演歌歌手として活躍を続けている天童よしみさん。
2024年にはデビュー50周年を迎え、歌謡界を牽引してきました。
今回は天童よしみさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】天童よしみは若い頃かわいい!
10代・20代(1964年~1984年)
引用元:週刊女性プライム
天童よしみさんは小さい頃から歌うのが大好きで、演歌の道に進んだのはお父様の影響だそうでそうです。お父様は当時、沢田研二さんのファンだったそうで歌謡曲ばかり聴いていて、当時『今週のヒット速報』という歌番組があり夢中で見ていたそうです。
小学校4年生のときに「ちびっこのど自慢」に出場して優勝。その実力が認められ 1970年に本名の吉田よしみ名義でアニメ「いなかっぺ大将」の主題歌を歌いました。
そして1972年には読売TV「全日本歌謡選手権」10週勝ち抜き7代目チャンピオンとなり、同年キャニオンレコードより『風が吹く』で本格デビューを果たしました!
上の画像は小学生のころに出場したちびっこのど自慢大会のときのものです。子供ながらに迫力のありそうな歌声なのが伝わってきますね!
引用元:朝日新聞デジタル
デビューしたのも束の間、ヒット曲が出なくてチャンスを掴めず、10年に亘る長い低迷を経験しました。引退も考えたそうですが、ご両親の説得で思い留まったそうです。 歌は売り出すまでに色々な方が頑張って下さり売り出せるという苦労を知っていたからこそ、 ヒットが出なかった時代は、お世話になった方々にに申し訳なく思っていたそうです。
上の画像は1979年(25歳)にお父様の義行さんと歌謡会の発表会時に参加したときのものです。仲睦まじい様子が伝わってきますよね!
天童よしみさんは子供時代に生涯忘れられない想い出があるんだって?
子役のオーディションに合格して、1ヶ月間美空ひばりさんと一緒の舞台に立てることになり、ひばりさんの特別公演に参加できたことなんだって!
天童さんにとって、ひばりさんは唯一無二のスターで、ひばりさんのたたずまいを見て、華やかさと歌唱力に圧倒されながら、子どもながらに「歌の力ってすごいな」と感じたそうよ!
30代(1984年~1994年)
引用元:タワーレコード
20代で低迷を経験しながら、1985年(当時30歳)にテイチクレコードへ移籍。第一弾目に発売されたシングル曲『道頓堀人情』では、北海道から福岡県まで1か月で300件もの営業をこなし、有線からじわじわと人気が出た結果、ヒット作となりました。這いあった天童よしみさんの地道な努力の結果ですね!
上の画像は1985年12月(当時31歳)に発売された「道頓堀人情」のジャケット写真です。今とは髪型が違いますが、ダウンスタイルも似合っていますね!
引用元:NHK
1993年(当時39歳)には第44回 NHK紅白歌合戦で初出場を果たし『酒きずな』を歌唱しました。
この紅白出場には裏話があり、出場が決まる前、天童さんはお母様に「ダウンスタイルの髪型をやめて、まとめ髪にしたら?」と提案されたそうで、お母様の言葉を信じ、今までフェイスラインを覆っていたサイドの髪をグッと引き上げてアップスタイルにしたそうです。
またパンツスーツだった舞台衣装をドレスに変更。すると運気が上がったのか、仕事がどんどん舞い込むようになり、ヒット曲にも恵まれ、初の紅白出場も決まったそうです。
上の画像は1993年12月(39歳)に紅白歌合戦に初出場したの時のものです。赤いドレスがとっても似合っていますよね!
天童よしみさんはアップスタイルの髪型が多いけどダウンスタイルの時もあったのかな?
若いころは松田聖子さんの髪型に憧れ、聖子ちゃんカットなどにしてジャケット写真を撮影していたこともあったみたい!小顔にみせたくて輪郭を隠すダウンスタイルのヘアが多かったそうよ!どちらも似合っているわよね!
40代以上(1994年~)
引用元:テイチクエンタテインメント
天童よしみさんの最大のヒット曲『珍島物語』は、韓国・珍島に伝わる伝説をもとに、遠く離れた相手への思慕を思い、愛する人との再会を願う意味が込められている曲です。1996年にリリースされ、130万枚を超える売上を記録し、自身初のミリオンセラーとなりました。
それまで歌っていた演歌とは違う、ポップスに近い曲なので、「天童さんっぽくない」という方もいたそうですが、天童さんにとって、それは大きなチャレンジとなったそうです。さらには、日本・中国・韓国、それぞれの国の歌手が歌ったことで、アジアに知れわたる大ヒット曲となりました。長きにわたり愛され、天童さんの代表曲としても知られています。
上の画像は1996年2月(41歳)に発売された珍島物語のジャケット写真です。天童よしみさんファンでなくても聴いてみたくなりますよね!
