ザ・ドリフターズとして日本のお笑い回を牽引し続けた志村けんさん。
2020年に新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなるまで、数多くのバラエティ番組で活躍してこられました。ご自身の名前がタイトルとなった冠番組も多く、志村けんさんのコントは、その面白さと人柄で、現在もたくさんの人に愛されました。
今回は志村けんさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】志村けんは若い頃イケメン!
10代・20代(1960年~1980年)
引用元:サンスポ
志村けんさんは、高校卒業間近の1968年2月(当時18歳)、ザ・ドリフターズ・リーダーのいかりや長介さんの家に押しかけ弟子入りを志願します。
「帰宅すると勝手に居ただけで待っててくれと言った覚えはない」
いかりやさんの帰宅を12時間待ち続けるも弟子入りを断られますが、それでも粘り続けた志村さんの根性が買われ、「ボーヤ(付き人)」が辞めてメンバーに欠員が出たらに空きが条件で仮採用となります。その後、正式にドリフターズのボーヤ(付き人)としてキャリアをスタートさせます。
1972年(当時22歳)には、お笑いコンビ「マックボンボン」を結成し、「志村健」として芸能界デビューを果たしますが、うまくいかずドリフの付き人に戻ったそうです。その後、ザ・ドリフターズの冠番組「8時だョ!全員集合」に「見習い」として参加されます。
1974年(当時24歳)荒井注さんの脱退を機に、ザ・ドリフターズの正式メンバーになりました。上の画像は、志村さんが正式メンバーとなった後の「8時だョ!全員集合」の写真です。
引用元:Youtube
コントでは負けなしの印象が強い志村けんさん。そんな志村さんにもスランプと言われた時期がありました。
ザ・ドリフターズの正式メンバーとなってからの約2年、新人だったということもあり、ネタ全くがウケず悩んでい他のだそうです。それも番組視聴率が裏番組に抜かされ、1ヶ月近く番組を降板するほど。
そんなスランプから抜け出したきっかけは志村さんの「東村山音頭」でした。上の映像は「東村山音頭」を歌い踊る志村さんとドリフターズのメンバーです。
「東村山音頭」は日本中で大ヒットしドリフターズを再び日本のお笑い界の頂点に押し上げました。その後、加藤茶との「ヒゲダンス」や童謡「七つの子」の替え歌「♪カラスの勝手でしょ〜」で志村さんの名前は一躍有名になりました。
引用元:BSフジ
引用元:Youtube
1977年(当時27歳)には「8時だョ!全員集合」に並ぶザ・ドリフターズの冠番組「ドリフ大爆笑」が放送開始となりました。上の画像はその時の写真、下の映像はザ・ドリフターズ結成60周年記念して放送された「ドリフ大爆笑〜国民が選ぶベストコント60〜」の番宣です。
「ドリフ大爆笑」は各回ごとにテーマが設定されており、そのテーマに沿ったコントが披露されました。前半部分はコント数本、後半部分はコントとゲストによる歌という構成で、1998年4月までは月に1回の放送でしたが、同年5月からは不定期放送となりました。
「俺あんまり馬で良い思い出ないんだよ」
ドリフの中でも特に仲が良かったという加藤茶さんとは、1981年に競馬のノミ行為で書類送検されたことを馬を使ってボケるなど志村さんをいじる場面があったのだとか。
ノミ行為とは
競馬・競輪などで、法律によって指定されている団体または地方公共団体以外の者が、馬券・車券などを発売するなどの行為を行うこと。
引用元:コトバンク
じゃんけんの「最初はグー」を広めたのが志村けんさんというのは本当?
