ベテラン司会者として確固とした地位を築き、活躍を続けている中山秀征さん。
その芸能界の仕事への熱量は幼い頃から変わることはなく、その人柄は様々な人を魅了してきました。
今回は中山秀征さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】中山秀征は若い頃イケメン!
幼少期〜10代(1967年~1987年)
引用元:WEBザテレビジョン
群馬県に生まれ、実家は工業「中山縫製」を経営していた父母のもと生誕した中山秀征さん。ご自身も幼少期に永谷園のお茶漬けの袋詰めを手伝ったことがあるそう。中山秀征さんが芸能界に憧れを抱いたのは1972年(当時5歳)で、カッパピアという遊園地で行われていたフィンガー5のイベントを観覧していた時のことでした。
実はこのイベントには観客の子供達数名が一緒にステージに立って、フィンガー5のメンバーと一緒に歌えるコーナーがありました。中山秀征さんも参加しようと並んでいた所、目の前で締め切られてしまったそうです。その時に「客席で熱狂するより、ステージに立ちたい」と演者になることに憧れを持ちました。
こうして俳優を志します。1981年(当時14歳)には東京の児童劇団に入団。3ヶ月でデビューできなければ諦めると決めていたそうです。その結果、なんと3ヶ月後に日本テレビ系の「狙われた女教師」に出演しました。ですがその後オーディションにはなかなか受からなかったそうです。
それでも挫けなかった中山秀征さんは、東京近郊の高校へ進学を目指して群馬から神奈川県の中学校へ転校。そして数々の芸能事務所のオーディションを受け続けます。こうして1984年(当時17歳)に渡辺プロダクション(現在のワタナベエンターテインメント)のオーディションに歌手として合格しました。
当時のマネージャーには「歌や芝居はバラエティーで天下をとれたら全部やれる」と言われたそうです。こうしてまずはバラエティー路線を選択し、1985年(当時18歳)に松野大介さんとABブラザーズというコンビを結成しました。
同年フジテレビ系「ライオンのいただきます」のアシスタントとして出演し、ついに本格的に芸能界デビューとなりました。この番組は小堺一樹さんが司会を務める番組で、ABブラザーズはこの番組内では「ヒデちゃん・マッちゃん」と呼ばれていたそうです。
引用元:X1986年「オールナイトニッポン」特番「ALL DO'GETHER NOW(オールドゲザーナウ)」の写真。中島みゆき、ビートたけし、サンプラザ中野、とんねるず、ABブラザーズ、小泉今日子…と豪華な面々。 #歌謡選抜 pic.twitter.com/c7EOhTgYti
— キネコ (@kinekoV) January 28, 2018
そしてデビューした1985年(当時18歳)にはニッポン放送にて「ABブラザーズのオールナイトニッポン」も担当。当時、最年少でオールナイトニッポンのパーソナリティーに抜擢されたことで話題になりました。この頃には女子中高生を中心に爆発的な人気を誇っていたそうです。
引用元:TikTok
そして1986年(当時19歳)には念願のレコードデビューを果たします。そのタイトルは「明日にONEW AY」という曲で、なんと秋元康さんが作詞だったそうです。芸能界にデビューし順調に見えた中山秀征さんですが、その後ABブラザーズの人気は徐々に低迷していきました。
中山秀征さんは女子中高生に人気だったとあったけど、そんなに人気だったの?
そうだよ!当時中山秀征さんは事務所の寮で生活して電車通勤だったそう。そんな中山秀征さんを追いかけて、車両が全部ファンの女性で埋まっていたこともあったとか。さらに寮までついてくるファンもいたほどだったんだって!
