ドラマ・映画・舞台・声優・歌手など幅広く活躍を続けている大竹しのぶさん。
1973年のデビューから持ち前の可愛らしい愛嬌と演技派と称される高い演技力で、絶えず話題作に出演し、60歳を超えても変わらずアクティブに活動を続けてきました。
今回は大竹しのぶさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】大竹しのぶは若い頃かわいい!
10代(1967年~1977年)
引用元:instagram
大竹しのぶさんは、東京都出身で、1男4女の3女として生まれました。小学生時代、父親が結核になったことをきっかけに1度埼玉県に転居しますが、中学2年性の頃には東京に戻り、その後は東京都江戸川区で育ちました。上の画像は大竹しのぶさんが中学生の頃の写真です。面影ありますよね!
大竹しのぶさんといえば、瞬時に涙を流すことができたと言われる演技は女優として知られていますが、そのルーツは学生時代にありました。大竹さんは小学生でシェイクスピア「じゃじゃ馬ならし」、中学生で「リア王」を読破し「なんておもしろいんだろう」と思ったそうです。
中学2年生には「リア王」を20分程度の演劇にして文化祭で披露したのだとか。台本や構成まで大竹しのぶさんが担当し、1つの演劇を完成させました。これが女優というお仕事に繋がったのかもしれませんね。
しかし、当時は女優になることは全く考えておらず、お父様が教師をしていたこともあり、「父のような生徒に好かれる先生になりたいな」と思っていたそうです。
NHKの「大竹しのぶ サイコロ回顧録」では、「本当に勉強にもクラブ活動にも遊びにも、毎日、毎日、毎日本当にもう全身全霊で、人生楽しんでいた時期でしたね。」と学生時代を振り返っています。
引用元:instagram
1973年(当時16歳)にドラマ「ボクは女学生」のヒロイン役に起用され、芸能界デビューを果たします。上の画像はご本人のinstagramに投稿された当時ものです。変わらず可愛らしいですよね!
フォーリーブスの北公次さん主演の本作はヒロイン役が一般公募で選ばれました。元々北公次さんのファンだった大竹さんはこのオーディションに応募し、見事にヒロイン役を勝ち取りました。
「撮影所は、思っていたのと全く違って、騒々しくて、男性ばかりでちょっと怖かった記憶があります。」翌日から始まった撮影をそう振り返っていた大竹しのぶさん。
憧れだった北公次さんを間近でみて「当時20円くらいの、ジャムパンを食べていたのが衝撃的だった」とinstagramで明かしており、初めての撮影に緊張や不安よりも先にそんな感想がくるところも大竹しのぶさんらしいですよね!
引用元:X#ラジオ深夜便
— maripon (@maripon009) October 8, 2020
青春の門 織江
大竹しのぶさん 吉永小百合さん
大物女優ばかり pic.twitter.com/VHNBQQuCq2
引用元:LEONオフィシャルWEBサイト
「ボクは女学生」で芸能界デビューを果たした大竹しのぶさん。その後も、同監督作のドラマ「ボクは恋人」やNHKの連続テレビ小説「水色の時」ヒロイン役に起用され、ファーストシングル「みかん」で歌手デビューをするなど、どんどん知名度を上げていきました。
1975年(当時18歳)には映画「青春の門 筑豊篇」で映画デビューを果たします。
本作で大竹しのぶさんは、第18回ブルーリボン賞新人賞、第49回キネマ旬報ベスト・テン助演女優賞を受賞しました。上の画像は劇中出演シーンとブルーリボン賞受賞の時のものです。
当時撮影していた筑豊のロケ現場で宿泊していた青桐旅館に原作者・五木寛之さんが訪れた際、「中学生?」と聞かれ「高校生です!」と頬を膨らませて答えたなんてエピソードもあったそうです。
大竹しのぶさんはデビューからかなり多忙だったようだけど、大学進学はしたの?
