2019年10月にお亡くなり、88年の生涯を閉じた八千草薫さん。
お亡くなりなってから5年が経過(2024年3月現在)し、名バイプレイヤーとして活躍していた頃が懐かしく感じます。
最後は癌との闘病と辛い思いもされましたが、八千草薫さんの演技はみなさんの心の中で生き続けていくのでしょう。
今回はそんな八千草薫さんについて、若い頃を中心とした姿を確認していきたいと思います。
【画像】八千草薫は若い頃から明るく美しい!
10代~20代(1947年~1960年)
引用元:上:X、下:Xメーテルのモデルは宝塚出身
— 二美 (@michuchu55) February 21, 2023
八千草薫さん✨
さすが松本零士先生🥹#松本零士先生#銀河鉄道999 pic.twitter.com/PbVS0IhE0e八千草薫さんは私の中で[Theお姫様]のイメージです。
— パンラ (@panra428) August 29, 2021
宝塚の娘役時代から美しく可憐な美貌で活躍され、退団後もそのイメージを失くさず何処か浮世離れした雰囲気が魅力でした。
こんな風に歳を重ねられたら素敵です。
#[茜さんのお弁当]が好きです pic.twitter.com/UhSuFLApwy
1947年の16歳の時に宝塚歌劇団に入団した八千草薫さん。当時劇団内に新設された映画専科に所属し、数々の出演を果たし、美貌・清純派の娘役として宝塚の一時代を風靡しました。
画像からもお嬢様の雰囲気が醸し出されていますよね。うっとりとしてしまいますね!
引用元URL:上:三鷹スポーツと文化財団、中:j-cast、下:LMAGA
最初の画像は、1954年の映画「宮本武蔵 」でお通役として出演した時のものです。
当時23歳宝塚歌劇団に所属しながら東宝映画に出演していました。可愛らしさの中からのぞく眼光がするどいですね。
最後の画像は、1955年の映画「蝶々夫人」のワンシーンです。
この映画は、東宝によるイタリア&日本合作映画で、撮影はすべてイタリアのローマで撮影されたとのことです。
イタリア人もこの美しさには惚れ惚れしたのではないでしょうか。
八千草薫さんは当時お嫁さんにしたいランキング1位をたびたび獲得していたみたいだけど、実際に結婚はしたのかな?
うん。26歳の時に、1957年に映画監督の谷口千吉さんと結婚しているね。ただ、人気絶頂であった八千草さんと歳の差が19歳もある谷口さんとの結婚には相当話題性があったみたいね。
30代~40代(1961年~1980年頃)
引用元URL:上:時事通信、下:文藝春秋
上の画像は、八千草薫さんが34歳の時、取材に応じている時のものです。
うっとり美人であることは間違いないですね。
下の画像は、TBSドラマ「娘たちはいま」メインキャストの皆さんです。
(左から八千草薫さん、野添ひとみさん、吉永小百合さん、尾崎奈々さん)の順で仲睦まじい様子ですよね。
この時36歳なので、かなり童顔と言えると思います!永遠の少女と言っても良いかも知れません!
引用元URL:上:松竹、下:文藝春秋
上の画像は、1972年41歳の時に映画「男はつらい 寅次郎夢枕」でマドンナ・志村千代役で出演した時のものです。
うん!40代になっても美しさ継続ですね!
そして、下の画像は、1979年48歳の時にNHKドラマ「阿修羅のごとく」に出演した時の撮影風景です。この頃から童顔さが消えて、淑女になった印象ですね。
八千草薫さんって、CM出演のために運転免許を取得したって本当なのかな?
そうみたいよ!当時原付バイク市場は、ヤマハとホンダの熾烈な争いがあって、ホンダが外国人を起用する中、ヤマハは八千草薫さんを起用したんだよね。ただ、八千草さん免許がなく・・。必死で取得したんだろうね。
50代以降(1981年~)
引用元URL:上:オークフリー、下:時事通信
上の画像は、1984年53歳の時のフジテレビのドラマ「風祭」で主演を務めていた時のものです。50代を超えても美しく魅力的な女性で居続けています。またエレガントですよね!
下の画像は1993年62歳の時の画像です。優しいお母さんと言った雰囲気がでていますね。
八千草薫さんは、橋田壽賀子さんのドラマに多く出演していたみいだけど、どんな作品にでていたのかな?
1994年のドラマ「女の言い分」が代表的な出演作品みたいね!
八千草薫さんが所属していた柊企画はどんなとこ?
