【画像】篠山紀信は若い頃からすごい?妻との離婚理由は?脱がせた女優は誰?

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2024年1月3日に老衰で逝去されるまで写真家として活躍してきた篠山紀信さん。

宮沢りえさんや山口百恵さんなど有名女優のヌード写真をはじめ、歌舞伎などの人物、廃墟などの建物や風景まで多種多様なジャンルの写真を撮り続けてきました。

今回は篠山紀信さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

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目次

【画像】篠山紀信は若い頃からすごい?

20代・30代(1960年~1980年)

篠山紀信さん撮影
篠山紀信さん
引用元:毎日新聞OB交流サイト 東京毎友会毎日新聞

篠山紀信さんは、日本大学芸術学部写真学科在学中である1961年(当時21歳)に広告制作会社ライトパブリシティに就職されました。ライトパブリシティは日本で初めて広告制作を専門に取り扱う会社として1951年に設立され、篠山紀信さんをはじめとする世界で活躍する写真家やコピーライターなど名だたる有名クリエイターが所属しています。

1963年(当時23歳)には日本大学芸術学部写真学科を卒業し、本格的に写真家として活動を始めます。上の画像は同年、雑誌「カメラ毎日」に篠山紀信さんの卒業制作が5ページにわたって掲載された時のもので、篠山紀信さんのデビュー作です。

20代から写真家として注目されていた篠山紀信さん。被写体とするものはヌードから歌舞伎、建物や風景など他の写真家を遥かに凌ぐジャンルの多さで活躍の場を広げていきました。

1966年(当時26歳)には東京国立近代美術館「現代写真の10人」に史上最年少で参加したり、翌年1967年(当時27歳)にはヴェネチア・ビエンナーレ国際美術展の日本館代表作家に選ばれています。また、2枚目の画像は1970年(当時30歳)のもので、この頃、活躍していたロックバンド・キャロルをデビュー時から追い、売り出しに貢献されました。さらに、この頃「女形・玉三郎展」で芸術選奨新人賞を受賞されています。

篠山紀信さん
引用元:産経新聞

上の画像は1975年(当時35歳)の時のもので、篠山紀信さんはこの年、雑誌「GORO」で歌手・山口百恵さんのグラビア特集をし、そこで使い始めた”激写”という言葉は流行語になりました。

その後、中森明菜さんや岩崎宏美さんをはじめとする女性芸能人や素人のモデルを撮影した激写シリーズで篠山紀信さんの名前は広く知られるようになりました。

また同年、日本全国約80ヶ所の”家”を撮影した写真集「」と週刊雑誌「アサヒグラフ」で連載された写真をおさめた「晴れた日」が発売されました。この2作品は篠山紀信さんの代表作となっています。

あのころは確かにいつもワクワクしていたものです。そういう気分でいると、不思議なほどどんどんいい写真が撮れる。

当時(1970年代)を振り返ってそうお話しされていた篠山紀信さん。写真だけで何ページも構成される写真雑誌が10誌以上あったり、次々に新しい表現手法が試されたり、まさに「写真の時代」だったそうです。篠山紀信さんにとっても特別な時代だったようですね!

ギモンくん

篠山紀信さんの写真集「家」にはどんな写真が載っているの?

カイケツさん

写真集「家」には、古民家や古銭湯、アパートや廃墟など様々な建物の他にも、高輪にある郷ひろみさん邸宅や赤坂の迎賓館なども掲載されているよ!

40代・50代(1980年~2000年)

篠山紀信さん撮影
篠山紀信さん
引用元:シネマカフェORICON NEWS

ニューアルバムのジャケットを撮りにニューヨークに来ない?

過去の撮影で知り合っていたオノ・ヨーコさんにそう誘われたことで、篠山紀信さんは1980年(当時40歳)の米・ニューヨークで、ザ・ビートルズのジョン・レノンさんとその妻であるオノ・ヨーコさんの撮影をされました。上の画像はその時撮影され、ジョン・レノンさんの遺作となった「ダブル・ファンタジー」のジャケット写真です。

この撮影から2ヶ月後、アルバム「ダブル・ファンタジー」が発売されましたが、1ヶ月も経たないうちにジョン・レノンさんは狙撃され亡くなりました。

「不吉」とまでは言わないけど「ん?」と思ったよ。

ジョン・レノンさんの事件を受けて、そう感じていたという篠山紀信さん。当時アルバム制作期間は限られていたため篠山紀信さんは撮影のみを担当し、写真の選択や使用は依頼者でもあるオノ・ヨーコさんに任せていたそうです。その後、発売された「ダブル・ファンタジー」には、カラーで撮影されたはずの写真がモノクロで使用されていました。篠山紀信さんはアルバムの発売当時、そのことに違和感を感じていたのだとか。虫の知らせというものですね。