高校卒業後、桐朋学園大学短期大学部(現:桐朋学園芸術短期大学) 演劇専攻科に入学しているよ!
具体的な時期はわからないけれど、多忙なためか中退したそうよ。
20代・30代(1977年~1997年)
引用元:X43年前の第1回放送。総合司会は欽ちゃんと大竹しのぶ。当時のテーマは『寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!』タモリさんも街頭で募金を募ってました。エンディングには黄色いTシャツと白い短パンでなぜか聖火ランナーとして登場。
— 片吉 (@s_tvsp) August 22, 2021
【1978年8月26日・27日】#想い24時間テレビ pic.twitter.com/IJldFV7UGj
1978年(当時21歳)には第1回24時間テレビのパーソナリティを務めました。上の投稿は当時の映像を切り取ったもので、第1回放送では同じくパーソナリティを務めたお笑いタレント・萩本欽一さんやランナーとしてタモリさんも出演していました。
当時はマラソンや「サライ」など24時間テレビ定番の演出はなく、日本テレビ開局25周年を記念した特別番組という位置付けだったため、1回きりの放送予定だったそうです。
「『お願いします』っていうことに対して、小っちゃい子がいっぱいお金を持って来てくれるんですよ」
「寝たきり老人にお風呂を!身障者にリフト付きバスと車椅子を!」というテーマで放送された本番組は、最終的に11億9000万円ほどの募金を集め、2011年に破られるまで33年に渡り最高募金額を記録しました。
2021年に出演した番組内で「私たちが街に出たら、子どもが追いかけてきて。だから(放送が終了した)次の日も、タクシー乗ったらいけないんじゃないかと。」と当時を振り返っていた大竹しのぶさん。テレビの影響力にかなり驚いたようですね。
それほど当時24時間テレビは話題になり、番組継続を願う声が多かったこともあり、今(2024年現在)では知らない人はいない毎年恒例の番組となっています。
引用元:ORICON NEWS
1986年(当時29歳)にはのちに結婚する明石家さんまさんとドラマ「男女7人夏物語」で共演しました。上の画像はお2人の共演シーンです。
本作はトレンディドラマの元祖と言われ、最高視聴率は驚異の31%を超えたそうです。ドラマ内では明石家さんまさん演じる今井良介と大竹しのぶさん演じるヒロイン・神崎桃子の掛け合いも話題になりました。
若者の自由恋愛や女性の社会進出など当時の様々な社会問題をテーマに描き、大学の社会学の講義でよく取り上げられたという本作。メインキャスト7人がブーツグラス(長靴を模したグラス)でビールを飲むシーンは当時の若者の間で大流行し、社会現象となりました。
「この時は1時間しか寝てなかった」
ドラマ本編の放送終了後、「さんま・しのぶのなんでもトーク(評判編)」で撮影時のエピソードを話していた大竹しのぶさん。撮影スケジュールが多忙だったこともあると思いますが、当時の夫・服部晴治さんが余命宣告を受けていたことも理由の1つだったそうです。
引用元:TVer
翌年1987年(当時30歳)には、「男女7人夏物語」の大ヒットを受けて続編となる「男女7人秋物語」が放送されました。上の画像はその時のものです。「人とふれあうことの難しさ」をテーマに、前作の1年後描かれました。今作でも引き続き、最高視聴率36.6%という高視聴率を記録しました。
主演の明石家さんまさん、ヒロインの大竹しのぶさんの他、片岡鶴太郎さんのみ前作から続投で、他キャストは全て入れ替えての放送となりました。
大竹しのぶさんは歌手としても有名だけど、当時から歌が上手かったの?
