漫画家、俳優、作詞家、歌手などで活躍を続けている楳図かずおさん。
中指と小指を曲げた「まことちゃん」の「ぐわしっ!」のポーズと、赤と白のしま模様のおしゃれな洋服でおなじみとなりました。
今回は楳図かずおさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】楳図かずおは若い頃イケメン!
10代・20代(1946年~1966年)
引用元:読売新聞オンライン
楳図かずおさんは、和歌山県伊都郡高野町にて誕生されました。山間部の不便な地域にお母さんの実家があるため、お産に備え、高野町に家を借りられたそうです。
上の画像はお母さんと一緒に撮影された、1歳くらいの時のものです。表情がしっかりされてイケメンですよね!お母さんも上品な佇まいで、美人でいらっしゃいます。
3歳から6歳まで奈良県宇陀郡曽爾村で生活され、お父さんから地元の民話や伝説を聞いて成長しました。6歳から五條市に移り、27歳に上京するまで過ごされます。
1947年、小学5年生の時、手塚治虫さんの「新宝島」に出会い、漫画家になろうと決心されます。
最初は、手塚さんの作風を真似て描かれていましたが、中学生からは初山滋さんや武井武夫さんなどの童画家の画風に切り替えたそうです。その後、神戸の「改漫クラブ」、青森の「少年少女漫画ルーム」など、同じ志のサークルに所属し、精力的な活動をされました。
引用元:Amazon、Amazon
1955年3月18歳の時、五條高校を卒業後、両親からの強い推薦もあり、奈良学芸大学を受験されます。残念ながら結果は不合格となりましたが、同年6月には漫画「森の兄弟」で念願だったプロの漫画家としてデビューを果たします。当時は山路一雄名義で活動されていました。
当時、漫画サークルの会長さんがそれぞれの作品を出版社へ宣伝されていたようで、その中で出版社の目に止まったのが「森の兄弟」だったそうです。上の画像はコミックスの表紙で、森の中で手を取り合う兄妹と思われる子どもたちを描いたものです。森に住むうさぎや鳥など細かい箇所まで丁寧に描かれていますよね!
また本作は楳図さんが、漫画サークル「改漫クラブ」の会員だった頃、文通相手だった水谷武子さんと二人三脚で描かれたグリム童話「ヘンゼルとグレーテル」をモチーフに使われています。
同年9月「別世界」も出版されます。石器時代を設定に描かれた、楳図さんの空想科学物語の原点と言われています。人間の救出に臨む、リバー少年の危険に満ちた物語です。2つ目の画像もコミックスの表紙です。少年と少女の服装が原始時代を感じさせますよね!
引用元:X、日刊ゲンダイDIGITAL「兵隊やくざ」での楳図かずお氏がどれかようやくわかった。慰問団の女性に変装して軍隊から脱走する初年兵の役だった。けっこう面影ある。 pic.twitter.com/slwHqr9Slt
— SIVA (@sivaprod) June 25, 2018
この時期、俳優を志望し劇団ひまわりの青年部に入部され、1965年3月29歳の時、映画「兵隊やくざ」に出演しました。
ヤクザと用心棒だった暴れん坊の新兵・大宮とインテリの上等兵・有田が出会い、奇妙な友情が芽生え正義と生き様を貫いていく姿を描く痛快戦争ドラマ。
引用元:TSUTAYA DISCAS
本作は「座頭市」で知られる俳優・勝新太郎さんの代表作の1つで、楳図さんはエキストラとして出演されました。上の画像はそのワンシーンです。エキストラですが初年兵に扮し、真剣な眼差しで演技される楳図さんです。
「『兵隊やくざ』なんかで、戦場のシーンを撮るのに、御殿場まで行ったよ。本格的に役者をやりたいという気はあったんだよね。でも、僕がそういうふうなことをやろうと思うと、またすぐマンガの方が忙しくなっちゃう。」
ロケのために静岡県まで出かけたそうです。臨時の兵隊役であっても、引き締まった表情がかっこいいですよね!