20代(1987年~1997年)
引用元:Facebook
1989年(当時22歳)頃に「ライオンのいただきます」を降板することとなったABブラザーズ。そこで相方である松野大介さんとの方向性の違いに気づきます。俳優業やタレント業に力を入れたい中山秀征さんの傍、お笑い芸人として頑張りたい松野大介さん。
その結果コンビ仲は次第にぎこちなくなり、お笑い番組やライブなどの出演回数も減少します。そして当時のマネージャーより「コンビとしての負けを認めろ。その代わり、お前はこれから1人で戦っていけるから。」と言われ、ABブラザーズとしての活動は自然消滅となりました。
引用元:X 、Xヒデちゃん、若いなぁ。そして今もちゃんと売れてるんだから大したもんだ。#東京ラブストーリー#中山秀征 pic.twitter.com/vzqsalbxL6
— DJ.KUWABARA (@DJ_KUWABARA) September 20, 2018放送27年目にして『東京ラブストーリー』の1話目を初めて通しで観たアカウントがこちらになります。
— 能田 達規 (@tatsukino) September 14, 2018
カンチの上司・ヒデちゃん「愛媛ってアレだよな、あの成人式に足に縄付けて塔の上から飛び降りるていうそういう儀式のある…」
中山秀征許すまじw #東京ラブストーリー pic.twitter.com/ysktvJFNFg
こうして単独での仕事に集中し始めた中山秀征さん。1991年(当時24歳)にはフジテレビ系のテレビドラマ「東京ラブストーリー」に出演します。このドラマは鈴木保奈美さんと織田裕二さんなどが出演され、最終回平均視聴率が32.3%を記録する大ヒットドラマとなりました。
引用元:HOMINIS
そして1992年(当時25歳)からは日本テレビ系のバラエティ番組「DAISUKI‼︎」に司会としてレギュラー出演が決まります。この番組は松本明子さん、飯島直子さんとの和気藹々とした街歩き企画が魅力でした。深夜番組だったそうですが、最高視聴率は14.7%を記録するほどの人気番組となりました。
引用元:X「DAISUKI!」22年ぶりの復活放送・・・始まりました(相変わらずゆるい)#中山秀征 #飯島直子 #松本明子#DAISUKI pic.twitter.com/d124NxmeW8
— テク憧 (@techdou) August 3, 2022
この番組は2000年(当時33歳)に最終回を迎えていますが、2023年(当時56歳)にこの人気番組が復活しました。実に22年ぶりの放送決定に、当時の視聴者達からは「当時見ていた!懐かしい!」「また3人の会話が聞けるのが楽しみ」などの声が聞かれました。
引用元:HOMINIS 、光和インターナショナル公式サイト
こちらは1994年(当時27歳)の時に主演を務めた日本テレビ系のテレビドラマ「静かなるドン」の写真です。この原作は第42回日本漫画家協会賞大賞を受賞した漫画で、ドラマの平均視聴率は13.4%でした。
実は人気作となったこのドラマは1995年(当時28歳)には「静かなるドンRETURNS」、1996年(当時29歳)には「静かなるドンFOREVER」としてスペシャルドラマも放送されました。
引用元:TikTok
こちらは1995年(当時28歳)に出演していた日本テレビ系の音楽番組「THE夜もヒッパレ」の物です。中山秀征さんはこの番組で司会を担当し、動画の様にご自身も歌ったりパフォーマンスすることがあったようです。こうして俳優業やタレント業など多方面で活躍し始めます。
ABブラザーズが自然消滅したとあったけど、松野大介さんはどういう気持ちだったのかな?
実は松野大介さんはその後小説家になって、この頃の中山秀征さんとの関係をモチーフに「芸人失格」という著書を出版しているよ。2024年現在では、小説の書き方講座の講師として活動されています!
