【画像】由紀さおりは若い頃美人!結婚歴と離婚理由は?現在も安田祥子と活動してる?

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歌手、タレント、女優、ナレーターなど多岐に渡り活躍を続けている由紀さおりさん。

1969年に現在の芸名で「夜明けのスキャット」で再デビューした楽曲は150万枚の大ヒットを達成しました。

今回は由紀さおりさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

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目次

【画像】由紀さおりは若い頃美人!

幼少期~10代(〜1966年)

由紀さおりさん
引用元:Discogs

由紀さおりさんは、小学校一年生のときから姉・安田祥子さんとともに童謡歌手として活躍していました。

1965年(当時18歳)に本名である安田章子で「ヒッチハイク娘」にて歌謡曲の歌手としてデビューしました。しかし、停滞時期だったのか、中々芽は出なかったそうで、銀座のキャバレーや赤坂のダンスホールなどでの出演を行いながら自分を磨いてきました。

上の画像は1965年に発売された本名名義の安田章子としてデビューしたヒッチハイク娘のジャケット写真です。笑顔が素敵でつい聴いてみたくなるような元気なジャケット写真ですね!

由紀さおりさん
引用元:介護ポストセブン

童謡歌手を卒業したあとは修業として姉・安田祥子さんとCMソングを一緒に歌っていたそうですが、その頃は意外なことにも喧嘩ばかりしていたそうです。お姉様は“私はそういう歌は歌えません”とはっきり言うタイプで、由紀さおりさんは“歌ってみて、良いか悪いかの判断は先方に任せましょう”というタイプで、正反対の性格だったそうです。

上の画像は小学生時代の由紀さおりさん(左)です。おかっぱ頭で小さいお子さん特有のとても愛らしい姿ですよね!

ギモンくん

由紀さおりさんは何がきっかけで童謡歌手として歌うようになったのかな?

カイケツさん

お姉さんの安田祥子さんが児童合唱団に入られたことをきっかけに、お母様がお姉さんを送り迎えするのに由紀さんを一人で留守番させるわけもいかず、連れて行っていたことがきっかけで合唱団に入ることになり、才能を認められて童謡歌手として活動するようになったみたい!

20代(1966年~1976年)

由紀さおりさん
由紀さおりさん
引用元:ナタリーユーキャン

由紀さおりに改名後の1969年(当時22歳)の時に再デビュー作となった「夜明けのスキャット」が発売されました。元々は深夜のラジオ番組のオープニングテーマとして制作され、レコード化の予定はなかったそうですが、リスナーからの問い合わせが殺到し、リリースが企画されました。

大ヒットとなった夜明けのスキャットは、150万枚のミリオンセラーを達成し、同年末には「第20回NHK紅白歌合戦」で初出場を果たしました。

翌年の1970年(当時23歳)には、シングル「手紙」も6週連続1位、年間6位となる大ヒットになり、第12回日本レコード大賞の歌唱賞を受賞しました。売上枚数は約70万枚でした。

上の画像は夜明けのスキャットのジャケット写真です。また上の2つ目の画像は20代で紅白歌合戦などに出場したNHKのアーカイブスDVDのメインビジュアルです。若い頃もとても美しいですね

由紀さおりさん
引用元:Discogs

1973年(当時26歳)には「恋文」で第15回日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞しました。

恋文の一番最初の歌詞に出てくる「アズナヴール」とは、フランス・パリ出身のシンガーソングライター、シャルル・アズナヴールさんのことだそうです。

上の画像は1973年8月(24歳)の時に発売された恋文のジャケット写真です。クールな表情で、横顔が美しいですね!

ギモンくん

由紀さおりさんは夜明けのスキャットがこんなに大ヒットなるとは想定していたのかな?

カイケツさん

ヒット曲歌手はあきらめていたみたいよ!夜明けのスキャットは元々は深夜ラジオのテーマ曲として歌われていたみたいなんだけど、ラジオで流れたら、誰が歌っているのかという問い合わせのハガキが、1週間で段ボール2箱分ぐらい届いたそうよ!日常が大きく変わった瞬間だね!