本当よ!「8時だョ!全員集合」のコント内で使用したことで、子どもたちに広まり、今では子供から大人までみんなが使うようになったの。
思いついたきっかけは、仲間内で飲み代の支払いをじゃんけんで決めようとなった時、全員酔っ払っていたため「最初はグーで合わせよう」となったところかららしいよ。
30代(1980年~1990年)
引用元:お笑いナタリー
1986年(当時36歳)には志村さんが所属するイザワオフィスが企画・制作したお笑い時代劇バラエティ番組「志村けんのバカ殿様」が春・夏・秋の年3回、単発の特別番組としてスタートしました。
この番組は志村さんの冠番組の1つで、もともとザ・ドリフターズとして出演していた「8時だョ!全員集合」や「ドリフ大爆笑」で披露されたコント「バカ殿様」を独立番組として放送したものです。番組内では、志村さんの代表コント「変なおじさん」「ひとみばあさん」なども披露され、各コントには数々の有名ゲストが参加されました。
上の画像はバカ殿様姿の志村さんです。同番組には筆頭家老として桑野信義さんや側用人としてダチョウ倶楽部さんなどが出演されていました。
「おまえら最近コントやってないだろ?『バカ殿』に呼んでやるよ」
ダチョウ倶楽部の上島竜兵さんが志村さんとお酒を飲んでいた時、そう声をかけられたことが「バカ殿」出演のきっかけになったそうです。
上島さんは初出演時、自分の出演していないシーンでもバカ殿姿のままで自分たちを見守る志村さんに、「すごい緊張しましたね〜。」と振り返っていましたが、志村さんは和ませるつもりだったのだとか。
お酒の席の社交辞令で終わらせず、出演者への気遣いも忘れない志村けんさん。慕われる理由がわかりますね!
引用元:Youtube
1987年(当時37歳)にはこちらも志村さんの冠番組の1つのお笑いバラエティ番組「志村けんのだいじょぶだぁ」が放送開始となりました。上の映像は2020年に放送された回の宣伝映像です。志村さんを代表するコントが盛りだくさんですね!
この時期志村さんは、「加トちゃんケンちゃんのごきげんテレビ」など複数の番組に並行して出演しており、週6日はスタッフや共演者と飲みに行っていたそうです。
「『俺は本当はこうしたい。こういうコントがやりたい』って、スタッフたちにわかってもらうための場だよね。」
志村さんにとってお酒の席は、スタッフや共演者にやりたいことや伝えたいことを伝える場だったそうで、その機会を大切にするあまり、1日3時間しか睡眠時間が取れないことも多々あったそうです。演出家の視点で、カメラマンや照明さんをはじめ、ディレクターにも口を出して放送順まで考えられていたのだとか。
視聴者に笑いを届けることに徹底的にこだわり続け、努力し続けたからこそ、志村さんのコントはこんなにも長く愛されてきたのですね!
志村さんのコントにはアドリブもあるのかな?
志村さんのコントでは、アドリブに見える部分も、実はしっかりと計算して作り出された笑いなのだそうよ!
インタビューで「とにかくリハーサルで、みんな思いつく限りのアドリブをやるんですよ。」とコメントされていて、それをスタッフにも共有して、本番はアドリブ一切なしなんだって。
40代(1990年~2000年)
引用元:お笑いナタリー
1998年(当時48歳)には笑福亭鶴瓶さんと2人の冠番組「志村&鶴瓶のあぶない交遊録」というバラエティ番組がスタートしました。本番組は、毎年1月2日に放送する新春特別番組で、2021年まで23年間続いた長寿番組です。
「年に1回、この番組でしか鶴瓶師匠ともナインティナインの2人とも会わないのですから、ほかにない特別な存在の番組です。」
お笑い業界の大御所である志村けんさんと笑福亭鶴瓶さんという珍しい2ショットが見られるこの番組。志村さんにとっても特別な思い入れがあったようですね!
