俳優・映画監督・ミュージシャンとして活躍を続けているオダギリジョーさん。
映画やドラマ・CMなどでシリアスからコメディまで幅広く親しまれてきました。
今回はオダギリジョーさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】オダギリジョーは若い頃イケメン!
20代前半(1996年~2001年)
引用元:おくたま新聞、シネマトゥディ
オダギリジョーさんは、幼いころに両親が離婚し母子家庭で育ちました。母親が仕事があると映画館に置いていかれていたことから、映画の世界に引きずり込まれていったと言っています。
そのことから元々は俳優ではなく映画監督になりたかったそうで、20歳の時にカリフォルニア州立大学フレズノ校へ留学しています。演出コース専攻予定でしたが、手違いで演劇学の専攻することになり2年ほど演技を学ぶことになりました。帰国後、芸能事務所に所属することになり、1999年出演の舞台『DREAM OF PASSION』で俳優デビューを果たしました。
2000年、23歳の時に出演した『仮面ライダークウガ』。あどけなさが残りますがこの頃から独特の雰囲気を醸し出していて素敵ですね!上の画像は『仮面ライダークウガ』の主人公・五代雄介のものです。
下の画像は2001年、24歳で初映画出演を果たした作品『Platonic Sex』のものです。亡くなった飯島愛さんの自叙伝をもとに映画化されました。オダギリジョーさんは主人公の恋人役を演じており、切なく美しいラブストーリーに心を奪われたことでしょう。オダギリジョーさんの不器用でまっすぐな演技は高評価をされています。
20代後半(2002年~2006年)
引用元:X、FODあれ?私ってもしかして…サトラレ?
— aya_桧家住宅 北海道でマイホーム (@oxoyah1) September 4, 2024
って一回でも思ったことある人素直に出てきて下さい。拡散希望。 pic.twitter.com/7xda4v14vh
20代後半になるとオダギリジョーさんは、テレビドラマを中心に主演での出演が多くなります。2002年26歳の時にテレビ朝日系列『サトラレ』では、”サトラレ”と呼ばれる特殊な能力の持つ医師としての知識に長けている天才外科医を演じます。
この「サラトレ」出演と同時期に、関西テレビ「天体観測 searchin’ for my polestar」にも出演しており、「天体観測」での色気と「サトラレ」でのかわいさとのギャップに萌えたという声も聞かれました。
引用元:BS11、Amazon
そして、2003年27歳の時のフジテレビ系「顔」、テレビ朝日系「ぼくらはみんな生きている」、フジテレビ系「ビギナー」と立て続けに主演となり、若手人気俳優として、定着していきます。
上の画像は、ドラマ「顔」とドラマ「ビギナー」の時の画像ですが、「顔」では幼少期に母親が殺害されるところを目撃しトラウマを抱えて大人になった刑事役として、「ビギナー」では、元不良(硬派)で高校中退でありながら、司法試験合格後の司法修習生として、それぞれ持ち味を発揮しました。
どんな役でも体当たりで臨んでいる様子も伝わってきており、視聴者の心を掴んだと言えます。
引用元:タワーレコード、X血と骨のオダギリジョー氏かっこよすぎ pic.twitter.com/dnQtLAWpQ8
— senmb (@senmb1) May 23, 2019
2003年、27歳の時に初主演を果たした「アカルイミライ」ではカンヌ国際映画祭に正式に出品されています。そして、日本映画プロフェッショナル大賞で主演男優賞を受賞しました。
初主演ということもあり「本当に気合が入りまくっていた」「とにかく全力でやっていた」と振り返っていました。黒沢監督からも「そんなに演技しないでください」と毎日言われるくらいの気合の入り方だったようです。
下の画像は映画『血と骨』のものです。登場シーンはわずかでしたがオダギリジョーさんは圧倒的な存在感を放っており、日本アカデミー賞最優秀助演男優賞、日刊スポーツ映画大賞石原裕次郎新人賞、ブルーリボン助演男優賞など数々の賞を受賞していました。
オダギリジョーさんは『仮面ライダークウガ』が黒歴史だったと言われていたのは本当だったのかな?