当時から歌はかなり上手かったみたい!ファーストシングル「みかん」でも見事な歌声を披露しているの。
でも、1977年(当時20歳)の頃、みんなのうたでは「雪のわすれもの」を歌唱するもキーが合わず「我ながら下手だなあ」と思ったそうよ。当時のTBSの守衛さんにも「歌はヘタだねー」と言われたことをラジオで明かしていたわ。
40代・50代(1997年~2017年)
引用元:X#絶対に勧められないオススメ映画
— ️️️✂おもち🌸 (@omochiomochi916) August 15, 2024
めちゃくちゃ怖いけどめちゃくちゃ面白い
サイコホラーの最高峰だと思う
大竹しのぶさんも西村雅彦さんも内野聖陽さんもみんな天才#黒い家 pic.twitter.com/SPP1VkWvxr
引用元:YouTube
1999年(当時42歳)にはホラー映画「黒い家」に出演されました。本作は貴志祐介さん原作の大人気ホラー小説を映画化した作品で、2007年には韓国でリメイク版が公開されるています。
「この人間には心がない」というキャッチコピーで保険金殺人がテーマの本作は、1997年の第4回日本ホラー小説大賞を受賞した話題作です。上の画像は劇中シーンを切り抜いた投稿と本編予告映像です。予告映像だけでもかなり怖そうですよね!
大竹しのぶさんは本作で、ふんわりとした喋り方ながら、何を考えているか分からないサイコパス夫婦の妻役を演じています。幽霊や殺人鬼の類は一切出てこず、リアルな人間の恐ろしさを感じる作品で、視聴者からは「大竹しのぶに対するイメージが180度変わった」など、これまでの大竹しのぶさんの柔らかく優しいイメージを覆す怪演を見せました。
本作で大竹しのぶさんは、第21回ヨコハマ映画祭主演女優賞、第54回毎日映画コンクール女優主演賞、第23回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞されています。
引用元:KAAT 神奈川芸術劇場
引用元:Youtube
大竹しのぶさんは2007年(当時50歳)に、舞台「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」でミュージカル初主演を務めました。1979年にはブロードウェイでも公演され、数々の賞を受賞している人気ミュージカルです。上の画像は大竹しのぶさんにとって初演となった2007年公演の時のもので、下の映像は2011年(当時54歳)で再演した際の予告映像です。
本作は19世紀のイギリス・ロンドン、フリート街を舞台に繰り広げられるミュージカルです。無実の罪を着せられ流罪となった理髪師ベンジャミン・バーカーが15年ぶりにロンドンに舞い戻って妻と娘を奪った判事への復讐を誓い、スウィーニー・トッドと名を変えて再び理髪店を始める、いわゆる「復讐劇」です。
「演劇の現場だとなかなか役者同士で遠慮があったり、打ち解けるのに時間がかかったりすることもあるのですが、一緒に歌を歌うだけで、すぐ仲良くなれる。新鮮だったし、楽しくてたまらなかったです。」
大竹しのぶさんは、2007年公演の際、初めて稽古場に行った時の感想を後のインタビューでこうコメントされており、初めてのミュージカル主演にも関わらず、緊張よりも楽しみが先に来ていたようですね!
引用元:ステージナタリー
大竹しのぶさんにとって初演となった2007年(当時50歳)から2011年(当時54歳)、2013年(当時56歳)、2016年(当時59歳)と公演を重ねて来た舞台「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」。
2024年(当時67歳)には約8年ぶり、5度目の公演を行いました。2007年から共に舞台を作り上げて来たスウィーニー・トッド役の市村正親さんとはゴールデンコンビと称されるほど息の合ったお芝居を見せていました。上の画像は2024年公演の時のものです。
ちなみに、ゴールデンコンビ復活でかなり話題となったのには理由がありました。実は大竹しのぶさん、市村正親さんコンビは2016年がファイナル公演とされていました。それが8年ぶりに復活したため大きく注目されました。これには大竹しのぶさんも「ファイナルと言いながら騙している気分」とお話しされていましたが、名コンビの復活はファンにとってはとても嬉しいですよね!
