映画、TVドラマ、CM、PVで俳優として活躍を続けている田中要次さん。
様々な映画、ドラマ、バラエティー番組で幅広く持ち味を発揮してきました。
今回は田中要次さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】田中要次は若い頃イケメン!
20代(1983年~1993年)
引用元:X
田中要次さんは、長野県西筑摩群新開村出身で長野県木曽山林高等学校林業科を卒業しています。
高校1年生のころにはもてたいという気持ちから演劇部に入部し、文化祭で『十二人の怒れる男』をもとにした舞台に出演しましたが肌に合わず辞めてしまい、その後は軽音部でロックバンドの活動をしていました。
このころは役者になりたいとは微塵も思っていなかったそうです。
高校を卒業後は国鉄に就職し、その頃から映画館に通うようになり愛知、岐阜、三重県を渡り歩き映画上映サークルとの交流を深めていったのでした。
国鉄とは
引用元:時事通信
経営形態は政府が100%出資する公社(特殊法人)で日本国有鉄道の略で、1987年(昭和62年)4月1日の国鉄分割民営化に伴い、現在のJRグループ各社及び関係法人に事業を承継した
1989年(当時26歳)、親交のあった山川直人さんからの紹介でミュージックビデオ『佐木伸誘/SEEK AND FIND』に出演することになります。上の画像は1989年(発売は1990年2月)に参加した『佐木伸誘/SEEK AND FIND』CDのジャケットです。
残念ながら当時の映像は見つからなかったのですが田中要次さんの役者人生の第一歩となる大切な作品ですね!
引用元:スポニチ
撮影に参加したことがとても楽しい経験だったので「もう一回撮影現場に戻りたいなあ」と思い役者への気持ちが動き始めたきっかけでした。そして、1990年12月8日、在職して8年と8か月8日に国鉄(当時JR)を退職し上京を決意しました。
引用元:Lineニュース
1991年28歳のころ照明技師の安河内央之さんに師事し、スタッフとして竹中直人さんが監督をしていた「無能の人」に照明助手として参加します。
そこで竹中直人さんの目に留まり田中要次さんはエキストラとしても出演を果たします。
同年の舞台「竹中直人の会/鉢植えを持つ男」でも舞台監督助手と神戸浩さんの代役としても参加していました。
田中要次さんはその他にも撮影スタッフとして照明助手、録音助手、ドライバー、付き人などを経験しながら同監督の「119」出演をします。
「119」出演時に照明機材トラック運転中に事故を起こしてしまったことをきっかけに俳優業に専念するようになります。
上の画像はスタッフ、エキストラとして出演した「無能の人」で照明助手として参加いた時の画像です。こんな下積み時代もあったのですね!
引用元:Xちょうどその頃忙しくって、劇場で観られなかったから、2枚組のLPジャケットみたいなのがいいです。『119』は、竹中さん塚本監督周防監督の副音声も楽しくて、『無能の人』のDVDでは田中要次さんとの副音声解説も面白くってよかったですよ。😊 pic.twitter.com/HHzDTZu418
— フェル (@T50md83fEbWU7s9) May 7, 2021
上の画像は俳優に専念することを決めた作品「119」です。
1991年(27歳)阪本順治監督の「王手」、1993年(29歳)橋口亮輔監督の「二十才の微熱」に照明助手や様々な役職で参加しながらエキストラや端役で1993年岩松了監督「お墓と離婚」や1994年廣木隆一監督「800/TWO LAP RUNNERS」などに出演していきます。
俳優業だけでなく裏方としても数多くの映像制作にかかわってきた田中要次さん。
後々、スタッフ時代を知っている様々な監督たちから重宝され、各作品になくてはならない存在となります。
田中要次さんは、8年と8か月8日でどうして国鉄(JR)を辞めようと思ったのかな?
それは、田中要次さんの誕生日が8月8日だったということも関係しているみたい!
日付も1990年12月8日でジョンレノンが亡くなった日に辞めると宣言したら勤続年数も8年8か月と8日だったらしくその後の人生でも何かと8のつく数字に縁があったそうよ!
30代(1993年~2003年)
引用元:Facebook
1996年(当時36歳)の頃、俳優業をしながらバイトのバイク便で生計を立てていた田中要次さん。
バイト先だったバイク便会社からの派遣で「王様のブランチ」(TBSテレビ)の「王様バイク隊」のメンバーとしてもレギュラー出演されていたそうです。
その頃の出演を見ることができた方はレアでしたね!