上の画像は2018年放送の「志村&鶴瓶のあぶない交遊録21」で、ナインティナインのお2人を迎えて、毎年恒例の英語禁止ボウリングをしている時の写真です。志村さんは20年続いた秘訣についてインタビューにて、
「ただアホらしいことを真剣にやってきたからかな(笑)。あとはやはり「英語禁止ボウリング」があるからですかね。若いエキスがほしいので、毎回もう真剣!」とお話しされていました。
2020年に志村けんさんが急逝されたことを受け、2021年に最終回を迎えました。
翌年2022年には「志村&鶴瓶のあぶない交遊録」の意志を継いで、笑福亭鶴瓶さんとコーナーレギュラーだったナインティナインのお2人で「鶴瓶&ナイナイの体当たりカレンダー」、2023年には「鶴瓶&ナイナイのちょっとあぶないお正月」が放送されました。
引用元:スポニチ
過去にザ・ドリフターズとして2本の映画に出演した志村けんさん。1999年(当時49歳)には映画「鉄道員(ぽっぽや)」に出演し、高倉健さんや大竹しのぶさん、広末涼子さんなど豪華キャストと共演されました。志村さんは、本作が映画単独初出演となりました。
映画「鉄道員(ぽっぽや)」は、第16回日本冒険小説協会大賞特別賞、第177回直木賞を受賞したベストセラー小説を映画化した作品で、高倉健さん演じる、一人娘を病気で失い妻にも先立たれ、孤独な生活を送る主人公・佐藤乙松が廃線寸前のローカル線・幌舞線の幌舞駅の駅長をしており、そんな彼に起こる優しい奇跡の物語です。
上の画像は志村さん出演シーンの写真です。本作で志村さんは、閉山した炭鉱から、長期間石炭が掘れるからと幌舞へ移住しきた期間工の炭坑夫で、酒癖が悪く、幌舞炭鉱事故で亡くなります。わずか5分ほどの回想シーンですが、インパクトのある重要なシーンとなっています。
実は当初、俳優として映画に出演することに気乗りしなかったという志村さん。
コントやお笑いのイメージを大切にしたいという思いから、なかなか気が進まなかったそうですが、志村けんさんの自宅の留守番電話に、高倉健さんから出演依頼のメッセージが残されており、「健さんの指名ならば」と出演を決めたそうです。
志村けんさんは死亡説が広まったことがあるの?
1996年、志村さんが当時46歳の頃「栃木県の県立がんセンターでがんで亡くなった。」と噂になったことがあるよ!
ちょうど番組が終了したタイミングで、メディア露出が減ったこととよく通っていたゴルフ場が栃木県立がんセンターの近所だったことが理由らしいよ。
50代以上(2000年~2020年)
引用元:女性自身
引用元:instagram
2004年(当時54歳)には、人気グループ・嵐の相葉雅紀さん、タレントの山瀬まみさんとともにMCを務めた冠番組「天才!志村どうぶつ園」がスタートします。”どうぶつ園”というタイトルから総合司会を務めた志村けんさんは園長と呼ばれており、相葉雅紀さんは飼育係、山瀬まみさんは秘書という位置付けでした。
上の画像はMCのお3方の写真で、下の投稿は番組コーナーで登場したチンパンジーのパンくんとの写真です。志村さんはパンくんをとても可愛がっており、パンくんシリーズは番組内でも非常に人気のコーナーでした。
「動物は、自分を心の底から愛してくれる人を見抜く。別れ際、志村さんにしがみつき、後を追うほどでした」
そうコメントされていたのはパンくんがいる「阿蘇カドリー・ドミニオン」の宮沢園長です。2016年に発生した熊本地震後も仲間タレントと園を訪れたり、動物用のおもちゃを持って駆けつけるなど、復興を支援されていたそうです。志村さんの動物好きな一面と人への愛に溢れた人柄がうかがえますね!
志村けんさんが急逝されたことを受けて、「天才!志村どうぶつ園」は16年半の歴史に終止符を打ちましたが、現在は放送曜日や時間をそのままに「I LOVE みんなのどうぶつ園」とタイトルを改め、相葉雅紀さんをMCにリニューアルした番組がスタートしています。
引用元:Youtube
2016年(当時66歳)には「キリン氷結」のプロモーション企画で、東京スカパラオーケストラに期間限定加入し、三味線でCMソング「Paradaise Has No Border」を演奏されました。
上の映像はWeb限定スペシャルムービーです。真剣に三味線を披露する姿は新鮮ですよね!