本アルバムは全米・全英チャート1位を獲得、グラミー賞受賞など後世に語り継がれる歴史的な1枚となりました。そのためジャケット写真を撮影した篠山紀信さんもかなり注目を集めました。

世界的に大きな反響があったため、2010年(当時70歳)には写真展「ジョン・レノン、オノ・ヨーコとともに…愛のファンタジー」が行われたり、2015年(当時75歳)には1980年当時に撮影された未公開写真を収録した写真集「DOUBLE FANTASY」が発売されるなど、篠山紀信さんが撮影したジョン・レノンさんとオノ・ヨーコさんの写真は長年にわたって愛されています。

篠山紀信さん
引用元:サンスポ

1983年(当時43歳)には川上麻衣子さんの少女ヌード写真集「暑い国 夢の国 生まれた国」で撮影を担当されました。川上さんはオファーを受けた当時17歳で、ヌードは嫌だったそうですが「篠山さんに撮っていただけるなら」と撮影を了承したのだとか。上の画像は川上麻衣子さんの生誕地・スウェーデンで撮影されたものです。

集中力のすごい方でしたね

篠山紀信さんについてそうお話しされていた川上麻衣子さん。「気分が乗らないと5分ぐらいで終わっちゃうけど、乗ると1時間以上シャッターを押し続けていた」ともお話しされていました。これだけ聞くと、篠山紀信さんはとても気難しそうな人に思えてしまいますが、そうではありません。

相手に対する善意を大切にしている。

篠山紀信さんが、あるインタビューでそうコメントされていました。写真家・カメラマンといえば”被写体にポーズなどの指示を出して撮りたい画を撮る”というイメージがありますが、篠山紀信さんは被写体に一切指示を出さないそうです。被写体との関係にとにかくこだわり、その場の雰囲気や被写体の気持ちを尊重しているからこその行動なのでしょうね。

篠山紀信さん
篠山紀信さん
引用元:日刊スポーツスポニチ

1991年(当時51歳)に撮影した女優・宮沢りえさんのヌード写真集「Santa Fe」は当時かなり話題となり、篠山紀信さんといえばこの写真集と言われるほどの代表作となりました。上の画像は写真集発売時の会見時のものです。

当時、人気絶頂だった女優・宮沢りえさんのヌード写真集ということで発売1ヶ月前に「読売新聞」や「朝日新聞」で全面広告が掲載されるなど、発売前からかなりの注目度だったのだとか。

また、篠山紀信さんは本写真集の後、数多くの女性芸能人のヘアヌード写真集を出版しましたが、本写真集は当時「ヘアヌード解禁」の初期で撮影され社会現象となりました。

それは後に国会で児童ポルノ禁止法の議論の場に例として挙げられるほどでした。撮影当時、宮沢りえさんが17歳だった可能性があるとして議論されましたが、発売当時は適法であったことと、基準が曖昧だったことから違法ではないとされました。結果的に165万部を超えるベストセラーとなり、写真集としては異例の売り上げを記録しました。

ちなみに、タイトルの「Santa Fe」は撮影地からとったものです。宮沢りえさんという聖女を撮るのだから聖地と呼べる場所で撮ろうという理由で、アートの街として知られる米・ニューメキシコ州サンタフェで撮影されました。

ギモンくん

篠山紀信さんが撮影した女優・宮沢りえさんの「Santa Fe」はどんな経緯で撮影されることになったの?

カイケツさん

篠山紀信さんは「美しいあなたを撮らせてください」という意味で女優や女性タレントに「脱いでみます?」と言うことがあったんだって。
当時、宮沢りえさんのスケジュールを管理していた彼女のお母様に「18歳になったんだからヌードでも撮ったらいいよな」と言ったところ「連休明けかな。撮るんだったら」とあっさり承諾が取れて、撮影が決まったそうよ。

60代・70代(2000年~2020年)

篠山紀信さん
引用元:CINRA

2009年(当時69歳)にはこれまでのヌード写真を厳選した写真集「NUDE BY KISHIN」が発売されました。上の画像は発売記念に開催された「NUDE!! NO NUDE!? by KISHIN」のトークショーの時のものです。

