1989年6月にお亡くなりになった美空ひばりさん。
お父様が「美空楽団」を結成し、9歳でデビューしてからは天才少女歌手と呼ばれたました。
歌謡界の女王とも呼ばれてきたひばりさんですが、1989年6月に52歳というまだお若いご年齢で生涯に幕を閉じました。あの歌声がもう聞けないのはとても残念でなりませんね!
今回は美空ひばりさんの若い頃を振り返り、現在のまでを振り返っていきたいと思います!
【画像】美空ひばりは若い頃美人!
10代・20代(~1967年)
引用元:プレジデントオンライン
美空ひばりさんは、終戦直後にお父様がアマチュア楽団である「美空楽団」を結成したことで9歳でデビューしました。1949年8月(12歳)には「河童ブキウギ」でレコード・デビューを果たし、12歳で映画初主演。その主題歌「悲しき口笛」は1998年時点でのシングル売上は90万枚。国民的スターへと成長していきました。
上の画像は1949年10月(12歳)に公開された、映画「 悲しき口笛」に出演した際のものです。幼いながらも演技に力を入れていそうで、衣装もとても似合っていますね!
引用元:オリコンニュース、タワーレコード
1952年5月1日(14歳)にリリースされた「リンゴ追分」では当時の史上最高記録となる70万枚を売り上げる大ヒットとなり、最終的には130万枚の売り上げを記録するミリオンセラーとなりました。上の2つ目の画像がその当時のジャケット写真です。
また1953年7月(15歳)に公開されたには七人の花形歌手によるヒット・ソング歌唱を中心とした短編歌謡喜劇に出演しました。上の画像は花形歌手 七つの歌に出演した時のものです。とても可愛らしい表情をしていてスター性を感じますね!
引用元:文春オンライン
1962年5月29日(25歳)には、小林旭さんとの婚約を発表しました。お二人の出会いは雑誌の企画の対談の場だったようです。同年11月5日に挙式をしましたが、母・喜美枝さんはこの結婚を快く思っていなかったそうです。
ひばりさんは結婚後、一時的に仕事をセーブしていたそうですが、実母や周囲の関係者が二人の間に絶え間なく介入したことで結婚生活はままならなかったそうです。ひばりさんも仕事を少しずつ再開し,小林旭さんは求めた「家庭の妻」としての願いは叶わず、別居後の1964年に2年あまりで結婚生活にピリオドを打ちました。
上の画像は1962年11月(25歳)に日活国際会館で行われた小林旭さんと美空ひばりさんの挙式です。白無垢姿がとても美しいですね!
美空ひばりさんは10代で家を建てたんだって?
そうみたい!16歳の時、横浜市磯子区に建築したみたい!
当時のひばりさんの年収は約2,700万円ほどだったそうよ!
2024年現在の価値では約4倍と言われているから今だったら、16歳で1億円の年収がある人のイメージだね!
30代(1967年~1977年)
引用元:美空ひばり公式ウェブサイト
1970年12月末(当時33歳)、第21回NHK紅白歌合戦では紅組司会・大トリを担当しました。司会とトリの兼任をしながら「人生将棋」でトリを務めあげました。ひばりさんは紅白には1957年から72年まで16回連続で出場し、63年以降は10年連続でトリを務めました。
紅白常連でもあったひばりさんですが、1973年の第24回の紅白出場権でまさかの落選をしてしまいました。その理由としては実弟の故・加藤哲也さんが、賭博容疑などの事件を起こしたことが影響されたようです。
美空ひばりさん89年に死去するまで「紅白は卒業した」という意思は曲げなかったそうです。上の画像は1970年12月(33歳)の時に紅白歌合戦へ出場した際のものです。とても真剣な表情をしていますね!
引用元:デイリースポーツ
1970年(当時33歳)にはブラジル・サンパウロで約5万人のお客さんを前に公演を行いました。ブラジルでの公演は、何度かオファーがあったものの、飛行機嫌いのひばりさんへの配慮で、スタッフの方が断っていたそうです。
公演前に現地のブラジルで会見したひばりさんは、「出迎えてくれたお年寄りの方々が、私を娘や孫のように声をかけてくれる姿を見たときに感激しました」と現地の方からの歓迎に感謝したと述べています。
本番では「人生一路」「柔」「リンゴ追分」など28曲を熱唱。「人生一路」は作曲者で実弟、故・加藤哲也さんによる指揮で歌いました。
上の画像は1970年8月(33歳)にブラジル公演で熱唱しているひばりさんです。今までのひばりさんとはまた違った雰囲気で素敵ですね!
美空ひばりさんは「お嬢」と呼ばれていたみたいだけども、由来なんかはあるのかな?
お母さまの喜美枝さんがひばりさんのことを「お嬢」と呼んでいたので、周囲の方々もそう呼ぶようになったみたい!
40代以降(1977年~)
引用元:デイリースポーツ
1988年4月11日(当時50歳)、東京ドームでのコンサート「不死鳥~翔ぶ新しき空へ向かって」を開催しました。
体調は万全でなかったそうですが、39曲を披露しました。公演の約1年前に、ひばりさんは慢性肝炎と、両側大腿骨頭壊死という難病を患い、歩くことも困難な状態になるど病状は悪化してしまい、1ヶ月間の休養を発表し、復帰は絶望的と報じられていた中、不死鳥コンサートは開催されました。
最後の歌を終えると、スモークの中に消えていきましたが、このスモークは演出ではなく、限界だったひばりさんの姿を隠す意味もあったそうです。
上の画像は1988年4月11日(50歳)のときに行われた東京ドームで不死鳥コンサートのものです。体調不良を感じさせない笑顔と華やかな衣装でプロという感じがしますね!