上の画像はバイク便の時のものではないですが、田中要次さんは足が長く、バイクがとても似合っていてかっこいいですよね!
引用元: X
2003年(撮影時:39歳)にはクエンティン・タランティーノ監督の「KILL BILL」にBoBAの名前で出演していました。
BoBAとは田中要次さんのデビュー作品「SEEK AND FIND」での役名がボバだったことが起因となり、裏方のスタッフをしていた時に愛称として広まっていたそうです。
最終的には忌野清志郎さんにボバと言われたことがゴールだったと田中要次さんは語っていて、その後もBoBAとして多数の作品に出演されています。
上の画像は2003年公開の「KILL BILL」の時のものです。北村一樹さん、高橋一生さんと豪華な日本人キャストに驚かれた人も多かったと思います。田中要次さんもその一人ですよね!
田中要次さんは、人気が出てから外出が心配になってしまったそうだよ。
慣れるには何をしていたのかな?
人目に慣れるまで2年近くかかったそうよ。
でも大好きな「アイアンマン」の赤とゴールドのカラーにしたダテメガネをするようになったから落ち着いたらしいよ!
メガネのフレームがあることで、別のものの中に入っているような感覚になって精神的バランスが取れるようになったんだって!
まるでウルトラセブンみたいだね!
40代(2003年~2013年)
引用元:上:シネマトゥデイ 下:cinema cafe net
40代になると2006年(当時43歳)田中要次さんにとって転機となった作品「HERO」の無口なマスターの役として出演されています。
頼まれたものが何でも「あるよっ」と差し出してくる個性的なキャラクターが話題になり、ブレークを果たしました。
それまで映画中心に活動されていた田中要次さんでしたが「HERO」が連続テレビドラマでは初のレギュラー出演でした。
一躍有名になった田中要次さんは外出時の周りの人の反応が大きく変化したことに驚いてしまい怖くなったことがあったそうです。
この頃からバラエティーにも多数主演されるようになりました。
上の画像は2006年「HERO」の時のものです。マッチョな衣装に身を包み威厳と謎のある個性的なキャラクターが魅力的でしたね!
引用元:上:Instagram 下:NHKオンデマンド
田中要次さんは、2001年から年間出演本数が最多と記録されており、シネマ・サルベージにて「あんた、出すぎ!グランプリ」を4年にかけて獲得しているほどでした。
映画、ドラマだけにはとどまらず、2008年には「HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP」の「COVER CHAMP」というコーナーで郷ひろみの「GOLD FINGER‘99」を歌い上げ特性ゴールドフィンガー型のトロフィーを獲得するなどバラエティーでも活躍を見せていました。
上の画像は2011年「サラリーマンNEO」の出演時のものです。今よりも少し若いですが渋さがありますよね!
引用元:Instagram
田中要次さんは2003年(当時40歳)にオムニバス映画「刑事まつり 一発逆転」で短編「窯岡刑事/Coming Out Cup KAMAOKA」で監督を果たします。
上の画像はの「窯岡刑事/Coming Out Cup KAMAOKA」です。2004年(当時41歳)にも「奪われた刑事Snatches」でも短編映画を撮り続けていました。
2009年(当時46歳)にはbonobosの日比谷野外音楽堂で収録された「宇宙へようこそ!」DVDの撮影ではカメラマンとして参加しています。
舞台袖で撮影をしていたためDVDの本編では時折田中要次さんが映りこんでいるのが確認できるようです。bonobosとは親交がありライブなどよく観に行っていたそうです。俳優、裏方スタッフ、映画監督と多岐に渡って活躍されていてとても活動的で、人としてチャレンジできていてとても素敵ですよね!
田中要次さんは、他にはどんな異名があったのかな?
自称MV男優と言っているくらいミュージックビデオの出演数が多いそうだよ!
出演本数は世界一とも言われているよ。
50代以上(2013年~)
引用元:上:日刊サイゾー 下:テレ東プラス
田中要次さんは「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」(テレビ東京)に2017年(当時54歳)から二代目の旅人として田中要次さん、羽田啓介さんのコンビで起用されました。
しかし、2022年の放送で負け越してしまい惜しくも解散になってしまいました。
「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」は面白いと評判の番組でした。打ち切りにしないでほしいという意見もとても多かったですね!
上の画像はの「ローカル路線バス乗り継ぎの旅Z」の時のものです。過酷な旅も厳しい意見もありましたが真剣に旅に取り組む姿は素敵でしたよね!