30代(1976年~1986年)

由紀さおりさん
由紀さおりさん
引用元:Amazonsnowrecord
引用元:YouTube

由紀さおりさんは、30代に入っても持ち前の美声を武器に、次々とレコードを発売し、当時最大のメディア媒体であったテレビを通じて、多くのファンを獲得していきました。

1977年(当時30歳)の時には、宇崎竜童さんが作曲したシングルA面「う・ふ・ふ」を発売します。上の最初の画像が発売当時のジャケット画像です。当時流行したヘアスタイルを押し出し、遠くを見つめる姿勢が情緒感を演出していますね。

また1978年(当時31歳)の時には、シングルA面「ガラスの日々」を発売しました。ちょうど由紀さおりさん名義での発売30曲目の作品としても注目を集めました。上の画像がその時のものです。また上の動画、ガラスの日々の映像となります。とても懐かしくなるメロディーで、時代感を反映している名曲と言えるでしょう。

由紀さおりさん
引用元:安田音楽事務所

1982年10月(当時35歳)には由紀さおりさんのコンサートに、姉・安田祥子さんをゲストに迎えたNHKホールで「サイドバイサイドコンサート」が行われました。セットリストは13曲。この公演での共演がきっかけで、姉妹の活動がはじまることになりました。

上の画像は、サイドバイサイド コンサートのライブ音源のCDのジャケット写真です。お二人とも素敵な表情で、姉妹の仲の良さが伺える一枚ですよね!

由紀さおりさん
引用元:カルチャーステーション映画.com

1980年代には、司会者・女優・タレントなど歌手以外の才能が開花し、1982年には、テレビにおけるバラエティ番組「おもしろサンデー」に桂文珍さんとともに、司会者として約10年間のお役目を果たしました。番組内に歌のコーナーがありましたが、新曲発売時の時に、司会者でもある由紀さおりさんが歌うこともあったそうです!

また俳優としての活動では、1983年(当時36歳)に松田優作主演のドラマ「家族ゲーム」でお惚けな母親役を演じ、第7回日本アカデミー賞で、優秀助演女優賞を受賞しました。役柄は、松田さん演じる家庭教師と宮川一朗太さん演じる受験生・沼田茂之の母親役で、沼田家を取り巻く騒動の中心人物として奮闘しました!

ギモンくん

歌手として第一線を走りぬいてきた由紀さおりさんだけれども、挫折するようなことはあったのかな?

カイケツさん

30代に突入してからヒット曲に恵まれず、10年連続で出場していた紅白歌合戦も11年目で落選してしまったそうよ。この先のことを悩んでいたときに、ふと、自分でNHKのホールを借りて、オーケストラを招いて、15周年のコンサートをやろうと思い立ち、実現に向け、資金調達のために、地道にキャバレーで歌い続けたみたい!

40代以上(1986年~)

由紀さおりさん
引用元:NHK

1987年4月6日~10月3日(当時40歳)に放送のNHKの連続テレビ小説 チョッちゃんでは 主人公・蝶子の母でクリスチャンでもある北山みさ役を演じました。

『チョッちゃん』は、黒柳徹子さんの母である、黒柳朝(ちょう)さん(1910~2006)の自伝エッセイ「チョッちゃんが行くわよ」が原作のドラマです。

黒柳徹子さんは、由紀さおりさんが合唱団に所属して童謡歌手としてNHKに通っていた頃から知っていたそうです。上の画像はチョッちゃんに出演した際ものです。とても役柄に馴染んだ表情をしておりますね!