引用元:ORICON NEWS
2016年(当時59歳)には映画「後妻業の女」で主演を務めました。上の画像は劇中のワンシーンです。
本作は”金銭的に裕福な男の後妻になり全財産を奪う”というタイトル通り後妻になることを生業にする女の物語で、大竹しのぶさんは後妻業の女・小夜子を演じました。40代から今までイメージをガラッと変える怪演を見せて来た大竹しのぶさんですが、本作でもその演技力の高さを発揮しています。
「私をイメージして書かれたというのは、複雑ですよ。人をだます、嫌な、むちゃくちゃな女だし…。失礼ですよね(笑)」
「稀代の悪女」と言われれる小夜子を演じた大竹しのぶさん。実は本作の脚本は大竹しのぶさんに当て書きされたのだとか。共演した豊川悦司さんも「この役やれるのは大竹さんしかいないですよ。」とコメントされており、大竹しのぶさんの演技力への信頼感が伺えますよね!
本作で大竹しのぶさんは、第59回ブルーリボン賞主演女優賞、第40回日本アカデミー賞優秀主演女優賞を受賞されています。
大竹しのぶさんは紅白歌合戦にも出演したことがあるの?
あるよ!2016年(当時59歳)に舞台「ピアフ」で演じたフランスのシャンソン歌手、エディット・ピアフの代表曲「愛の讃歌」で初出場を果たしたの。リハーサルから本番さながら圧巻のパフォーマンスを見せていたそうで、涙を浮かべながら歌うシーンもあったんだって。彼女はその理由を「芝居の時のように歌うのか、自分として歌うのか、分からなくなっちゃう」と語っていたらしいよ。
60代以上(2017年~)
引用元:上:サンスポ、下:日刊スポーツ
引用元:instagram
大竹しのぶさんは2021年(当時64歳)には、新型コロナウイルスにより延期されていた2020東京オリンピックの閉会式に登壇されました。上の画像は閉会式に登壇された時のものと、登壇後の投稿です。
国立競技場で行われた閉会式では、聖火納火の大トリを務め、「未来が明るいものであるように」と願い込めて宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりの夜」を子ども達と共に歌唱しました。ですが、新型コロナウイルスの感染拡大が騒がれる中での開催に複雑な心境をinstagramで明かしていました。
「私自身、今この時の開催に、全く疑問がなかったわけではありません。制作側のお話を聞いた上で考え、選手の皆さんの5年間を想い、明日に繋がる力になればと舞台に立ちました。」
大竹しのぶさんのファンからは「お疲れ様でした」「素敵な歌声でした」と労いの声が上がる一方で、開会式以上に地味な演出に海外メディアでは「まるで葬式」と報じられたり、海外選手が続々と引き上げていく様子に「大女優に恥をかかせた」などと辛辣な評価もあったようです。
引用元:上:disney、下:YAHOO!JAPANニュース
引用元:instagram
2024年(当時67歳)には、ディズニー&ピクサー映画「インサイド・ヘッド2」にてカナシミ役の声を担当されました。上の画像はインタビュー時の写真と、大阪で行われたキャンペーンの際の投稿です。
「インサイド・ヘッド2」は公開から3週間たっても週末の観客動員ランキングで2週連続1位を記録し、「大人にこそ観てほしい」「共感・感動した」と高い評価を得ました。
「今回はわりと叫び声とかうめき声が多かったのでそれは少し難しかったです(笑)」
話すスピードが他キャラクターに比べるとゆっくりで、言葉数も少ないため、アフレコ時はそれほど苦戦することはなかったという大竹しのぶさんですが、インタビューでは前作とは少し違ったカナシミの表現に少し戸惑ったとお話されていました。
引用元:cinema cafe
ちなみに前作「インサイド・ヘッド」は、2015年(当時58歳)に公開され、大竹しのぶさんは同役・カナシミを演じました。上の画像は2015年、映画公開直後のインタビューの時のものです。
インタビューでは「とにかく後ろ向きで、少し甘えん坊。いつもそばにヨロコビがいてくれる安心感のせいで、やっかいな性格だけど、カナシミを演じながら、私自身は悲しむことに快感を覚えていましたね(笑)」とお話しされています。
共演した竹内結子さんも「大竹さんの演技が、カナシミを一層愛おしい存在にしてくれます」とコメントされていて、お2人にとってキャラクターの存在が大きく大切なものになっていることが伺えますね!