そして、この頃「兵隊やくざ」やNHKの連続テレビ小説「たまゆら」の撮影で出会った久保新二さんと暮らし、毎日同じ布団で就寝されたそうです。2つ目の画像は、当時を思い浮かべながら証言される久保新二さんです。
自宅が千葉県習志野市だから、都内に通うのに金も時間もかかってたオレの餌食、いやいや同情して居候を誘ってくれた。アパートは西池袋、目白3丁目辺り。4畳半1間。煮焼きできるくらいのちっこい台所があるだけ。風呂なんてない。トイレはポットン式の共同だよ。
引用元:日刊ゲンダイDIGITAL
お2人とも同性愛ではなく、下積み時代でお金がないため、お手頃な家賃のアパートで生活されたとのことです。久保さんは、居候にも関わらず楳図さんに全ての家事をお任せしていたのだとか。
しかし、半年くらい経つと楳図さんに対して悪いなと思うようになり、知り合われた他の俳優仲間の元へ移動したそうです。食べるために必死だった時を乗り越えられ、今や立派な役者さんですよね!
そういえば楳図かずおさんは、どうして中学生の時、漫画のお手本を手塚治虫さんから他の作家さんに変えたのかな?
それは、デビューする時に、作品が面白くて素晴らしいと影響を受けてしまうことがよくないなと思ったからなんだって!
影響を受けることは悪いことじゃないけど、考えが偏ってしまうことがあるものね!
30代・40代(1966年~1986年)
引用元:Amazon、まんだらけオークション
1966年(30歳)「週刊少女フレンド」に4回連載されていた「ねこめの少女」がヒットしました。
物語は、加賀家の領主に、美しい花姫と領主が忌み嫌うねこ目の雪姫の双子がいたのだが、父親に毒殺された雪姫が最期に彫った猫の置物が、現代の加賀家の末裔の庭から掘り起こされ、そこから美しい姉妹、ひとみと木の実に異変が起こりはじめる…。
引用元:Amazon
画像は女の子が驚いている表情のコミックスの表紙です。驚いている時の特徴をよくとらえて描かれていますよね!
続く「へび少女」も人気を集めました。
明治40年の山中村、中村洋子の祖父中村利平はしのばずの沼の主であるうわばみの左目を撃ち抜き、祟り殺されてしまう。月日がたち、身内を亡くした洋子は財産家の女性の養女となり、村のはずれの屋敷に住む。だが、養母の正体はしのばずの沼のうわばみが生まれ変わったへび女であった。
彼女は洋子の祖父に左目をつぶされた復讐のため、洋子を蛇にしようとする。
引用元:マンガペディア
2つ目の画像は、洋子の友人のさつきと妹のかんなが蛇を見てびっくりしている様子の表紙です。3つ目の画像は、少女の背後から化け物が忍び寄っているコミックスの表紙です。
表紙の絵に引き込まれて、どんな内容なのかが気になってしまいますよね!
引用元:コミックナタリー
1972年(36歳)「週刊少年サンデー」に「漂流教室」が連載され始めます。
簡単にあらすじをご紹介します。
「漂流教室」の主人公は小学6年生の高松翔という少年です。ある朝、母親と喧嘩したまま学校に向かいますが、その日の授業中に大きな地震に遭います。
目を覚ますと校舎の外は、砂漠と岩だけの陸地に変わり果てており、翔たちに様々な困難が襲いかかるというストーリで、荒廃した未来世界に校舎ごと送られてしまった主人公の少年・高松翔ら、小学校児童たちの生存競争を描いた作品となっています。
上の画像は翔が勇敢に戦っている場面です。小学校ごと、滅んだ未来へとタイムスリップするとは、いくら何でも混乱しますよね。翔が手に持っている道具が原始的なので、周囲に物がなさそうですよね!
引用元:楽天市場、X郷ひろみ – 寒い夜明け [1976.11.1]
— JMF (Second) (@JMFLibrary) September 5, 2023
作詞:楳図かずお 作曲・編曲:筒美京平
(最高5位 / 17.3万枚 / 1976年 総合82位) pic.twitter.com/XWozmgPMCx
1971年(35歳)~1972年(36歳)に「少年サンデー増刊号」と「週刊少年サンデー」に数回連載されたギャグ漫画「まことちゃん」が1976年4月39歳の時、週刊少年サンデーにて連載開始します。幼稚園児の沢田まことと家族が生み出す下ネタや、色っぽいネタが盛りだくさんの内容です。
「「なんで?」と言われることで、当たり前の出来事でも面白く見えることがあって」
インタビューでは”前々から漫画に幼稚園児を登場させたい”と思っていたと語る楳図かずおさん。幼くて理解力が足りない分、大人にはない着眼点を持つ子どもならではの発想力に魅力を感じているようですね。
上の画像は、「まことちゃん」のコミックスの表紙です。まことちゃんの鼻の中から、パパリンと猫と女性が飛び出している、愉快な内容になっています。実際にそんなことが起きると、「どうして鼻から出てくるの?」と言いそうになりますよね!