由紀さおりさん
引用元:ビルボードジャパン

40代以降も活躍を続け、1992年12月(当時46歳)の第43回紅白歌合戦では紅組のトリを務めます。

また、姉の安田祥子さんと1997年12月(51歳)の第48回NHK紅白歌合戦において歌った「トルコ行進曲」は一躍全国に知れ渡り、代表曲として知られています。由紀さおり改名して40周年となった2009年には、オリジナルアルバム『いきる』を発売しました。

2012年末(当時66歳)の第63回紅白歌合戦では、米国から生中継で登場し、ピンク・マルティーニさんとの共演で「夜明けのスキャット」を披露し、お茶の間をざわつかせました。

その理由は、歌謡曲シンガーとして紅白出場が出演が34年ぶりになり、さらに「夜明けのスキャット」を紅白で歌うのが43年ぶりとなったからです。往年のファンにはたまらない瞬間だったでしょう。

上の画像は2016年にリリースされたアジアの歌姫 テレサ・テンさんのカヴァーアルバム「あなたと共に生きてゆく ~由紀さおり テレサ・テンを歌う~」のジャケット写真です。テレサ・テンさんの曲をカバーすることになったのは、レコード会社からのお声掛けに加え、昔からテレサ・テンさんの楽曲を歌いたいと思っていたことでした。

タイミングがあってのカバーアルバムの発売、とても名曲揃いで素晴らしい歌声でした!青の衣装がとても素敵でお似合いですね!

由紀さおりさん
引用元:セイコーグループ

2024年(当時76歳)にはデビュー55週年を迎え同年6月15日に放送のBS-TSBのSound Inn Sに出演し、手紙、生きがい、人生は素晴らしいなどの楽曲を披露しました。

上の画像は2024年6月放送時のSound Inn Sの時のものです。とても煌びやかな衣装ですよね!年齢を感じさせない由紀さおりさんにとてもお似合いですね!そして何より、見た目が若いので、とてもイキイキしているように感じます。

ギモンくん

年齢を重ねてもパワフルな由紀さおりさんだけれども、第一線で歌い続けられる秘訣はどこにあるんだろうね?

カイケツさん

歌とは全身を使って歌うものだと心得て、体も鍛え続けているみたいよ!70代に突入した今も、北海道でも福岡の遠方でも日帰りで平気で、その日に歌って、その日に帰ってくるほどのエネルギッシュな体力なんだって!

由紀さおりさんが所属する”安田音楽事務所”はどんなところ?

引用元:安田音楽事務所

由紀さおりさんは現在、姉の安田祥子さんと安田音楽事務所に所属しています。代表者は由紀さおりさんで、1971年3月に設立されました。

【画像】由紀さおりの結婚歴と離婚理由は?現在も安田祥子と活動してる?

由紀さおりの結婚歴と離婚理由は?

由紀さおりさん
引用元:AWA
由紀さおりさん
引用元:ユニバーサルミュージック
引用元:X

由紀さおりさんは、これまでに2度の結婚と離婚を経験されています。

1回目の結婚はセカンド・アルバム 由紀さおりの美しき世界 が発売された1969年に音楽ディレクターの大森昭男さんとでした。高校時代にプロポーズされ、短大卒業と同時に結婚。大森さんは一回り年上だったそうです。音楽業界では有名な方だったそうです。

その頃は「夜明けのスキャット」、「手紙」もヒットし、由紀さおりさんの多忙なスケジュールにより、物理的な距離が生まれ、次第に心の距離も広がっていったのです。

結婚5年目の頃に、“子供が欲しい”と言われたそうですが、今はまだ仕事を頑張りたかった由紀さおりさんは、“もう少し待って”と言ったそうですが、それが亀裂となり、家を出て行ってしまったそうです。結果として、1983年に離婚という形で幕を閉じることとなりました。

上のXの投稿画像が生前の大森さんです。2018年3月にお亡くなりになりました。

2度目の結婚は、歌・うた・唄Vol.5〜あしたの想い出 が発売された2000年の50代を迎える頃でした。お相手とはご友人の紹介で知り合った、アメリカ在住の日本食レストランのプロデューサーの方でした。

ですが結婚にはお母様が反対していたので、お母様の死後にアメリカで結婚し、一時は生活の拠点をアメリカに移そうとしましたが、結局、元旦那様は日本に定住できないし、由紀さおりさんはお母様が設立した安田音楽事務所を閉じて、全部捨ててアメリカに行くことはできず、やはり歌っていくことを選んだそうです。そうして2006年(60歳)に二度目の離婚をしました。愛は国境を越えられなかったのですね。

ギモンくん

由紀さおりさんにはお子さんはいるのかな?