それは、黒歴史だったということは否定されているみたいよ!
オダギリジョーさんは確かに目指していたものは「変身して戦うヒーロー」ではなかったけれど、オーディションでの個性的な受け答えがプロデューサーの高寺成紀さんの目に留まりなるべくして『仮面ライダークウガ』になったと振り返っていたよ。
30代(2006年~2016年)
引用元:上・anan web 下・シネマカフェ
2006年30歳に放送された『時空警察』ではコメディーとミステリーの融合から新感覚のドラマでとらえどころがないシュールな役柄に楽しまされましたよね!寝ぐせのようなパーマも役のように個性的でした!上の画像がその時のものです。
また2007年31歳にはリリー・フランキーが亡き母へと綴った同名小説『東京タワー オカンとボクと、時々、オトン』で主演を務め、社会現象的ブームを起こしました。
初めは「原作があってリリーフランキーさんのイメージがあって、自分が演じることは…やっぱりすごく考えたんですよ」と半年くらい断り続けていたそうです。
しかし、リリーさんを意識せずに「‟ただの男”に落ち着けばいいなと思って演じました」と作品に携われたことを喜んでいました。上の次の画像が映画「東京タワー」のワンシーンです。ワイルドさに加え、優しさが溢れ出る様子がわかりますよね!
引用元:X
上の画像は2007年、31歳の時に出演した『パビリオン山椒魚』の時のものです。オファーの決め手は監督富永昌敬さんのセンスや台本の面白さに惹かれ出演することを決めたそうです。
後にこの作品がきっかけで交際・結婚に至った香椎由宇さんとも共演をしています。コミカルでシュールな作品でもオダギリジョーさんのカッコよさは裏切らないと言われていますよね!
引用元:X
上の画像は2016年39歳、30代最後の作品『オーバー・フェンス』今までの奇抜な役柄とは違い、等身大の40歳という普通の男を演じることに魅力感じたそうです。
家庭を顧みず、1人地方都市で職業訓練校に通う主人公。ある時風変わりなホステスと出会い距離を縮めていきます。
同年代を演じることに強い思いを持ち、見ている人がイラっとしたりむかついたりと感情が引っかかる要素を入れるように心掛けたそうです。30代最後になりより深みが増して魅力的でかっこいいですよね!
オダギリジョーさんは、この役を演じるにあたって大切にしていたことはなんだったのかな?
それは、オダギリジョーさんと監督の山下敦弘さんは同世代だったため同世代の主人公を40歳の節目に作ることに意味があるという理由から、この「主人公が物足りていない現状を深めていくこと」を意識していたそうだよ
今できることが映し出されてリアルさが引きたったみたいよ!
40代(2016年~2024年)
引用元:X
40代になってからも引き続き、映画・ドラマで引っ張り凧なオダギリジョーさん。2016年、40歳の時に出演した映画「続・深夜食堂」では前作からの引継ぎでの出演となり、好評を博しました。小林薫さん演じる「めしや」のマスターのところを訪れる個性豊かな客たちのエピソードが綴られます。
オダギリジョーさんは町の交番の警察官・小暮役で出演しており、凛とした佇まいとは反対に穏やかで物腰の柔らかい雰囲気に不思議な存在感がありますよね!
引用元:上・日刊スポーツ 下・FILMAGA
上の画像は2018年、42歳の時に「エルネスト」で主演だった時のものです。日本とキューバの合作、チェ・ゲバラと共に革命闘争に参加した日系ボリビア人の革命家フレディ前村ウルタードを演じていました。
兵士として自然な演技に説得力が出るように役作りを緻密に行い監督からの信頼も厚かったようです。年月が経ってもより渋さが増して色気が漂っていますよね!
オダギリジョーさんは、国際派俳優と言われているよ
その理由はなんだろう?
それは、「エルネスト」を撮るにあたって約半年をかけてスペイン語とボリビアの方言を取得し、体重も12キロ絞って役作りをしたそうよ。
役者としての意気込みを感じるよ!
そのほかに「FOUJITA]や「マイウェイ12,000キロの真実」など海外との合作の作品に出演しているよ
オダギリジョーさんが所属する”鈍牛俱楽部”には他に誰が所属してる?
