演歌歌手として活躍を続けている山川豊さん。日本レコード大賞受賞やNHK紅白歌合戦に出場し数々の名曲を残してきました。
今回は山川豊さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】山川豊は若い頃イケメン!
20代(1978年~1988年)
引用元:snow record
山川豊さんは、三重県鳥羽市の出身で、父は漁師、母は海女という漁業一家に生まれました。4人兄弟姉妹の次男で幼少期は貧しい生活を送っており、高校を卒業後、職業訓練学校を経て、自動車の整備士として地元・三重県鈴鹿市の「鈴鹿サーキット」に就職にしました。
しかし、歌手を目指して名古屋のキャバレーなどでも働き、1978年、20歳の時に名古屋のカラオケ大会で優勝し、レコード会社にスカウトされたのがきっかけで1981年(当時22歳)でデビューを果たしました。
デビューシングルの『函館本線』でいきなりロングヒットを記録し、同年には日本レコード大賞や日本有線大賞新人賞など数々の賞を受賞しました。
上の画像は1981年のデビューシングル「函館本線」のジャケット写真です。整った顔立ちをされていますよね!
引用元:左:Discogs 右:Amazon
引用元:日刊ゲンダイ
山川さんには6歳年上の兄、鳥羽一郎さんがいて、山川さんがデビューした翌年1982年に同じく演歌歌手としてデビューを果たします。もともと山川さんが歌手を目指したきっかけは、兄の鳥羽一郎さんが持っていた五木ひろしさんのレコードだったとのことで、兄弟で良い刺激を与えあっていたのかもしれませんね。
上の画像は1982年の鳥羽一郎さんのデビュー曲「兄弟船」、山川豊さんの2枚目のシングル「放浪ごころ」のジャケット写真です。どことなく似ている雰囲気がありますね!
引用元:NHKアーカイブス
山川さんは1986年(当時28歳)で初めてNHK紅白歌合戦に出場し、「ときめきワルツ」を披露しました。歌い手である以上、NHK紅白歌合戦は誰もが目指し憧れる舞台。出場が決まって真っ先に田舎のお母さまにお知らせしたそうです。
上の画像は1986年にNHK紅白歌合戦に初出場した時のものです。初出場ということもあり、緊張感が伝わる素晴らしいステージでしたね!
山川豊さんは、デビュー当時から大活躍だったんだね!
デビュー作がロングヒットして数々の賞を受賞していたよ!同じ年にデビューした近藤真彦さんらと音楽新人賞争いを繰り広げていたみたいよ!
30代(1988年~1998年)
引用元:book off
華々しいデビューを飾った山川さんですが、NHK紅白歌合戦初出場を果たした後から低迷期が続いていた、と過去のインタビューで語っています。ちょうどその頃は兄の鳥羽一郎さんが波に乗っている時期で、比べられることをも多く、芸能界の厳しさや辛さを経験したそうです。
大変な時期に作曲家の徳久広司さんから「しぐれ川」を提供してもらい、この曲にかけようと大切に歌い続け、地方に足を運び、スナックで歌うなど地道な努力を重ねました。
上の画像は1990年(当時32歳)発売のシングル「しぐれ川」のジャケット写真です。20代のときに比べて、大人の色気がでてきたように感じますね!
引用元:Amazon
苦しい時期を過ごした山川さんですが、地道な努力と『しぐれ川』が良い兆しとなり、1992年(当時34歳)に6年ぶりとなるNHK紅白歌合戦に復帰をします。また、日本レコード大賞で最優秀歌唱賞を受賞しました。
地道な努力の源は、海女さんとしても懸命に働く母親の姿なんだそうです。素敵な親子関係ですね。
上の画像は1992年発売のシングル「夜桜」のジャケット写真です。つらい時期を乗り越え、少しずつ貫禄が出てきたような気さえしてきますね!