30代(1997年~2007年)
引用元:X名探偵コナン第56話「おじゃマンボウ殺人事件」
— イブちゃん@気軽に絡んでね! (@xy0568829) February 25, 2024
タレントの中山秀征さん、麻木久仁子さん、アナウンサーの藤井恒久さんが出演されていた!😳
すごい回だね#アニメ好きな人RT・いいね pic.twitter.com/K4eQEm7wcT
中山秀征さんは1993年(当時26歳)から日本テレビ系のバラエティ番組「TVおじゃマンボウ」の司会も担当していました。その企画で1997年(当時30歳)に挑戦したのが声優です。「名探偵コナン」のこの回に登場したご自身のキャラクターを担当しました。他に麻木久仁子さんや藤井恒久さんも登場しています。
引用元:Instagram
1999年(当時32歳)には飯島愛さんとフジテレビ系のバラエティ番組「ウチくる⁉︎」が開始となります。この番組は様々なゲストを迎え、ゲストの生まれ育った思い出深い街を練り歩くロケ番組でした。番組が始まる時の「うちくる?」「行く行くー!」という掛け声が印象的でした。
引用元:Facebook
こちらは2006年(当時39歳)の物です。中山秀征さんは日本テレビ系の情報・バラエティ番組「ラジかるッ」の総合司会を務めました。この番組は「ラジオのようにカルーくカルチャーする」がコンセプトで、ラジオのように多くのコーナーを生放送で行うのが特徴だったそうです。
30代の時には中山秀征さんは俳優業より、タレントとして司会などのお仕事が増えていったんだね。
そうなの!それ以前は否定的なコメントで笑いを誘ったりしていたようだけど、中山秀征さんの雰囲気づくりの上手さや人を傷つけない笑いが好評だったんだって。司会者としての技量が視聴者だけでなく、業界を通して評価されていたみたいだよ!
40代以上(2007年~)
引用元:キャリア
2008年(当時41歳)には「ぐんま大使」に任命されます。この群馬大使には同じく群馬県出身の井森美幸さんも任命されています。中山秀征さんは「群馬をこよなく愛して41年。まさに『キター!』という感じ。」と、この「ぐんま大使」任命を心から喜んでいたそうです。
引用元:朝日新聞デジタル
2011年(当時44歳)からは日本テレビ系の情報番組「シューイチ」の司会を担当します。この番組は元々21年半続いた情報番組「THE・サンデー」の後番組として放送が開始になりました。「シューイチ!」のポーズが有名で、トレンドや最新情報を幅広く取り上げており、大人から子供まで楽しめる番組となっています。
引用元:ORICONNEWS
30代でフジテレビ系のバラエティ番組「ウチくる⁉︎」を紹介しましたが、この番組は2018年(当時51歳)に最終回を迎えました。なんと約19年、通算879回にわたる歴史をもつ長寿番組でした。そして中山秀征さんは、この最終回をもって21年間続けたフジテレビの日曜正午枠の番組司会から勇退しています。
司会をするにあたって、中山秀征さんが気をつけていることってあるのかな?
中山秀征さんは、出演した方々全員に「楽しかった、出てよかった」と思って帰ってもらえるように心がけているんだって。それはご自身が他の方が司会している番組に出演した際、「居づらい」感じたことがあったからだそう。その経験からご自身が司会をする番組ではゲストをとことん接待するようにしていると話されていたよ!
中山秀征さんが所属する”ワタナベエンターテインメント”には他に誰が所属してる?
引用元:ワタナベエンターテインメント
中山秀征さんの所属するワタナベエンターテインメントには、ギャル曽根さん、ハライチさんや山田裕貴さんなどが所属しています。約300名のタレントや芸人、歌手、インフルエンサーなどが所属する事務所となっています。
【画像】中山秀征と妻の馴れ初めは?息子は何人?職業は?
中山秀征と妻の馴れ初めは?
引用元:ORICONNEWS
引用元:Facebook
中山秀征さんは1998年(当時31歳)に結婚しています。お相手は元宝塚歌劇団娘役の白城あやかさんです。お2人の馴れ初めですが、元々宝塚歌劇団が好きだった中山秀征さんが舞台で白城あやかさんを見た時に一目惚れしたことがきかっけでした。そして一目惚れをした中山秀征さんはアプローチを開始します。
当初白城あやかさんは「一番最初に思ったのは、芸能人の人ってこうやっていろんな人にすぐこういうこと言ってるんだな」と感じていたそうです。ですが中山秀征さんから「遠距離ですけどお付き合いしてもらえませんか?」と告白され、「またお会いしましょう」と返答したことで交際がはじまりました。
実は白城あやかさんはこの時、他にお世話になった方に花を贈ってお礼をする習慣があり、中山秀征さんへの返答もその1つだったんだとか。思い違いから始まった交際ですが、結果的に結婚できたことから後に中山秀征さんは「まぁ、勘違いってなかなかいいかもしれないですね」と話されていました。
中山秀征さんからのプロポーズってどんな言葉だったの?