引用元:日刊スポーツ
いまから約35年前に発表され、美空ひばりさん最後の曲となった『川の流れのように』は150万枚を売り上げる大ヒットを記録し、日本の歌百選にも選ばれています。同年に、没後追贈という形で国民栄誉賞が贈られました。
その栄誉は、ひばりさんの頭一つ抜けた音楽の才能と、戦後の日本を明るくしてくれた敬意と称賛を表していました。川の流れのようには今も老若男女に愛され、後世に残る名曲ですね!
上の画像は1989年1月11日(51 歳)に発売された、美空ひばりの生前最後に発表され川の流れのようにのジャケット写真です。赤の衣装がとても似合っていますね!
川の流れのようにの発売にあたっての裏話などはあるのかな?
美空ひばりさんは自分のわがままなどはほとんど言わなかったみたいんだけど、秋元康さんが作詞した『川の流れのように』の歌詞を見て、「この歌を私にちょうだい」と言ったそうなの。
本来は他の歌手の歌で出す予定となっていたそうなんですが、色んな思いが交差して「この歌を歌いたい」と思ったみたいね!
美空ひばりさんが所属していた”ひばりプロダクション”はどんなところ?
引用元:上:X.com(ひばりプロダクション)、サンスポ
1968年12月に設立されたひばりプロダクションは、美空ひばりさんが所属していた芸能プロダクション会社です。現在はひばりさんの養子でもある加藤和也さんが代表を務め、ひばりさんが残した遺産や版権を管理しています。ひばりさんの次の画像が加藤和也さんです。
【画像】美空ひばりの死因は何だった?息子の現在は?
美空ひばりの死因は何だった?
引用元:西日本新聞
引用元:日刊スポーツ
美空ひばりさんは、1989年6月24日に52歳の若さで亡くなられています。あまりにも早すぎる死でした。死因は間質性肺炎によるものです。翌年には全国ツアーの幕開けとなる予定でしたが、1989年2月に北九州市・小倉での公演が人生最後のステージとなってしまいました。
ひばりさんの死は多くの国民に悲しみを与えましたが命を削りながら最後までスターであり続けたひばりさんは凄いですね!
間質性肺炎(かんしつせいはいえん)とは?
間質性肺炎は肺が徐々に固くなっていき、咳や息切れなどの症状が出る病気で、世間一般でいわれる肺炎は肺に細菌が入ってきて炎症を起こすことで発症しますが、間質性肺炎は同じ肺炎という名前がついてもこれとは全く違う病気になります。国の指定難病となっており呼吸器の病気の中でも治療が難しい病気の一つです。
引用元:名古屋おもて内科・呼吸器内科クリニック
美空ひばりさんは生前に住んでいた自宅の一部を記念館として公開しているんだよね?
そうみたい!東京・目黒区にある自宅を当時住んでいた状態のまま保存し、一般公開しているみたい!予約制ではないので、開館時間に来館すれば入れるみたい!ひばりさんを側に感じれるそうね!
https://www.misorahibari.jp/←美空ひばり記念館
美空ひばりの息子の現在は?
引用元:婦人公論
引用元:テレ朝POST – テレビ朝日
息子の加藤和也さんは7歳の時に美空ひばりさんと養子縁組を結びました。16歳でひばりさんを見送った後は、10億円の遺産を全て相続したと言われています。
2024年現在はタレントとしての活動、音楽プロデューサー、美空ひばり記念館の運営、美空ひばりファンクラブの運営、美空ひばりオフィシャルグッズの販売などの事業をしています。
プライベートでは、加藤和也さんは2000年に浜田有香さんとご結婚をされました。有香さんは俳優・浜田光夫さんの長女です。お二人は2000年にハワイで極秘挙式をされており、2005年2月13日に結婚を祝う会が新高輪プリンスホテルで開催されました。 お子さんはいらっしゃらないそうです。
息子の和也さんだけれども、スターだった母・ひばりさんとの親子の時間は作れたのかな?
仕事場やツアーにも連れて行ったみたいだね!幼き和也さんにとっては、遊園地だったみたいで、沢山いたらずらもしたみたい!学校行事は可能な限り参加していたそうよ!
美空ひばりのプロフィール・SNS
引用元:日本コロンビア
プロフィール
- 名前:美空 ひばり(みそら ひばり)
- 本名:加藤 和枝(かとう かずえ)
- 生年月日:1937年5月29日
- 年齢:1989年6月24日(52歳没)
- 出身地:神奈川県横浜市磯子区
- 血液型:O型
- 特技:日本舞踊
- 所属事務所:ひばりプロダクション
SNS
- YouTube URL:https://www.youtube.com/@hibari-official/videos
- オフィシャルサイト URL:http://www.misorahibari.com/
- 受賞歴
1960年:第2回日本レコード大賞・歌唱賞
1962年:第12回ブルーリボン賞・大衆賞
1965年:第7回日本レコード大賞・大賞
1969年:日本赤十字社金色有功章
1969年:紺綬褒章
1971年:第2回日本歌謡大賞・放送音楽特別賞
1973年:第15回日本レコード大賞・15周年記念特別賞
1976年:第18回日本レコード大賞・特別賞
1977年:森田たまパイオニア賞
1989年:国民栄誉賞
1989年:第31回日本レコード大賞・特別栄誉歌手賞
1989年:第20回日本歌謡大賞・特別栄誉賞
1989年:第22回日本作詩大賞・特別賞
1989年:第18回FNS歌謡祭・特別賞
2000年:第2回青森りんご勲章
ひばりさんは好きな食べ物は何だったんだろうね?
酢が効きすぎていないところてんだったみたいよ!渋いけれどひばりさんらしい側面もあるわよね!