引用元:NHKアーカイブス、YouTube
1998年(当時39歳)発売のシングル「アメリカ橋」が大ヒットを記録し、6回目のNHK紅白歌合戦に出場、山川さんは完全に低迷期を乗り越えます。
通算11回紅白歌合戦に出場(2023年現在)していますが、中でも印象深いのは、発売から翌年の1999年に作曲者である平尾昌晃さんと一緒に「アメリカ橋」を歌ったときのことだといいます。
平尾さんは歌謡曲寄りの方のため、「アメリカ橋」の作曲をお願いしたときも、目一杯歌う山川節とはちょっと違った雰囲気で新しいイメージを打ち出したいとお願いしたそうです。
上の画像は1999年のNHK紅白歌合戦に出場し、『アメリカ橋』を歌唱した時のものです。作曲者の平尾さんと歌える喜びを噛みしめているようですよね!
『アメリカ橋』は今までの山川さんの楽曲とは印象を変え、大ヒットを果たしたんだね!
紅白歌合戦に出場だけでなく、日本作詩大賞も受賞しているよ!
40代(1998年~2008年)
引用元:NHKアーカイブス
1999年(当時41歳)にはソロ曲でのNHK紅白歌合戦に出場のほか、兄の鳥羽一郎さんの応援で、鳥羽さんの歌唱中にみこしに乗って登場し、兄弟共演を果たしました。お互いに支え合う関係が素敵ですね。
上の画像は1999年のNHK紅白歌合戦の時のものです。みこし姿も決まっていますね!
引用元:NHKアーカイブス、NEWSポストセブン
2005年のNHK紅白歌合戦は、兄・鳥羽一郎さんの曲「海の匂いのお母さん」をデュエットで出場しました。その際は舞台演出として、かつて母子で共演したVTRが映し出されました。山川さん自身も少しウルウルとしてしまったそうです。
上の画像は2005年のNHK紅白歌合戦で兄の鳥羽一郎さんと出演した時のものです。とても素敵なシーンですね。お母さまもきっと喜んだことでしょう。
ちなみに上の2つ面の画像が、山川豊さん(鳥羽一郎さん)の母親である生前のはる枝さんです。はる枝さんは、2011年79歳にて生涯の幕を閉じました。
山川さんはお兄さんである鳥羽一郎さんの曲を歌うことがあるんだね!
紅白歌合戦で歌唱した「海の匂いのお母さん」のほか、鳥羽さんのデビュー曲「兄弟船」もコンサートでよく歌っているそうよ!
50代以上(2008年~)
引用元:日テレNEWS
山川さんは演歌歌手として第一線で活躍する一方で、バラエティ番組にもたびたび出演し、珍解答で番組を盛り上げました。過去のインタビューでは、「自分はいたってまじめで本気。あの場所に立つとわかる問題もわからなくなってしまう」と答え、わざとではないことを主張していました。
また、2022年には愛知県豊橋市をPRするため「豊川豊」に改名し動画や関連イベントなどに登場、翌年の2023年には豊川市制施行80周年PRアンバサダーに就任し、2年にわたり活動を行いました。
上の画像は2024年11月に愛知県豊橋市で行われたイベントの時のものです。お茶目な服装もお似合いですよね!
引用元:日テレNEWS
様々な活動を精力的に行ってきた山川さんですが、2024年1月、肺がんと診断されたことを公表し、検査と治療に専念するため活動を休止することを発表しました。しかし、同年4月から治療を続けながら歌手活動を再開をしました。
2024年10月には「ステージ4」の肺がんであること、脳や脊髄にも転移していること告白しましたが、兄の鳥羽さんやファンに支えもあり、がんと向き合い治療をしながら、新曲リリースやワンマンステージを行いました。
これからも可能な限りずっと歌い続けたいと語る山川さん。その姿が多くの人を励ますことでしょう。上の画像は2024年10月のワンマンステージの時のものです。癌を患っているとは思えない素敵な姿ですよね!
山川豊さんはの新曲はどんな曲なんだろう?
それは「兄貴」というタイトルでお兄さんへ向けて作った曲だよ!8年前に作っていたようだけど、「闘病中の今だからこそ届けられる歌を歌いたい」という思いからリリースに至ったみたい!
【画像】山川豊と嫁の離婚理由は?現在の病状は?