実は中山秀征さんはハッキリとプロポーズした記憶はないんだって。交際期間は2年ほどだったそうだけど、「年とっても一緒にいようね」という言葉を伝えて結婚に至ったみたいだよ。ちなみに中山秀征さんは、白城あやかさんと最初に会った日に直感的に結婚すると感じていたんだって!
白城あやかさんのInstagramを見つけたので下に記載しておきます。
引用元:Instagram (白城あやかさんInstagram URL:https://www.instagram.com/ayaka.shiraki/)
中山秀征の息子は何人?職業は?
引用元:Instagram
中山秀征さんと白城あやかさんの間には4人の子供がいます。全員男性であり、長男の中山翔貴さん(1999年生まれ)、次男の中山脩悟さん(2003年生まれ)、三男の中山敬吾さん(2005年生まれ)、そして四男の中山貴仁さん(2007年生まれ)の4人です。
引用元:Instagram
長男の中山翔貴さんは現在俳優として活躍中です。母親である白城あやかさんの舞台を観劇したことがきかっけで芸能界に憧れたそうで、中山秀征さんからは「勧めもしないけど、否定もしないよ。」と華やかな世界だけれども、厳しいこともたくさんあると言われたそうです。
引用元:SponichiAnnex
次男の中山脩悟さんは野球をされているそうです。こちらの写真は2021年(当時54歳)の物ですが、当時青山学院高等部に在学中だった中山脩悟さんは4番で投手、そして主将も担っていました。そんな中山脩悟さんを応援するため、中山秀征さんもかけつけており、その姿が話題となりました。
引用元:Instagram
三男である中山敬吾さんはサッカー、四男である中山貴仁さんはバスケットボールをやっていたそうです。そしてお2人とも、夢を追いかけるため海外留学されているとのことでした。2024年現在はお2人ともイギリスで生活されているようです。
中山秀征さんは子育てにも積極的だったの?
長男さんが生まれた頃は独身時代と変わらない生活をしていたそう。結婚後に付き合いが悪くなって「あいつ、変わったよな」と言われるのをかっこ悪いと思っていたんだって。でも子供が増えていくうちに手が足りなくなり、自然と子育てにも参加するようになったと話されていたよ!
中山秀征さんがデビューした1985年はこんな年だった!
引用元:日本経済新聞、朝日新聞、茨城県庁公式ホームページ
中山秀征さんがデビューした1985年は、「日航ジャンボ機墜落事故」、「新幹線上野駅開業」、「つくば万博開催」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、「分衆」で近藤道生さん(〔株〕博報堂生活総合研究所 社長)が受賞しました。
中山秀征のプロフィール・SNS
引用元:テレ朝POST
プロフィール
- 名前:中山 秀征(なかやま ひでゆき)
- 本名:中山 秀征
- 生年月日:1967年7月31日
- 年齢:57歳(2024年9月現在)
- 出身地:群馬県
- 血液型:B型
- 趣味:パソコン、写真、タップダンス、野球、車、ボディボード
- 特技:書道、ウクレレ、ボウリング、水泳、ヨーヨー
- 所属事務所:ワタナベエンターテインメント
SNS
- Instagram URL:http://www.instagram.com/hidechan0731/
- facebook URL:http://www.facebook.com/HideyukiNakayama.net
- オフィシャルサイト URL:https://www.nakayamahideyuki.com/
中山秀征さんは書道が得意なんだね!
そうなの!子どもの頃に書道を習い始めたそうだけど、「将来スターになった時に、上手にサインを書きたいから」という理由だったんだって!実は中山秀征さんの故郷である群馬県で個展も開催したことがあるそうだよ!