大竹しのぶさんは60歳を超えても変わらず綺麗でアクティブな印象だけど秘訣はあるのかな?
とあるインタビューで、60歳を迎えることが「すごく嫌だった」とお話しされていたんだけど、60歳を過ぎたことによる衰えや気持ちの変化は特に感じなかったんだって。海外では歳や見た目が若いことはあまり重要視されないから「年齢にこだわらないで生きたいな」と思っているそうよ。結果、その考え方が若さ秘訣に繋がっているのかもしれないね!
大竹しのぶさんが所属する”有限会社エスター”には他に誰が所属してる?
引用元:上:文春オンライン、中:FMヨコハマ、下:WEB ザテレビジョン
大竹しのぶさんの所属する有限会社エスターには、大竹しのぶさん以外所属していません。
以前は娘・IMALUさんが所属していましたが、2013年に株式会社リトルトウキョウプロダクションに移籍しています。また、2014年から株式会社SUBTIME所属の時任三郎さんが業務提携契約をしています。
【画像】大竹しのぶの二人の夫との馴れ初めは?息子の職業は?
二人の夫(服部晴治・明石家さんま)との馴れ初めは?
引用元:instagram
演技派女優として知られる一方で、恋多き女性としても噂の絶えない大竹しのぶさん。1980年(当時23歳)に放送されたドラマ「恋人たち」の撮影現場で出会ったTBSのドラマディレクター・服部晴治さんと1982年に結婚しました。
すでに2回の離婚を経験していた服部晴治さん。実は大竹しのぶさんと出会った頃、結婚間近と噂される交際相手がいました。それが、当時売れっ子歌手として活躍していた中村晃子さんで、服部晴治さんは中村さんと同棲関係にありながら、大竹しのぶさんとも付き合っていました。いわゆる三角関係というやつで、様子がおかしいと感じた中村さんが服部さんを尾行したところ、大竹しのぶさんとの浮気現場を目撃し、同棲は解消に至ったのだとか。
略奪愛を実らせた大竹しのぶさんは、中村晃子さんから「泥棒猫」と罵倒されましたが、約2年の交際期間を経て服部晴治さんと結婚されました。当時、一部の先輩女優からは”枕営業”で仕事をとっていると噂されたり、「魔性の女」という不名誉な呼ばれ方をされることもあったそうです。
それでも大竹しのぶさんは、持ち前の愛嬌と人を惹きつける高い演技力で、デビューから仕事が絶えず女優として第一線で活躍し続けてきました。
1985年には長男・二千翔さんを出産しますが、翌年1986年には夫・服部晴治さんが癌性腹膜炎で余命宣告を受けます。大竹しのぶさんは、女優の活動を続けながら、服部晴治さんの闘病生活を献身的にサポートしますが、1987年に夫・服部晴治さんはこの世を去りました。
引用元:スポニチ
引用元:instagram
大竹しのぶさんはその後、1988年に夫・服部晴治さんが闘病中にドラマ「男女7人夏物語」で共演していた明石家さんまさんと再婚されます。
夫を亡くし、落ち込んでいた大竹しのぶさんを支えたのが明石家さんまさんだったそうで、眠れない彼女の話し相手となり「2時でも3時でも4時でも」電話に付き合ったのだとか。それから2人は交際に発展し、前夫との死別から1年で再婚というスピード婚となりました。
当時は、そんなお2人の結婚を快く思わない視聴者も少なからずいたそうですが、明石家さんまさんが大竹しのぶさんとの結婚を決めたのには別の理由がありました。
明石家さんまさんと、大竹しのぶさんの前夫・服部晴治さんはプライベートでも一緒に遊んだりテニスもしていた親交のある旧友で、余命宣告後の闘病中も「テニスを一緒にやりたい」という服部晴治さんの願いを迷いながらも受け入れ、一緒にテニスをしたのだそうです。
その際になのか、後日なのか具体的なタイミングはわかりませんが、死期を悟った生前の服部さんから「しのぶをよろしくお願いしますよ」と言われたそうで、明石家さんまさんは後日出演した番組で、
「友達として共演者として(という意味)を俺は勝手に…。『しのぶを頼むよ』というのを、まともに受けてしまったのかも分からへんな。だから(大竹とは)そういう結婚だったので逆にアカンかったかも分からないな」と離婚理由もあわせて明かしていました。
大竹しのぶさんは恋多き女性としても知られているけど、他にも報道された交際相手はいるのかな?