時代に合わせて新商品を開発して、皆様に提供してきているわけです(笑)

モデル・タレント・女優など幅広く活躍していた秋川リサさんを撮影した際、ヌード写真は世間的にアートという認識はなかったそうです。そもそもヌード写真は「子どもがいじめられるから」という理由で掲載NGになることも多いそうです。

そんな世間の認識を変えたのが篠山紀信さんでした。ご本人もインタビューで「アートという粉をかぶせてうまく開発したのが、この当時に私なんです。」とお話しされていました。確かに篠山紀信さんが撮るヌード写真はアートの要素が強く、アート作品として昇華した第1人者が篠山紀信さんといっても過言ではありません。

引用元:Instagram

2016年(当時76歳)には、東京都品川・原美術館で篠山紀信展「快楽の館」が開催されました。上の画像はプロレスラーのオカダ・カズチカさんのInstagramから本写真展にモデルとして参加された時のものです。

この写真展は「ここ(美術館)で全部撮って、ここに帰す」というコンセプトで、原美術館を舞台に篠山紀信さんが33人のモデルを撮影した76点もの撮り下ろし作品が展示されました。美術館内は篠山紀信さんの真骨頂とも言われるヌード写真で埋め尽くされ、イメージと現実が交差する幻想的な世界観を作り上げられていたそうです。

最後の方はせっかく来てくれたモデルさんに「展示する所がないから」って帰ってもらうくらい(笑)

篠山紀信さんはこの写真展のオファーを受けて展示コンセプトを決める時、どんどんインスピレーションが湧き、アイデアに困ることはなかったそうです。

それは原美術館が元々は個人の邸宅であったことで、その土地自体がもつ歴史や時間経過に篠山紀信さんが大きな力を感じたからで、制作は展示スペースが足りなくなるほどスムーズに行われ、僅か10日間の撮影期間だったのだとか。

また、本写真展では展示構成まで篠山紀信さんが務められました。展示の中には1980年代に篠山紀信さんがよく使った「シノラマ」(複数の写真を繋げたパノラマ写真)という手法が用いられるなど臨場感のある展示が作られました。

篠山紀信さん
引用元:歌舞伎公式総合サイト 歌舞伎美人

翌年(2017年・当時77歳)には、篠山紀信さんが40年以上にわたり撮り続けた歌舞伎の写真を1冊にまとめた写真集「KABUKI by KISHIN」が出版されました。上の画像は写真集に関してインタビューを受けた時のものです。

カメラをのぞいている中で、すごい、すごい、というときだけシャッターを切る。

篠山紀信さんは本写真集で歌舞伎の見得がきまったところやお芝居の見どころとなる綺麗な部分ではなく、歌舞伎役者がふと見せる表情や役の刹那を切り取った今までに例のない写真を掲載されました。

そんな篠山紀信さんの写真を見て「お役が写っている」「きまりの形のところでないところで、ふと見せる表情に役の人物が写っている」と語る歌舞伎俳優が何人もいるのだそうです。

歌舞伎座の一番前に座っていたって、この絵は見られません。

上の画像からもわかるように、本作品は写真集にしてはかなり大きいA3サイズの大型写真集です。これほど大きいサイズで綺麗な写真というのは技術的にもすごいそうで、歌舞伎役者の表情が細部まで繊細に写されています。

30年間フィルムカメラを愛用していた篠山紀信さんですが、歌舞伎を撮る際は暗い舞台も写せるように3台のデジタルカメラを使っており、撮影位置によって使い分けるのだとか。そうすることでこのサイズ感でも綺麗で迫力ある写真が撮れるのだそうです。

ギモンくん

篠山紀信さんが40年以上も歌舞伎の写真を撮り続けたきっかけは何だったの?