「これまで密かな趣味として、腕を磨いてきた大好きな三味線を披露する機会を探していました。」
当時は、東京スカパラオーケストラが謎の三味線奏者・KEN from EVMとコラボレーションするとして話題になっていました。その正体について、スカパラメンバーが「変なおじさん」と言っていたことから「志村けんさんなのでは?」と推測されていました。
しかし、なぜKEN from EVMなのか、というと「East Village Mountain」志村けんさんの出身地・東村山に由来しているのだとか。
「今回、キリンさんにお声がけいただき、スカパラさんのナウいバンドと僕の渋い三味線による新しくてかっこよくてアイ〜ンなコラボレーションが生まれました。」
とWebムービーにも登場したバカ殿様のネタも織り交ぜたコメントをされていました。
引用元:朝日新聞デジタル
引用元:ORICON NEWS
2020年(当時70歳)には、志村けんさんの遺作となったNHK連続テレビ小説「エール」に出演されました。上の画像は志村さんの本編出演シーンの写真です。本作は新型コロナウイルス感染拡大の影響を受け、一時は放送中止を余儀なくされるなど、NHKの朝ドラでは異例の長期放送となりました。
志村さんは、日本を代表する西洋音楽の大物作曲家・小山田耕三を演じられました。
「僕の出ているシーンは困ったことにあまり笑いがないんですよ。」
志村さんが演じた小山田耕三は、窪田正孝さん演じる主人公・古山祐一の類稀なる作曲の才能に気づき、コロンブスレコードに専属作曲家として推薦しますが、その活躍ぶりに自身の地位を脅かされるのではないかと恐れているという、お笑い一筋のいつもの志村さんとは異なるシリアスな役どころでしたが、「ついつい何かしたくなっちゃう(笑)」とコメントされていました。
残念ながら志村さんは本作撮影期間中(2020年3月)に新型コロナウイルスによる肺炎で急逝されたため、以降の未撮影シーンに関しては代役は立てず、ナレーションを使って登場させる形がとられました。
「エール」の最終回には志村さんが出演していたって本当?
本当よ。それが下の画像。
最終回の回想シーンに鏡越しの志村さんの映像が使われたの!
チーフ演出を務めた吉田照幸さんによると、「偶然撮れたオフショットで、誰かがNGを出した時に、思わず笑ってしまった時の顔なんです。」だそう。奇跡的に撮れたこのショットは、鏡越しの映像だからこそ採用されたんだって。
【画像】志村けんといしのようこの関係は?恋愛遍歴がすごい!
志村けんといしのようこの関係は?
引用元:文春オンライン
引用元:ナタリー
1987年からスタートした大人気番組、「志村けんのだいじょうぶだぁ」。志村けんさんの相手役として抜擢されたのは、歌手石野真子さんの妹、いしのようこさんでした。いしのようこさんが出演していたドラマを志村けんさんがたまたま見て、気に入ったそうです!
いしのようこさんは最初「コントなんて無理」と、丁重にお断りしようとしたそうですが大物コメディアンからのオファーだからと、しぶしぶ出演したそうです。志村けんさんは、「この子はよく笑うし、セリフの間がいい。笑いの素質あるよ」と、いしのようこさんを評価し、「志村けんのだいじょうぶだぁ」で、相手役に抜擢!志村けんさんとの息の合った掛け合いを見せてくれました!
そして、1990年、お二人は、18歳差交際と報じられました!1991年の夏には、東京都内にある志村さんの自宅から二人そろって仕事へ向かう現場を週刊女性がキャッチ。記者の「彼女は恋人ですか?」という問いかけに、志村さんはうなずきながら「うん!」と交際を認めましたが、その後1年くらい同棲をしていて、ご両親にも挨拶をすませ、「いよいよ結婚か」というタイミングでお別れしてしまったようです。
志村けんさん自身は過去、「自分の芸のことで頭がいっぱいだから、ほかのことで気を遣いたくないし、エネルギーも注げない。だから女性とも、付き合い始めた頃は楽しいけれど、申し訳ないことに、だんだん面倒くさくなってくる」と明かしていました。
また、いしのようこさんもテレビ番組にて、今までの人生で結婚を考えたことは「一回もないです」ときっぱり話しており、「結婚と好きな人は別。お付き合いした人もいるけど、結婚は考えたことない」と言っていたことから、もしお付き合いが続いていたとしても、結局結婚までには至らなかったのかもしれないですね。
お二人は、本当の夫婦のように信頼しあってる感じだったけど、喧嘩とかしたこと無かったのかな?
いしのようこさんは、フジテレビ「ぽかぽか」という番組にゲスト出演した際に、しょっちゅう喧嘩をしていたと明かしていたよ!それに、志村けんさんに、「お前、こえーよ!」とよく言われたそうだよ!