カイケツさん

元旦那様お二人との間にお子さんはいないみたいだね!離婚後に子宮筋腫と子宮内膜症を併発してしまい、ホルモン治療をしていたけど、声が変わってしまうことと、自分を支えてきてくれたお母様を悲しませたくないという思いから41歳のときに子宮全摘出の手術を受けたみたい!壮絶な人生にも負けず強く生きているのがわかるわね!

由紀さおりは現在も安田祥子と活動してる?

引用元:日比谷音楽祭
引用元:UNIVERSAL MUSIC JAPAN

由紀さおりさんは姉妹で日本の歌をうたい続けて、2024年は38年目に突入しました。親子、孫でもある3世代が安田姉妹のコンサートで全国の客席を埋めるそうです。

小学生時代、お二人はひばり児童合唱団に所属。デビュー当時、姉の安田祥子さんはクラシック界、由紀さおりさんは歌謡界を目指していました。1986年12月に第28回日本レコード大賞企画賞に童謡アルバム「あの時、この歌」が見事受賞を果たしました。

お二人がデュオになるきっかけは、由紀さおりさんが、デビュー15周年を記念して、自らNHKホールを借り、オーケストラを招き、コンサートをやろうと考えたことからでした。当時2時間をひとりで対応することは難しいと感じた由紀さおりさんは、事務所社長であった母親のアドバイスから

お姉ちゃんはオーケストラの演奏で歌うことに長けているし、一緒に出てもらったらどう?

と言う一言でした。姉の安田さんもタイミングよく、引き受けたことからスタートしたデュオです。その後、お二人は1991年~2016年まで、日本のみならず海外でも定期的に公演をし、そして2020年代に入っても積極的な活動展開をしています。

また、2024年11月末には山梨県で童謡コンサート2024も開催し、大盛況のうちに幕を閉じました!今後のさらなる活躍が期待されますね!

ギモンくん

家族として仕事仲間としても長い年月を共に共有している安田姉妹だけれども、二人はずっと仲良しなのかな?

カイケツさん

性格は正反対みたいだけど、仲良しみたい!由紀さおりさんが「紅白歌合戦に出場が決まった」とお姉さんに国際電話をしたときは泣いてしまったそうよ!仲の良さがうかがえるエピソードね!

由紀さおりさんがデビューした1969年はこんな年だった!

アポロ11号月面着陸
サザエさん放送開始
日銀が五百円札を発行
引用元:上:日本経済新聞、中:ライブドアニュース 、下:マイナビ介護職

由紀さおりさんがデビューした1969年は、「アポロ11号月面着陸」、「サザエさん放送開始」、「日銀が五百円札を発行」などの出来事があり、話題となりました。

また、流行語では「アッと驚くタメゴロー」「オー、モーレツ!」「それをいっちゃー、おしまいよ」「断絶の時代」などがありました。

由紀さおりのプロフィール・SNS

由紀さおりさん
引用元:婦人公論

プロフィール

  • 名前:由紀 さおり(ゆき さおり)
  • 本名: 安田 章子
  • 生年月日:1948年11月13日
  • 年齢:76歳(2024年11月現在)
  • 出身地:群馬県
  • 血液型:A型
  • 趣味:陶芸、テニス、カラオケ、ガーデニング
  • 特技:日舞
  • 所属事務所:安田音楽事務所、田辺エージェンシー

SNS

ギモンくん

由紀さおりさんはプライベートではどんな音楽を聴いたりするんだろうね?

カイケツさん

意外なことにラップを聴いているみたい!ののしり合ったりするラップもあるけど、すごく日本語が分かりやすいからお気に入りみたいだね!深夜にラッパー同士がラップ対決するテレビ番組を見ることもあるみたい!

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