引用元:デイリースポーツ
2022年には歌手生活50周年を迎えました。
天童さんは歌手生活だけにとどまらず、2023年には去年は映画デビューをし『湯道』、『BAD LANDS バッド・ランズ』、『翔んで埼玉2~琵琶湖より愛をこめて~』と3作品に出演しました。
また同年10月にはミュージカル『日劇前で逢いましょう~昭和みたいな恋をしよう~』にも出演をしました。
「有楽町で逢いましょう」がテーマ曲になっている、昭和歌謡ショーだそうで、お客様が若い方ばかりだけど、昭和の歌がミュージカルに使われていて、天童さんは2024年前後は昭和が絶対に来るなって思っていたそうで、見事その予感は的中したそうです。
演歌歌手として第一線で活躍し、常に挑戦を続ける天童よしみさんの今後の活躍も楽しみですね!
上の画像は2022年5月(67歳)の50周年記念コンサートの時のものです。天童さんらしい華やかなコンサートの雰囲気が伝わってきますね!
天童よしみさんの芸名の由来はなんだろうね?
芸名の「天童」は、「天」から授かった「童(わら)」に由来するものなんだって!素敵な意味が込められているんだね!
天童よしみさんが所属する”天童事務所”には他に誰が所属してる?
引用元:天童よしみ公式サイト
天童よしみさんは天童事務所に所属しています。事務所は東京都港区と大阪府八尾市に支社があります。所属アーティーストは、天童よしみさんだけと思われます。
【画像】天童よしみは結婚目前の相手がいた?歴代紅白衣装は?
天童よしみは結婚目前の相手がいた?
引用元:クランクイン!
天童よしみさんは2024年現在、結婚はしておらず、結婚歴はありません。過去に熱愛報道もありませんでした。結婚しない理由としては、芸能一筋であることと、家族を大切にしたい気持ちからかもしれません。
しかし、2024年元旦に放送の昭和歌謡パレードに出演した際には凄く好きな人が20代の時にいたことを告白しました。しかしで叶わぬ恋なので、身を引いて歌にまた集中しようと思ったそうです。
天童よしみさんは、歌手生活50周年の時に「デビューから苦しい時代が続き「周りの結婚、出産がうらやましいと思ったこともあった。女の幸せよりも歌の道を選んだ。(1993年の)紅白初出場で自分の道筋がはっきりした」と振り返っているので、歌うことが本当に天命だと感じたのでしょうね。
天童よしみさんは、女性としての幸せについてはどう思っているんだろう?
周りの結婚、出産がうらやましいと思ったこともあったみたいなんだけど、人生においてのターニングポイントで、女の幸せよりも歌の道を選んだそうよ!
天童よしみの歴代紅白衣装は?
引用元:Instagram
引用元:PR TIMES
天童よしみさんといえばNHK紅白歌合戦出場の際にその衣装の豪華さ、奇抜さに圧巻とさせらることが多いですよね。
1993年に紅白歌合戦に初出場しましたが、その時にコシノ三姉妹のお母様でファッションデザイナーの小篠綾子さんが天童さんの衣装担当をしたそうです。竹のようにすくすく伸びるように、という思いを込めた斬新な着物を2着プレゼントしてくれたそうです。
天童さんは自宅にはドレスが800枚超えているそうで、衣装部屋はトン単位の重さがあるということでしょう。自分の衣装は抱えて死ぬくらいいっぱい思い出があり、衣装1枚ずつに思い出があるそうで捨てられないそうです。
天童よしみさんは家の中に衣装は収まりきるのかな?
都内に3階建ての事務所兼用ビルがあって、ビルのワンフロアがほぼ衣装部屋になっているみたい!紅白歌合戦出場時の衣装も安いもので1着50万という豪華なドレスなどがあって、金銭に換算すると2億超えだそう!さすがは演歌界のスターね!
天童よしみのプロフィール・SNS
引用元:スポニチ
プロフィール
- 名前:天童よしみ(てんどうよしみ)
- 本名:吉田芳美(よしだよしみ)
- 生年月日:1954年9月26日
- 年齢:70歳(2024年11月現在)
- 出身地:大阪府八尾市
- 血液型:B型
- 趣味:ショッピング、クリスタル集め
- 所属事務所:天童よしみ音楽事務所
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/tendo_yoshimi_official/
- オフィシャルサイト URL:https://yoshimi-tendo.com/index.html
天童よしみさんはCD以外でもヒットした意外な商品があるんだよね?
天童よしみさんを2頭身フィギュア化した「よしみちゃんキーホルダー」が平成10年に発売されたらしく、「魔よけになる!」と女子高生の間で人気に火がつき、スクールバッグにつけるのが流行ったみたい!