引用元:上:鈍牛倶楽部 OFFICIAL SITE
オダギリジョーさんの所属する鈍牛俱楽部には、小林稔侍さん、光石研さんや堀部圭亮さんなどが所属しています。
【画像】オダギリジョーの子供が亡くなっていた?嫁との馴れ初めは?
オダギリジョーの嫁との馴れ初めは?
引用元:スポニチ
引用元:シネマトゥデイ
オダギリジョーさんと香椎由宇さんは2007年12月に電撃結婚を発表し世間を驚かせました。2人は2005年に映画『パビリオン山椒魚』の共演をきっかけに急速に距離を縮め交際に発展したそうです。
オダギリジョーさんは「最初から結婚のことが根底にあったと思う。若い女優さんなのに、周りに媚びることなくカッコいいコだなと思っていた」と明かし香椎由宇さんは「常に味方でいてくれて、ちゃんと話を聞いて理解してくれる人」と語り、両親がしつけに厳しい事についても触れ「夜10時の門限も守ってくれた」と語っていました。
2人の誕生日はオダギリジョーさんは1976年2月16日、香椎由宇さんは1987年2月16日で偶然にも同じ日なことに驚いたそうで血液型O型なこともあり運命的なものを感じたそうです。
結婚記念日も2人の誕生日の2月16日です。
電撃発表となった理由としては、オダギリジョーさんが2008年の年明けから韓国のキム・ギドク監督作の出演があり海外への仕事が多くなるため彼女を安心させるためだったそうです。
香椎由宇さんの父親には一か月程前に2回ほど挨拶に出向き、お父さんには「娘をよろしく」と言われたそうです。
オダギリジョーさんは幼い頃から母親と2人で暮らしていたこともあり、「良き夫、良き父親になりたい。でも自分の父親を見たことがないので全く分からない。彼女のお父さまと会って、彼女に対する想いに刺激を受けた。今、パッと浮かぶ理想の父親像は、彼女の父親」と言っていました。
オダギリジョーさんのプロポーズの言葉は何だったのかな?
プロポーズらしい言葉はなかったみたい!
「お父さんに挨拶をしたい」と伝えたことがプロポーズみたいよ!
オダギリジョーの子供が亡くなっていた?
引用元:デイリー
この度オダギリジョー・香椎由宇次男は絞扼性(こうやくせい)イレウスと診断され4月14日に緊急手術を行い治療を続けておりましたが4月20日に容態が急変。午前6時23分に息を引きとりましたことをご報告させて頂きます。なお葬儀は滞りなく相すませました。
1歳と9か月という短い命ではありましたが、生前の御厚誼を深謝し謹んで御通知申し上げます。
オダギリジョーさんと香椎由宇さんは2011年に長男、2014年に次男が誕生しています。しかし、2015年4月24日2人連名で送られたFAXには2014年に生まれたばかりの次男1歳が亡くなるという悲報が届きました。
病名は「絞扼性イレウス」で治療を続けていたそうですが、容態が急変し息を引き取ったそうです。「絞扼性イレウス」とは腸が捻じれて締まった状態になり血流が止まってしまう腸閉塞の一種だそうです。放置すると腸が腐敗してしまい死に至るため、外科手術が必要な病気でした。
次男の無言の帰宅に2人は悲しみに暮れ最後の時間を過ごしたそうです。2人にはその後2016年に第3子となる男の子を授かり、子供中心の生活をしていましたが三男が幼稚園に入り育児が落ち着いた2022年に香椎由宇さんは、女優復帰をしました。
次男を失い深い悲しみで落ち込んだ香椎由宇さんをオダギリジョーさんは側で支え続け2人で悲しみを乗り越え絆を深めていったのですね。
オダギリジョーさんはお子さんを看取ることができたのかな?
オダギリジョーさん入院当初は付き添っていたのだけれど、ドラマの撮影があったため山形に行っていたの。
容態が急変したことを聞いて東京に戻ってきたけれど、最期には間に合わなかったそうよ。
オダギリジョーさんがデビューした1999年はこんな年だった!