引用元:シネマトゥデイ
上の画像は2017年(当時54歳)に公開された「蠱毒(こどく)ミートボールマシン」の時のものです。
田中要次さんはこの映画が初主演となっており、謎の生命体に寄生されダークヒーローとなって戦う中年役を熱演されています。
「この年で主役が回ってくるなんて思ってもいなかったので、驚きと本当に僕でいいのかという気持ちでした。」と今までバイプレーヤーとして来たので心配もされていましたが、「うれしいですしチャンスは逃したくないなとやらせていただきました」と意気込んでいました。
個性的なダークヒーローもワイルドにこなしどんな役柄でも持ち味を発揮していますよね!
田中要次さんは、他にはどんなバラエティに出演していたのかな?
「大改造!!劇的ビフォーアフターSEAZONⅡ」(朝日放送)に出演し、実家の倉をリフォームし、「kura3夢倉座」をオープンしホームシアターが完備されていたり貸し切りパーティーなどが楽しめる素敵な空間になったらしいよ!下のfacebookの投稿がkura3夢倉座よ!
引用元:facebook
【画像】田中要次と結婚した嫁の馴れ初めは?猫愛がすごい!
田中要次と結婚した嫁の馴れ初めは?
引用元:テレ朝POST
引用元:Instagram
田中要次さんが結婚されたのは2004年の41歳、奥様は3歳年下の38歳での時です。
奥様については詳しくは語られていませんが、交際一か月はお互いの家を行き来していました。
しかし奥様が当時飼っていた猫を留守番させていることが増えてしまったことが気になり、朝方に餌をやりに帰ることも煩わしく思い交際三ヶ月で「一緒に暮らそうか?」と田中要次さんから伝えたそうです。
猫ちゃんが二人を結んでくれたきっかけだったみたいですね!
田中要次さんは、昔から猫が好きだったのかな?
小さいころは苦手だったみたい!
でも中学生の時にお兄さんが連れてきた猫と添い寝をすることがあって、それ以来、猫が大好きになったそうよ!
田中要次の猫愛がすごい!
引用元:テレ朝POST
引用元:映画ナタリー
田中要次さんは愛猫歴45年の筋金入りの猫好きで有名です。
現在もクマコ10歳、チャイ9歳、サビ8歳、末娘グリ1歳の四姉妹の猫を飼っています。
猫ちゃんのトイレや掃除は田中要次さんが積極的にされていてトイレもとてもきれいに片付けているそうです。
田中要次さんのご自宅も猫ちゃんが住みやすいように設計されていて、キャットウォークやキャットタワーも完備され猫ちゃんが喜んでくれそうな工夫が多くされています。
田中要次さんと猫ちゃんはどんな出会いだったのかな?
猫ちゃん達はブリーダーやペットショップで購入でもなく、保護猫の活動でお迎えしたそうよ!
田中要次さんご夫婦と縁があって出会うことができてたくさん愛されて幸せに暮らしているわ!
田中要次さんがデビューした1990年はこんな年だった!
引用元:上:FOD、中:KIRIN、下:Precios,jp
田中要次さんがデビューした1990年は、「ちびまる子ちゃん放送開始」、「一番搾り発売」、「ティラミスブーム」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、「ちびまる子ちゃん」でトーマスリード(『ワシントンポスト』東京支局記者)さんが受賞しました。
田中要次のプロフィール・SNS
引用元:Instagram
プロフィール
- 名前:田中要次(たなかようじ)
- 別名義: BoBA
- 生年月日:1963年8月8日
- 年齢:61歳(2024年10月現在)
- 出身地:長野県木曽郡木曽町
- 血液型:A型
- 趣味:カメラ
- 特技:ボーカル・キーボード
- 所属事務所:ザズウ
SNS
- X(旧Twitter) URL:田中要次(BoBA) (@Yohji_TANAKA) / X
富山・サマーウオヅ(魚津)の旅、TVerで見逃し配信が あるよっ! https://t.co/61pInIHjWh
— 田中要次(BoBA) (@Yohji_TANAKA) September 16, 2024
- Instagram URL:田中 要次(@boba_) • Instagram写真と動画
- facebook URL:Facebook
- 公式ブログ URL:田中要次ブログ -BoBA BLoG- (fc2.com)
田中要次さんの趣味はカメラで写真をよく撮っているね!
SNSにはたくさんの愛猫たちの写真が載せられているね!
猫好きから2007年には愛猫ブログも書いていたそうよ!