そして、まことちゃんの連載と並行して、バンド活動もされていました。同年11月郷ひろみさんの「寒い夜明け」の作詞を担当されています。
「実は六本木のスタジオで夜通し『闇のアルバム』のレコーディングをやって、終わってから明け方ひとりで歩いて帰るときのイメージを書いたんです」
ご自身も楳図かずおさん作詞の楽曲を持つ近田春夫さんと対談をされた時に、「寒い夜明け」の歌詞についてそう語られています。
また、「闇のアルバム」とは、前年に発売された、楳図さんが作詞・作曲から、歌やジャケットの絵まで手がけられた豪華なソロアルバムです。作詞の背景に自身のレコーディングがあったとは驚きですよね!
そもそも楳図かずおさんは、どうして怖い内容の漫画を描こうと思われたのだったかな?
それは、漫画を長く描き続けるための方向性を考えたとき、当時恐怖の内容を描かれている漫画家さんの存在がなかったそうで、独創性だ!と思ったからだそうよ!
50代・60代(1986年~2006年)
引用元:婦人公論.jp、X色々疲れ切ってる時にこれやられたら、筆を折る漫画家はかなりの割合でいそうな気がする。
— 碧也ぴんく (@pinkjyoudai) October 13, 2022
なんだ、やめさせるのはわりと簡単なんだ…と思うかもだけど、その仕事に命かけてきた人の心を殺すんだから、重いよね。 https://t.co/uviBFcPJoz
1995年(59歳)「ビッグコミックスピリッツ」に連載されていた「14歳」が完結しました。
本作は”人類滅亡”をテーマに描かれ「漂流教室」の続編とも言われる作品で、環境破壊による人類滅亡の危機に瀕した人間たちの奮闘記です。そんな環境下におかれた親子の絆や別れが描かれています。上の画像は漫画のワンシーンです。陰影もつけられ、丁寧に色が塗られていますよね。
「これ以上はないと思うほど、でかいスケールの作品を描きたいと思い、この漫画では『破壊』を描くことにしたんです」
「破壊」がテーマとは、読んだ時に考えさせられますよね。奥の深い漫画ですね!
楳図かずおさんは、この作品以降、漫画家活動を休止されています。長年漫画を描くことで手に負担がかかり、腱鞘炎になったことが原因と言われています。
また「14歳」を描いていた時の担当編集者さんとの会話中に「やめよう」と思われたことも理由だそうです。なぜなら、「手はこうやって描くんですよ」と突然、新人の編集者がデッサンの強いげんこつの絵を楳図さんに提示したからでした。楳図さんは言葉を返しませんでしたが、もう漫画を描くのはやめようと思われたそうです。
「それまで頑張って作品を描いてきたつもりでしたが、ほめられることが少なかったということも大きかったですね」
編集者さんに悪気がなかったかもしれませんが、楳図さんにはショッキングな出来事だったと思います。楳図さんの画力の高さが伝わらなかったのですね!
引用元:XUMEZZ(楳図かずお)『木村の兄さん』
— らさ (@usako_hiko1) November 5, 2024
1996年の8cmCDシングル
ローリー寺西プロデュースの怪作
楳図先生から受けた影響は計り知れない。
なにせウチの子の名前は楳図作品の登場人物から借用して命名したくらいだし。
新作をまた読めると楽しみにしてたのに..。
心からご冥福をお祈りいたします。 pic.twitter.com/FQucU9uiko
60代に入ると歌手活動も行われ、1996年(60歳)UMEZZ名義にてシングルCD「木村の兄さん」を制作されます。ローリー寺西さんが作詞作曲をされた、少しミステリアスな雰囲気の曲に楳図さんのかっこいい歌声がマッチしています!