引用元:上:世界の民謡・童謡中:ニッポン放送news online、下:FIGARO.jp
オダギリジョーさんがデビューした1999年は、「だんご三兄弟の大ヒット」、「石原慎太郎氏東京都知事に当選」、「宇多田ヒカル鮮烈なデビュー」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、「リベンジ」で松坂大輔さんが受賞しました。
オダギリジョーのプロフィール・SNS
引用元:スポニチ
プロフィール
- 名前:オダギリジョー
- 本名: 小田切譲
- 生年月日:1976年2月16日
- 年齢:48歳(2024年9月現在)
- 出身地:岡山県
- 血液型:O型
- 趣味:絵画、モノ作り、映画鑑賞、野球、サッカー、掃除
- 特技:英会話、アクセサリー作り、作詞作曲、ドラム、ジャグリング
- 所属事務所:鈍牛俱楽部
SNS・受賞歴
- オフィシャルサイト URL:オダギリ ジョー | 鈍牛倶楽部 — DONGYU OFFICIAL SITE
受賞歴
- 2002年:第34回ザテレビジョンドラマアカデミー賞 ベストドレッサー賞(天体観測)
- 2003年:日本映画プロフェッショナル大賞 主演男優賞(アカルイミライ)
- 2004年:高崎映画祭 最優秀主演男優賞(アカルイミライ)
- 2004年:日本アカデミー賞 新人俳優賞(あずみ)
- 2004年:エランドール賞 新人賞
- 2005年:日本アカデミー賞 最優秀助演男優賞(血と骨)
- 2005年:日刊スポーツ映画大賞 石原裕次郎新人賞(血と骨)
- 2005年:東京スポーツ映画大賞 助演男優賞(血と骨)
- 2005年:キネマ旬報ベストテン 助演男優賞(血と骨)
- 2005年:ブルーリボン 助演男優賞(血と骨、この世の外へ クラブ進駐軍)
- 2005年:毎日映画コンクール 男優助演賞(血と骨、この世の外へ クラブ進駐軍)
- 2005年:ヨコハマ映画祭 主演男優賞
(メゾン・ド・ヒミコ、スクラップ・ヘブン、SHINOBI、オペレッタ狸御殿) - 2006年:キネマ旬報ベストテン 主演男優賞(メゾン・ド・ヒミコ、オペレッタ狸御殿、SHINOBI)
- 2006年:日本映画プロフェッショナル大賞 主演男優賞(メゾン・ド・ヒミコ、スクラップ・ヘブン)
- 2006年:ACC CM FESTIVAL 演技賞
- 2007年:高崎映画祭 最優秀主演男優賞(ゆれる)
- 2007年:日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(ゆれる)
- 2008年:日本アカデミー賞 優秀主演男優賞(東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜)
- 2008年:東京スポーツ映画大賞 主演男優賞(東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜)
- 2010年:高崎映画祭 最優秀助演男優賞(空気人形)
- 2014年:日本アカデミー賞 優秀助演男優賞(舟を編む)
- 2015年:ソウルドラマアワード2015(アジアスター大賞)
- 2016年:高崎映画祭 最優秀主演男優賞(FOUJITA)
- 2016年:第8回TAMA映画賞 最優秀男優賞(オーバー・フェンス、FOUJITA)
- 2017年:JAPAN CUTS2017 CUT ABOVE賞 for Outstanding Performance in Film
- 2019年:第56回アンタルヤ映画祭 国際コンペティション部門 最優秀作品賞(ある船頭の話)
- 2019年:第24回ケララ国際映画祭 最優秀作品賞(ある船頭の話)
- 2020年:高崎映画祭 ホリゾント賞(ある船頭の話)
- 2022年:東京ドラマアウォード2022 助演男優賞(カムカムエヴリバディ)
オダギリジョーさんはサッカーや野球が得意なようだけどきっかけって何なのかな?
小さなころからサッカー少年だったオダギリジョーさん。
共演したアンソニー・ウォンさんからも「ジョーは俳優にならなくてもサッカー選手になれば、スターになれる」と言われるくらい上手みたいだね!