

引用元:Instagram

同日(2023年11月8日)には、デビュー28周年記念とカバーアルバム「ROCK MONSTER」リリース記念を兼ねたアニバーサリーライブ「LIVE ROCK MONSTER 〜デビュー&アルバムダブル記念ライブ〜」が開催されました。

上の画像はライブ中に撮影された写真を翌日ご本人がInstagramに投稿されたものです。相川さんのスタイルの良さが際立つロックな衣装が素敵ですよね!

ライブ前半では、X JAPANやLUNA SEAなどのカバー曲、後半では相川さんの生みの親・織田哲郎さんが提供したヒット曲、相川さんご自身のヒット曲なども披露され、アルバムの完全再現がされました。

このライブのアンコールには相川さんの息子・RIOさんがドラマーとしてサプライズ登場し親子共演するなど、盛りだくさんのライブだったようです。

ライブの最後には、「歌を歌うこと、音楽を作ることは本当に楽しい」

「デビュー当時と変わらず、それ以上の熱量で音楽に向き合っている」と熱く語って、28年前にリリースされたデビュー曲「夢見る少女じゃいられない」でライブを締めくくられました。

ギモンくん

相川七瀬さんは息子・RIOさんのドラム演奏をどう思っているのかな?

カイケツさん

相川さんは、RIOさんが13歳当時の演奏について「良くなってきた」「体が大きくなってきたのでパワーが出てきた。ビートが重くなってきた」と話していたよ。2023年のライブ当時は16歳。さらに上達したドラムが披露されたようね!

相川七瀬さんが所属する”ファウンテン”には他に誰が所属してる?

織田哲郎さん
田原俊彦さん
亜蘭知子さん
引用元:上:J-BRAVE、中:J-BRAVE、下:J-BRAVE

相川七瀬さんの所属するファウンテンには、相川さん以外の所属が確認できませんでしたが、マネジメントで業務提携している株式会社J-BRAVEには織田哲郎さん田原俊彦さん亜蘭知子さんなどが所属しています。

【画像】相川七瀬の旦那はタクロー?現在は大学進学?

相川七瀬の旦那はタクロー?

引用元:モデルプレス
引用元:GLAY

相川七瀬さんは2001年2月16日のご自身の誕生日に一般男性と結婚されました。授かり婚だったそうで同年9月に第1子を出産し、現在は3人の子ども(長男:キオくん、次男:リオくん、長女:名前非公開)に恵まれています。旦那さんとの馴れ初めや出会いについては明らかになっていません

相川七瀬さんと言えば、1995年に夢見る少女じゃいられないでデビューし、大ブレイク。36万枚の売上を達成し、世間から一気に注目されることになりましたが、2000年頃には人気が低迷してしまったようです。しかし、そんな人気低迷期を支えたのが現在の旦那さんだと言われています。相川七瀬さんは以前、インタビューで旦那さんのことを「駆け込み寺」と表現されており、それくらい旦那さんのことを信頼しているのがわかりますね。

また、「GLAYのタクローさんが夫」という噂があったようですが、実際には一般男性と結婚している為ただの噂だったようです。タクローさんが昔付き合っていた彼女が相川七瀬さんに似ていたことから、「タクローさんが夫?」という噂が広まった可能性がありますが、タクローさんは2004年にモデルの岩堀せりさんと結婚し子どもも2人授かっています。

ギモンくん

相川七瀬さんのお子さんは長男、次男の名前がわかっているけど
顔出しもしてるのかな?

引用元:Instagram
カイケツさん

長男、次男は相川七瀬さんのInstagramやブログにも度々登場しているよ!仲良し親子だよね♡

相川七瀬は現在大学進学?

引用元:Instagram
引用元:Instagram

相川七瀬さんは、デビュー25周年を迎えた2020年4月に、國學院大學神道文化学部へ入学されました。

相川七瀬さんは高校2年生の時に高校を中退しており、中退後に大学入学資格検定を取って大学を卒業した先輩たちがたくさんいたのを間近で見て、自分もやっぱりあきらめきれないと思っていたところ、2016年留学していた長男が日本の高卒認定を取得することとなり、自分も40歳でまず高卒認定を取るところからスタートしたそうです。同時に、國學院大學の科目履修生となり、2018年43歳で約2年の猛勉強の末に高卒認定試験に合格しました。

そして、一つずつ成功体験を積みながら2020年に大学に合格しましたが、入学してすぐに緊急事態宣言が発令され、全てオンライン授業になったそうです。思い描いていた大学生活の始まりではなかったけれども、『大学の課題に追い立てられ、バタバタと日が過ぎていって精神的にも崩れませんでした。結果的に最初の2年間、仕事と勉強を両立できて有意義な時間になりました。振り返れば本当にタイミングがよかったです。』とインタビューで語られています。

その後、2024年3月に卒業し、同年4月に國學院大學大学院文学研究科伝承文学専攻に進学されました。

ギモンくん

相川七瀬さんは、なぜ國學院大學神道文化学部へ入学しようと思ったのかな?

カイケツさん

実家が神社の氏子で、小さい頃から神社やお祭りが大好きで(中略)民俗学的なことにもすごく興味があったんだって!また、祭りを通じ「地域活性に携りたい」思いから以前から科目履修生として通学していた國學院大學神道文化学部を改めて受験したそうだよ!

氏子ってなに?
氏子とは、同じ氏神を信仰する人たちのこと。氏子は氏神を祀っている神社(氏神神社)のお祭りの手伝いや寄付をすることがある。

相川七瀬さんがデビューした1995年はこんな年だった!

引用元:上:神戸新聞NEXT、中:NHK時事記者note、下:週刊ベースボールONLINE

相川七瀬さんがデビューした1995年は、「阪神・淡路大震災」、「地下鉄サリン事件」、「野茂英雄メジャーリーグで新人王獲得」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は、「がんばろうKOBE」でオリックス監督 仰木彬さんが受賞しました。

相川七瀬のプロフィール・SNS

引用元:相川七瀬オフィシャルウェブサイト

プロフィール

  • 名前:相川七瀬(あいかわななせ)
  • 本名: 佐伯 美咲(さえき みさ)※婚姻前
  • 生年月日:1975年2月16日
  • 年齢:49歳(2024年8月現在)
  • 出身地:大阪府
  • 血液型:AB型
  • 趣味:神社、お祭り訪問
  • 好きな球団:横浜ベイスターズ
  • 所属事務所:ファウンテン

SNS

ギモンくん

相川七瀬さんは、横浜ベイスターズが大好きみたいだけど、好きになったきっかけって何なのかな?

カイケツさん

次男のリオくんが小学生の時にファンになったのがきっかけみたいだね!2023年には、『BLUE☆LIGHT LIVE』でリオくんとの親子共演を果たしているんだよ!デビュー当時から「相川七瀬といえば赤」だったのに、最近では「青」がイメージカラーになってきているそうだよ!

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