可愛らしいおっとりした印象のいしのようこさんからは、想像つかないよね!
志村けんの恋愛遍歴がすごい!
志村けんさんは、ドリフターズのメンバーで、唯一生涯独身を貫いた方でした。そして、恋多き人生でもありました。
交際が取り沙汰されてきたのは、先ほどお伝えした女優いしのようこさんの他、歌手大滝裕子さん、歌手渡辺美奈代さん、タレント優香さん、タレントみひろさんなど多くの方の名前が噂されています。
引用元:テレビ朝日(2020年3月25日放送)
志村けんさんはザ・ドリフターズ時代、当時アイドル歌手だった大滝裕子さんと出会い、大滝さんの明るさを気に入って“付き合おう”と告白し付き合い、大滝さんの両親にも挨拶するなど、結婚を前提に交際していたそうですが、志村さんが「好きな人ができた」と言ったことで破局に至ったそうです。
志村さんは「好きなんだけど、こっちの子もいいなって…言っちゃったんだろうね」と破局の真相を振り返っていたそうです。「女好き」で知られる志村さんらしいエピソードですね。
引用元:X、デイリー志村けん結婚かぁ〜 #志村けん #優香 #結婚 #エイプリルフール #ドリフ pic.twitter.com/5fGh4VD8zq
— isoppu (@hearts_kk) April 1, 2015
多くの女性と浮名を流し、若い女性とデートを楽しむ姿が多く報じられた志村さんでしたが、優香さんだけは別格の存在だったそうです。志村さんと優香さんは、他の出演者やスタッフと一緒に飲みに行くことは何度もありましたが、プライベートで2人だけで飲みに行ったりするようなことはなかったそうです。
上記のXの画像は特番のコントで、優香さんと本物さながらの結婚式を挙げた時のものです。優香さんの白無垢を見た志村さんは、「夢のような話。なんなら、このまま婚姻届を出してもいいんだよ」と感動した様子だったそうです。優香さんとの関係は、両想いではなく、志村けんさんの片思いだったのではないでしょうか。
引用元:FRIDAY
引用元:smartFRASH
また、夜遊び好きとも知られ、東京・麻布十番のガールズバーや六本木のクラブなどに通い詰めていたそうです。「志村さんは酔うと好みの女性にチューする癖がある。志村さんのチュー写真は、この世の中に何枚存在するかわかりません」とも明かされています。
それでも、芸能界きってのモテ男だった志村けんさん!やはり人柄の良さ、優しい雰囲気が女性を惹きつけるのかもしれませんね!
モテモテの志村けんさんだけど、芸能界入る前はどうだったのかな?
志村けんさんは、高校時代、バンドをやっていて、校内でも目立つ存在で、当時からモテモテだったようだよ!
そして、当時から年下好きだったみたい!
志村けんのプロフィール・SNS
引用元:Instagram
プロフィール
- 名前:志村けん(しむらけん)
- 本名: 志村康徳(しむらやすのり)
- 生年月日:1950年2月20日
- 年齢:70歳没(2020年3月29日)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:三味線
- 特技:料理
- 所属事務所:イザワオフィス
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/bakatonoshimura?lang=ja
#ザドリフターズ 展🏵️新潟会場 情報🎀
— ザ・ドリフターズ展 (@thedriftersten) July 24, 2024
8/7~8/21 新潟伊勢丹・6階催事場にて開催😍
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是非前売券をご購入下さい🫶 #ドリフ展
詳しくはHP⇨ https://t.co/Lr6EEDUkVw
- Instagram URL:https://www.instagram.com/ken_shimura_bakatono67/
志村けんさんは、料理が得意とのことだけど、どんな料理を作るのかな?
志村けんさんは、「俺は酒を飲む分、健康にはこだわってる」と言っていて、朝ご飯は極力自分で作っていたようだよ!
得意料理は、ごぼうの炊き込みご飯、アサリの味噌汁なんだって!
2003年にはレシピ本「これでカラダだいじょうぶだぁ~!―志村けんのズボラ健康術」を出版していて、血液サラサラ、中性脂肪減少、ストレス解消など、さまざまなテーマの健康メニューを提案していたんだって!
さすがだね!