山川豊と嫁の離婚理由は?
引用元:日刊スポーツ
引用元:スポニチ
山川豊さんが結婚したのは1992年4月、33歳の時です。お相手の奥さんは年下で、兄の鳥羽一郎さんの所属事務所に勤めていた女性だったそう。
それから30年後の2022年8月に離婚したことを発表します。原因は本人の口から直接明かされてはいませんが、関係者の話では
「デビュー40周年の昨年から独立されたのですが、その後の多忙な生活のなかですれ違いが起きてしまい、この夏に離婚となってしまった」
とのことで、独立後の多忙が離婚の原因となったと伝えられています。NEWSポストセブンの取材でも
離婚の理由は、いわゆる不倫や金銭問題ではありません。夫婦で今後について話し合った末の円満離婚で、家族仲については今も良好(中略)
引用元:NEWSポストセブン
ということで豪邸も奥さんに財産分与したようなので、円満離婚であると言えそうですね。
お子さんも2人いたみたいだけど、2024年現在なにしているのかな?
山川豊の息子、隼也クン(21)。かわいい。 pic.twitter.com/NmSLSsXMzO
— ネビュラ アポマンス (@apolonapolon) August 29, 2018
長男(2024年現在27歳前後)は山川豊さんのマネージャーをやっていて、長女の娘さん(2024年現在30歳前後)は、独立して、自分の道を歩んでいるようだね!
山川豊の現在の病状は?
引用元:日刊スポーツ
引用元:毎日新聞
山川豊さんは2023年11月中旬頃に、定期検査で血液検査を受けた結果、がんの疑いが見つかり、翌12月の精密検査で肺がんと診断されたことを2024年1月に公表されました。その後、治療に専念するため活動を休止しましたが、同年4月に活動再開を発表しました。
活動再開後、初のワンマンステージで、兄で歌手鳥羽一郎のことを歌った新曲「兄貴」などアンコール含めなんと15曲を歌唱しました!山川さんは「歌が歌えるまで回復しました。歌っているとがんのことも忘れちゃう」などと笑顔ではなされたそう。
2024年11月現在は毎朝抗がん剤を服用しており状態は落ち着いているようです。
肺がんは食欲が低下しやすいみたいだけど、今の食欲や体調はどうなのかな?
山川さん自身が「45、6歳までは178センチ58キロしかなかったけれど、今は72キロ。食べてますよ、食べる食べる」と食欲は旺盛なことを明かしたみたい!
抗がん剤との相性の良さも関係しているそうよ!
山川豊さんがデビューした1981年はこんな年だった!
引用元:左:ニュース ライブドア、中:毎日新聞、右:タカラトミー
山川豊さんがデビューした1981年は、「ピンクレディー解散」、「マザーテレサ初来日」、「チョロQの大ヒット」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年は、アニメ番組の「Dr.スランプ アラレちゃん」の主人公の口癖で挨拶を表す「んちゃ」が流行りました。
山川豊のプロフィール・SNS
引用元:山川豊official
プロフィール
- 名前:山川 豊(やまかわ ゆたか)
- 本名: 木村 春次(きむら はるじ)
- 生年月日:1958年10月15日
- 年齢:66歳(2024年11月現在)
- 出身地:三重県
- 血液型:B型
- 趣味:歌を歌うこと
- 所属事務所:山川音楽事務所
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/p/DBd_2XMS1tw/
- YouTube URL:https://www.youtube.com/watch?v=DikiuyCrNQ4
- オフィシャルサイト URL:https://www.yutakayamakawa.com/
山川豊さんが歌手になろうと思ったきっかけってなんだったのかな?
当時、山川さんのお兄さんが持っていた五木ひろしさんのレコードを聴いて胸が振るえ歌手に憧れたみたい。高校卒業後は職業訓練学校を経て、自動車の整備士として就職したけど、その後は歌手を目指して名古屋しのキャバレーなどでも働いていたそうよ!
それから1978年、20歳の時に名古屋のカラオケ大会で優勝して、レコード会社にスカウトされてデビューしたみたい!