カイケツさん

当初は1970年(当時30歳)に雑誌「芸術生活」の歌舞伎特集で編集部が「若手に撮らせたら面白いんじゃないか」と提案したことがきっかけだったそうよ!
そんな歌舞伎の世界で初めて撮ってみたいと思ったのが坂東玉三郎さんだったらしいの。それが1978年に発売した写真集「坂東玉三郎」に繋がっているのね。

80代以上(2020年~2024年)

篠山紀信さん
引用元:公益代団法人 東京歴史文化財団

2021年(当時81歳)には個展「新・晴れた日 篠山紀信」が東京都写真美術館で開催されました。上の画像はその時のものです。1975年に出版された篠山紀信さんの写真集「晴れた日」を軸に、これまでの60年間に撮ってきた作品の数々が展示されました。

率直に言って私の写真じゃ、美術館が求める「まとまり」は生み出せないんじゃないかと思いました。

一般的な展覧会はテーマやコンセプトにある程度一貫しており、展覧会全体として「メッセージ性」や「まとまり」を持ったものが多いのですが、冒頭の項目でも記載した通り、篠山紀信さんの作品はヌード写真をはじめ、人物、風景、建物、歌舞伎などの被写体はもちろん、テーマや技法、使用する機材も多岐にわたります

そのため篠山紀信さんはオファーをもらった際、”篠山紀信さんという人物”の展覧会となると統一感がなく難しいのではと思ったそうです。そこで学芸員が提案したのが「晴れた日」を軸に展覧会を構成することでした。

『晴れた日』というのは、私の写真を象徴するシリーズと言えるじゃないかと、改めて気づかされました。

提案をもらってそう思ったという篠山紀信さん。そもそも写真集「晴れた日」は1974年当時、週刊雑誌「アサヒグラフ」で連載していた作品を1冊にまとめた写真集で、そのコンセプトはその週の最も旬な人や場所や出来事を、撮ってはすぐに掲載することでした。結果、個展「新・晴れた日」は壁面ごとに異なる展示がされ、多種多様な被写体を撮ってきた篠山紀信さんらしい展覧会となったそうです。

篠山紀信さん
篠山紀信さん
引用元:ORICON NEWS

篠山紀信さんは2024年1月4日(当時83歳)に東京都内の病院で老衰のため亡くなりました。上の画像は篠山紀信さんの死後、2024年12月3日の篠山紀信さんのお誕生日に行われた「偲ぶ会」の時のものです。

株式会社篠山紀信が主催し、講談社、集英社、文藝春秋など大手出版社6社の社長が発起人となって開催され、芸能関係者など総勢400人が参加したそうです。

会場には篠山紀信さんの経歴をはじめ、ジョン・レノンさん、オノ・ヨーコさんの写真など篠山紀信さんの代表作品、愛用していたカメラや手がけた写真集、表紙を飾った雑誌など篠山紀信さんの歴史を感じられる展示がいくつも並んでいたのだとか。

写真を撮りに行くときに僕の気持ちはいつも晴れてるんですよ。

会の最後には生前、篠山紀信さんが受けたインタビュー映像が流れたそうです。その映像の中でそうコメントされていた篠山紀信さん。撮る対象が何であろうと「撮ってやるぞ!」という気持ちエネルギーを持っていくそうです。「それが僕にとっては写真家として晴れた日の気持ちなんですね」とお話しされていたそうです。

ギモンくん

篠山紀信さんの偲ぶ会には誰が参加されていたのかな?

カイケツさん

司会を務めた有働由美子さんをはじめ、弔辞を読んだ野田秀樹さん、市川團十郎さん、コシノジュンコさん、水沢アキさんなど沢山の著名人が参加したみたい!

篠山紀信さんが所属する”ライトパブリシティ”には他に誰が所属してる?

秋山 晶さん
細谷 巖さん
ホンマ タカシさん
引用元上:宣伝会議オンライン、中:タウンニュース、下:The Fashion Post

篠山紀信さんの所属するライトパブリシティには、キューピーマヨネーズの広告で知られる代表取締役CEOコピーライター秋山 晶さん、代表取締役会長アートディレクター細谷 巖さんが所属しています。また、過去には写真家として篠山紀信さんと並び称されたホンマ タカシさんなどが所属していました。

【画像】篠山紀信と妻の離婚理由は?脱がせた女優は誰?

篠山紀信と妻の離婚理由は?

引用元:X

篠山紀信さんには結婚歴が2度あります。1度目は1971年(当時31歳)、元ファッションモデルであり、テレビ番組「11PM」で初代カバーガールとして絶大な人気を誇ったジューン・アダムスさんとご結婚されています。

お2人の馴れ初めは不明ですが、東京国立近代美術館の「現代写真の10人」に最年少で参加するなど、当時から写真家として注目されていた篠山紀信さん。モデルとして大活躍されていたジューン・アダムスさんとお仕事の中で接点があったのではと噂されていました。

結婚後、ジューン・アダムスさんは芸能界を引退され、お2人の間には2人の娘さんが誕生します。しかし当時、篠山紀信さんは写真家として多忙を極め、ほとんど家に帰らなかったのだとか。