明石家さんまさんと離婚後、舞台「真夏の夜の夢」の演出家・野田秀樹さんと事実婚関係であったことや22歳年下の俳優・宮原浩暢さんとのデートも報じられているよ!
大竹しのぶの息子の職業は?
引用元:instagram
引用元:instagram
1985年に大竹しのぶさん、服部晴治さんとの間に長男として生まれた二千翔さん。現在(2024年11月)はホームページやウェブサイトを作るWEB制作会社の経営者をしています。
また、芸能界を目指す若者とスポンサー企業やプロダクションを繋げる企業「narrow」の運営にも携わっていて、業界最大級のオーディションサイトを有し、業績も非常に良いのだそうです。
過去には母・大竹しのぶさんや義妹・IMALUさんのマネジメントも担当されていたことがあるそうで、二千翔さんが有限会社エスターで裏方をしていた際は、周囲からの評判もよく、他社からの信頼の厚かったのだとか。二千翔さんのマネジメント力さすがですね!
そんな二千翔さんの名前には、「21世紀を翔け」の意味がこめられていて、大竹しのぶさんはinstagramで「翔いているかは分かりませんが真面目で一生懸命お仕事をして健康でいてくれて、それだけで本当に幸せなことだなあと思います。」とコメントしていました。名前に負けない素晴らしい活躍ですよね!
大竹しのぶさんの息子・二千翔さんは結婚しているの?
結婚はしていないよ!
2025年には40歳を迎える二千翔さんだけど、実家暮らしみたいね!
過去には独身の二千翔さんを見兼ねた義父・明石家さんまさんが、元モーニング娘。の飯窪春菜さんとのお見合いをセッティングしたこともあるんだって。
大竹しのぶさんがデビューした1973年はこんな年だった!
引用元:上:日経ビジネス、中:読売新聞、下:ダイヤモンド・オンライン
大竹しのぶさんがデビューした1973年は、「石油危機による物価上昇」、「熊本・大洋デパート火災」、「順法闘争」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語には、「うちのカミさんがね」「省エネ」「これにて一件落着」などがありました。
大竹しのぶのプロフィール・SNS
引用元:大竹しのぶオフィシャルサイト
プロフィール
- 名前:大竹 しのぶ(おおたけ しのぶ)
- 本名: 大竹 しのぶ
- 生年月日:1957年7月17日
- 年齢:67歳(2024年11月現在)
- 出身地:東京都
- 血液型:A型
- 趣味:地唄舞、テニス、ゴルフ、パドルボード、スキー
- 特技:歌うこと
- 所属事務所:有限会社エスター
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/shinobu717_official/?hl=ja
- facebook URL:https://www.facebook.com/shinobu.otake1?locale=ja_JP
- オフィシャルサイト URL:http://www.otake-shinobu.com
- 公式ブログ URL:http://www.otake-shinobu.com/blog/
大竹しのぶさんのテニスの腕前はどうなの?
若い頃はそこそこできたみたい!だけど、2020年には「20年ぶり位に行ってきた。」とinstagramに投稿されていることから、最近は長い期間やっていなかったみたいね。