引用元URL:柊企画
八千草薫さんの所属する柊企画には、五条 まいさん、桜乃 彩音さん、朱門 みず穂さんらが所属する芸能事務所兼制作会社です。
【画像】八千草薫は生涯女優!死因はなんだった?
八千草薫の死因
引用元URL:産経ニュース
八千草薫さんの死因はすい臓がんでした。
膵臓がんとは
膵臓がんは、多くは膵管に発生し、そのほとんどは腺がんという組織型(がんの種類)です。膵臓がんは小さいうちから膵臓の周りのリンパ節や肝臓に転移しやすく、おなかの中にがん細胞が散らばって広がる腹膜播種が起こることもあります。
ほかに膵管にできる病気として、膵管内乳頭粘液性腫瘍(IPMN:Intraductal Papillary Mucinous Neoplasm)があり、ここから膵臓がんが発生したり、別の部位に膵臓がんが発生したりすることがあります。その他、膵臓にできる腫瘍には、神経内分泌腫瘍などがありますが、通常の膵臓がん(腺がん)とは性質が異なります。
引用元URL:がん情報サービス
八千草さんは女優人生の中で大病をしたことはなかったそうですが、2017年春に乳がんが発見され、手術を受けたのち2017年末に人間ドックですい臓がんが見つかり、翌年1月にすい臓を全摘出する手術を受けたそうです。
その後、2カ月間療養し同3月からドラマの撮影で仕事復帰しました。抗がん剤治療を受けながら、8、9月には主演舞台「黄昏」も成功させるなど精力的に活動していました。
すい臓がんって、何かきっかけがあって気付けるのかな?
がんが発生しても小さいうちは症状が出にくく、早期の発見は難しいようだよ・・・
進行してくると、腹痛、食欲不振、腹部膨満感(おなかが張る感じ)、黄疸、腰や背中の痛みなどが起こったり、急に糖尿病が発症することがあり、すい臓がんが見つかるきっかけになることもあるそうだよ。
八千草薫は生涯女優!
2017年「やすらぎの郷」・2019年「やすらぎの刻〜道」
引用元URL:テレ朝POST
2018年「執事 西園寺の名推理」
引用元URL:ORICONNEWS
可憐な外見からは想像できない強靱な精神力の持ち主で、がんの宣告を受けても動揺はほとんど見せなかったそうです。冷静で病状も細かく理解し、「いま私にできることを尽くし、より1日を丁寧に過ごしたい」と生きる姿勢に変わりはなかったそうです。
がんを公表した際、88歳の高齢ながら「体調を整えまして、より一層楽しんで頂ける作品に参加出来るよう、帰って参ります。どうかお許し下さいませ」と復帰に強い意欲をにじませていました。
2019年5月末には、千葉で行われた自ら理事を務める生態系協会の催しに出席し、炎天下の中で「自然は見るものだけではありません。生き物が増えることを考えると、自然の中に入って楽しんで欲しい。」とはっきりした口調であいさつし、足取りも力強かったそうです。
出演作品を見ても、本当に最後まで「生涯女優」を諦めず、貫いていましたよね。
八千草薫さんは、「理想のお母さん」と言われていたけど、お子さんはいたのかな?
お子さんはいなかったみたいだよ。旦那さんとはおしどり夫婦として知られていて、結婚50年目となった2007年に死別するまで連れ添ったとのことだよ!
八千草薫さんがデビューした1947年はこんな年だった!
引用元URL:左 Wikipedia 右 ジャパンアーカイブス
八千草薫さんがデビューした1947年は、戦後初の国際婦人デーが開催されました。
また、1947年から出生数が急増し、「ベビーブーム」という流行語で語られていくことになります。特に1947年~49年の3年間は「第1次ベビーブーム」となり、新生児数は毎年260万人を超え、3年間の総計で805万人にもなりました。
八千草薫のプロフィール・SNS
引用元:デイリー
プロフィール
- 名前:八千草薫(やちぐさかおる)
- 本名: 谷口 瞳(たにぐちひとみ)(旧姓:松田)
- 生年月日:1931年1月6日
- 年齢:88歳没(2019年10月24日)
- 出身地:大阪府
- 配偶者:谷口千吉(1957ー2007年死別)
- 所属事務所:柊企画
SNS
- 公式ホームーページ URL:https://www.hiiragi-kikaku.com/profile-yachigusa.html
八千草さんって、良い人感しかないけど、トラブルとかなかったのかな?
あんまりないみたいね。ただ、テレビドラマ「赤い疑惑」で主演の山口百恵さん都合で断片的な収録になってしまったことに納得できず、途中降板を申し出たということはあったみたいね!