上の画像は美少女が二人描かれたCDジャケットと付録のシールです。「木村の兄さん」の曲調と楳図さんが描かれてきた漫画の世界観がぴったりと重なります。多才なお仕事ぶりに楳図さんのバイタリティを感じますよね!
楳図かずおさんは、どうして音楽活動をされたのかな?
それは、漫画の連載が多かった時に「朝8時に起床して午前4時まで仕事」という激務のため、1968年(36歳)に体調を崩されたみたいで、連載を「週刊少年サンデー」に限定されたという理由から、気持ちが楽になり、作詞作曲や自作カセットテープをレコード会社にアピールされたみたいよ!
70代以上(2006年~)
引用元:映画.com、PRタイムス
「仕事にのめり込んで夢中になってやっているところも共通点だと感じました。舞台をやっていらっしゃるので、声がはっきりしていてメリハリのあるお芝居が素晴らしかった。愛之助さんにお願いして本当に良かった」
2013年77歳の時、映画「マザー」の脚本を手がけ、長編映画の監督としてもデビューされました。
本作は楳図かずおさんの自叙伝ようなもので、”楳図ワールド”と言われる独特な世界観の秘密を描いたものです。ドラマ「半沢直樹」で急激な人気を獲得された片岡愛之助さんが、楳図かずおさん役に扮します。
上の画像は片岡愛之助さんとおなじみ「ぐわしっ!」サインをされている時のものです。2つ目の画像は、「マザー」にて、楳図さん役の片岡さんが集中して漫画を描かれている場面です。漫画家としての楳図さんの姿を「描いている時って、あんな感じなんだ!」とイメージできますよね!
引用元:読売新聞オンライン、読売新聞オンライン
「宮崎さんの巧みな色づかいには僕も影響を受けた。大事に持ってくれていて感謝しかありません」
2023年5月86歳の時、楳図さんが中学生時代に活動をされていた漫画サークル「少年少女漫画ルーム」の回覧誌「漫画展覧会」4冊が当時の編集長・宮崎清吾さんより贈呈されました。上の画像は喜びと驚きの表情をされている楳図さんです。
2つ目の画像は寄贈された「漫画展覧会」です。1950年代の漫画サークルにて原稿をそのまま綴じて製本され、会員同士で郵送し、回覧する仕組みだそうです。仲間同士で切磋琢磨されたことがよくわかりますね。懐かしい作品と再会されて、感激ですよね!
楳図かずおさんは、どうして70代代で映画監督に挑まれたのかな?
それは、昔から映画も好きでよく観ていらっしゃって、いつか挑戦するのが夢だったみたい。オファーをいただいて、チャンスだと思ったという理由から、引き受けられたみたいよ!
楳図かずおさんが所属する”一般財団法人UMEZZ”には他に誰が所属してる?
引用元:一般財団法人UMEZZ
楳図かずおさんの所属する「一般財団法人UMEZZ」には、楳図かずおさん以外の芸能人やアーティストは所属していません。楳図さんの他には、楳図さんの遺志を引継いだ職員さんがいらっしゃいます。
【画像】楳図かずおは結婚して家族がいた?まことちゃんハウスの現在は?
楳図かずおは結婚して家族がいた?
引用元:ZAKZAK by夕刊フジ
引用元:日刊スポーツ、X楳図かずおファンクラブ『ウメズム』。
— しら (@y_sirais) November 5, 2024
残念ながら会報を1冊発行しただけで終わってしまった…
『おろち』特集や、初期作品の復刻。
実弟の楳図良雄さんの作品も紹介!