そんな篠山紀信さんの多忙さゆえにすれ違いの生活が続き、お2人は1976年12月(当時36歳)に離婚されています。

篠山紀信さん
篠山紀信さん
引用元:スポニチ日刊スポーツ
篠山紀信さん
篠山紀信さん
引用元:スポニチデイリースポーツonline

2度目は離婚から3年後の1979年(当時38歳)に沖縄出身の歌手・南沙織さんとご結婚されています。当時、南沙織さんは日本レコード大賞で2度の受賞を果たすなど人気歌手として活躍されていましたが、篠山紀信さんとの結婚前年、1978年に芸能界を引退しています。

お2人の馴れ初めについては明言されていませんが、南沙織さんが歌手として活躍されていた頃のレコードジャケットを篠山紀信さんが手掛けていたことがきっかけではないかと言われています。当時、南沙織さんは25歳で篠山紀信さんとは14歳離れた歳の差婚となりました。

篠山紀信さんと南沙織さんは結婚後、イベントやパーティーにお2人で参加されるなど仲睦まじい様子がメディアで報じられていました。

ギモンくん

南沙織さんとの間にお子さんはいるの?

カイケツさん

お2人には3人の息子さんがいるの。
次男の篠山輝信さんはドラマや映画で活躍している俳優さんよ!

篠山紀信が脱がせた女優は誰?

篠山紀信さん
山口百恵さん
引用元:朝日出版社文春オンライン
引用元:XX

篠山紀信さんといえばヌード写真」と言われるほどヌード写真は篠山紀信さんを象徴するジャンルですが、特に毎回話題となるのは”女優のヌード写真”です。

特に人気が高いのは、前の項目でもご紹介した宮沢りえさんの「Santa Fe」で、”ヘアヌード”という当時の写真集ではあまり例のなかった写真と、ヌード写真集でありながら、ただただ綺麗で美しい宮沢りえさんの姿で話題となりました。また、ヌードのイメージが全くない山口百恵さんもアルバム「曼珠沙華」のジャケット写真では上半身裸で撮影されました。

他にも人気が高いものとしては異例の13歳でヌードを披露した栗山千明さんの「神話少女」や、当時交際していた羽賀研二さんとのペアヌードを披露した梅宮アンナさんの「アンナ 愛の日記」などがあります。

篠山紀信さんは他にも大竹しのぶさん、さとう珠緒さん、橋本マナミさんなど、数えきれないほどの女優のヌード写真を撮影されています。

ギモンくん

篠山紀信さんは男性のヌードも撮影したって本当?

カイケツさん

本当よ!1991年に出版された元シブがき隊・本木雅弘さんがアイドルから俳優に転身する際の写真集「white room」で男性のヌードを撮影したの。

篠山紀信さんがデビューした1963年はこんな年だった!

米・ケネディ大統領暗殺
新紙幣発行・伊藤博文肖像
三井三池炭鉱大爆発
引用元:BBC NEWS JAPANtys NEWS産経新聞

篠山紀信さんがデビューした1963年は、「米・ケネディ大統領暗殺」、「新紙幣発行・伊藤博文肖像」、「三井三池炭鉱大爆発」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語は、「OL」やコメディ時代劇「てなもんや三度笠」から「あたり前田のクラッカー」が流行しました。

篠山紀信のプロフィール・SNS

篠山紀信さん
引用元:日刊ゲンダイDIGITAL

プロフィール

  • 名前:篠山紀信(しのやま きしん)
  • 本名: 篠山紀信(しのやま みちのぶ)
  • 生年月日:1940年12月3日
  • 年齢:享年83歳(2024年1月4日)
  • 出身地:東京都
  • 所属事務所:ライトパブリシティ

SNS

シノヤマネット(篠山紀信さんの3万点を超える写真と映像作品の公式配信サイト)

ギモンくん

篠山紀信さんがそもそも写真家になったきっかけは何だったの?

カイケツさん

大学受験の時、第一志望だった大学には入れず、衝動的に日本大学芸術学部写真学科に出願して入学したことがきっかけみたいね!当初は写真に興味はなかったらしく、写真学科に入学したからには写真家になろうとその時、決心し日大と並行して写真の専門学校にも通っていたんだって。
写真学科に入ったのは偶然でも、在学中に広告写真家教会展APA賞を受賞するなど、元々素晴らしい才能を持っていたのね!

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