貴重な資料です😁#楳図かずお https://t.co/7SErTL962P pic.twitter.com/g2dgSoSy1o
楳図かずおさんは、結婚しておらず、終生、独身だったと言われています。ご本人は結婚しない理由について明言されていませんが、楳図さんの過去の発言からその理由を考えてみました。
「子供の時から大人になりたくなかったからね…」
大人のドロドロしたものを垣間見ることでもあったのでしょうか。また楳図さんは恋愛にも関心がなかったともおっしゃっています。女性との交際に対していいイメージが持てなかったのかもしれません。
楳図さんは、漫画を描く以外にも、多くの創作活動もされています。表現者としての活躍が増えるにつれて、そちらの活動の方が楽しくなり、結婚を考える暇がなくなったのも理由の1つのようですね。
そして、内気な性格で知られる楳図さんにとって人間関係あまり得意なことではないらしく、一人でいるのが楽とおっしゃっていたこともあったそうです。人と同じ空間で過ごすことに、神経をすり減らすと思われたのだと思います。
そんな楳図さんには、7歳年下の楳図良雄さんという弟さんがいらっしゃいますが、兄弟の仲は良かったそうです。意外にも漫画作品もあるようで、兄弟揃って漫画家をしていたのですね!
亡くなるまで結婚歴はなく、家庭を持たなかったそうです。
楳図かずおさんは、どうして漫画に子どもを多く描かれたのかな?何か意味があるの?
それは、大人よりおかしな常識とか権力とかがないから、楳図さんにとって気分がいいという理由から、漫画のストーリーを作る根本が昔話やおとぎ話になったみたいよ!
楳図かずおのまことちゃんハウスの現在は?
引用元:サンスポ
楳図かずおさんの赤と白のボーダー模様を施された「まことちゃんハウス」は現在、楳図さんの希望により、作品の管理を行う一般財団法人 UMEZZ代表理事の上野勇介さんが毎日通い、こちらでお仕事をされているそうです。また、住宅兼財団の事務所として利用することが決まっているそうです。
引用元:週刊女性PRIME
2024年(88歳)の夏にガンが見付かり、今後のことを自身で決められたそうです。楳図さんは漫画家として知られていますが、自身を芸術家と思い、その評価を確固たるものにしたいとお考えだったとのことです。
「自身の作品を守るだけではつまらない。発展させるために財団を作るから、後は任せた。死んだ後は、その様子を見て楽しむから」
生前、そう語っていたという楳図かずおさん。入院の直前まで絵を描かれており、2024年9月に石川県金沢市での美術展にて「JABA 洞窟の女王」という連作絵画を披露されました。さらにまだ世に出ていない新作も存在するそうです。
「本人としては”楳図美術館”をつくってほしいという思いを強く持たれていました。」
しかし今のところ「まことちゃんハウス」を博物館や美術館にすることは考えていないそうで、今後も住まいと「一般財団法人UMEZZ」のオフィスを兼ねた建物として、使用されていくとのことです。
2025年は、楳図さんの画業70周年の節目なので、お祝いも兼ねたお別れ会も検討中だと言われています。
楳図かずおさんは、どうしてご自身を「芸術家」と思われていたの?
楳図さんはもともと芸術家のつもりだったみたい。
2022年(86歳)に開催された「楳図かずお大美術展」において、「わたしは真吾」の悟(さとる)と真鈴(まりん)が東京タワーの頂上から飛ぶイメージと同じように、自分ももう一回飛んでみようという理由から絵画に挑まれたみたいよ!
楳図かずおのプロフィール・SNS
引用元:スポニチAnnex
プロフィール
- 名前:楳図かずお(うめず かずお)
- 本名:楳図一雄
- 生年月日:1936年9月3日
- 年齢:享年88歳(2024年10月28日逝去)
- 出身地:和歌山県
- 血液型:O型
- 趣味:散歩、音楽鑑賞、NHKのラジオ講座で五か国語の勉強
- 特技:何時間でも歩いてしまうこと
- 所属事務所:一般財団法人UMEZZ
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/umezz_mg
今日は、楳図さんのお誕生日
— 楳図かずおマネージャー|ユウちゃん【公式】 (@umezz_mg) September 3, 2024
(88歳)
みんなでお祝いしましょー
グワシ!!!㊗️ pic.twitter.com/6D9bTV8abL
- オフィシャルサイト URL:https://umezz.or.jp/
楳図かずおさんが五か国語の勉強を始めたきっかけって何なのかな?
それは、NHKの「世界・わが心の旅 ローマへの道は異界に通ず」に出演した時に日常会話くらいは覚えておこうと思われたことがきっかけみたい。その後、映画監督のダリオ・アルジェントさんと対談されるなんて、すごいよね!帰国されてからも、なかなかできない機会だから続けようという理由からラジオ講座を受講されていたみたいだね!