【画像】桂由美は若い頃からおしゃれ!結婚した旦那はどんな人?後継者は誰?

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ウエディングドレスなどブライダルデザインの第1人者であり、ブライダル業界の重鎮として知られている桂由美さん。

その昔、一般的ではなかったウエディングドレスを日本に浸透させ、女性のシルエットを美しく引き出すドレスで日本の結婚式のスタイルにも強い影響を与えてきました。

今回は桂由美さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

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目次

【画像】桂由美は若い頃からおしゃれ!

幼少期・10代(1930年~1950年)

桂由美さん
引用元:毎日新聞

東京府南葛飾郡小岩町(現在の東京都江戸川区小岩)で生まれた桂由美さん。

お父さんは 逓信省(旧郵政省)の官吏、お母さんは自身で立ち上げた洋裁学校(現在の東京文化デザイン専門学校)の校長先生をしていました。

桂由美さんは幼い頃、おとぎ話や絵本が大好きで、戦時中でも白馬の王子様や美しいお城が現れる世界が頭の中を占めていたのだそうです。

桂由美さんが小学生から中学生になる時期は、ちょうど戦争の真っただ中でした。戦争末期になると、女子学生も学徒勤労動員で各地の工場に工員として派遣されていたので、授業はなく、由美さんは、田町(東京都港区)にあった電気工場で通信機器の組み立て作業などをしていたそうです。

上の写真は、2歳の頃にお母さんの手作りの洋服を着た桂由美さんです。お母さんはデザイン専門学校の校長をされていただけに可愛らしい服装ですね!この頃からおしゃれな雰囲気を醸し出していますね!

桂由美さん
引用元:FNNプライムオンライン

日本が敗戦した後、そのショックからの現実逃避のように演劇にのめり込んだという由美さんは、中学から大学まで10年間、演劇部長を務めていました。ドラマが大好きで、脚本を書いたり舞台演出をしていたのだそうです。

上の画像は、共立女子学園中等部に通っていた頃(12歳~15歳頃)のものです。すでに品格が感じられる写真ですね!

高校を卒業した桂由美さんは、お母さんの意向で共立女子大学家政学部被服学科に入学しました。

大学1年のときに文学座の研究生になった桂由美さん。ルックスには自信がないとの理由で、女優になる気はさらさらなく、ドラマを作ることに興味があったのでプロデューサー志望だったそうです。

しかし、演劇については才能の限界を感じるようになり、ファッション業界に身を置く決心を固めたのだそうです。

ギモンくん

桂由美さんは、お母さんが洋裁学校の校長先生をしていたんだね!由美さんもお母さんに似て縫製が得意だったのかな?

カイケツさん

お母さんの跡継ぎとして期待されていた桂由美さんなんだけど、実は浴衣を真っすぐに縫えないほど縫製が苦手だったのよ!
だから、由美さんは「縫うのが得意でなければデザインすればいい!」と考えたんだって!得意なデザインを活かしてファッションの道を究めようと決意できたのはすごいことよね!

20代~50代(1950年~1990年)

桂由美さん
引用元:Yahoo!ニュース

桂由美さんは大学を卒業後、1960年(30歳)にクチュリエ協会が設立したパリの名門服飾学校に1年間留学し、クチュール技術を学びました。子どものころに絵本の中で見たお姫様のようなパリの花嫁の美しさに、由美さんは心が震えたのだそうです。

クチュール技術とは?
オーダーメイドの仕立服を制作する技術のことで、パターン(型紙)や縫製、刺繍などの技術です。フランス語の「couture(クチュール)」は「仕立て」「縫製」を意味し、高級仕立服を指す「オートクチュール(Haute Couture)」の基礎技術です。 
当時、日本ではまだヨーロッパ式の立体裁断が普及していなかったので、桂由美さんは本場で学んだ高度なクチュール技術を活かし、スタイル抜群に見せる魔法のシルエットを作り上げていったのです。

そして、ある女性週刊誌から「海外の著名人にインタビューをしてほしい」という思いがけない依頼があったのだそうです。由美さんは洋裁学校の顧問をしている議員の方に相談するなどして、パリ滞在中に元女優でモナコ公国の王妃のグレース・ケリーさんインタビューしたり、オードリー・ヘプバーンさんソフィア・ローレンさんといった大女優とも会うことができたのだそうです。

この出会いにより本物のエレガンスを実感することができ、由美さんにとって最も得ることが多かったインタビューとなったのだそうです。

上の写真は、30歳の頃パリに留学した際に女優のソフィア・ローレンさんと撮った1枚(左が桂由美さん、右がソフィア・ローレンさん)です。笑顔がステキで、かっちりしたスーツもばっちり決まっていますね!

桂由美さん
引用元:独立メディア塾

桂由美さんは、パリから帰国した後、お母さんが経営する洋裁学校で先生を務めます。

その中で、日本ではまだ誰もやっていない婚礼衣装をやろうと決意した由美さんは、学生の卒業制作の課題に「ウェディングドレス」を出し、生徒と共に生地探しを行ったそうですが、当時の日本はウェディングドレスの需要がほとんどなかったため、生地やアクセサリーが見つからず、ウェディングドレスに合わせる髪飾りやブライダルブーケも自分たちで作るしかなかったのだそうです。

この時経験した苦労から、誰もやっていないことをやるのは意義があるのではないか、と考えるようになった由美さんは、ブライダルの世界に携わっていくことを決心したのです。

そして、桂由美さんは、1964年12月末(34歳)に日本初のブライダル専門店・桂由美ブライダルサロンをオープンし、1965年(35歳)に日本初のブライダルデザイナーとして活動を開始しました。

由美さんがブライダル専門店を開いた頃は、結婚式でのウエディングドレス比率はたった3%だったそうです。サイズが合わない、着てみたら似合わない、といった原因により心が折れて諦めていく女性のために、由美さんはひとつひとつ丁寧に話を聞きながら、その障壁を取り除いていきました。

上の写真は、1965年(35歳)にブライダルデザイナーとして活動を始めた頃の写真です。スーツ姿に胸元のコサージュがとってもおしゃれですよね!生き生きとした表情がかっこいいです!

桂由美さん
引用元:めざましmedia

桂由美さんは、1969年(39歳)、NPO法人全日本ブライダル協会を設立しました。この協会の設立により、洋風の結婚式に対応できる美容師や式場関係者などの育成にも力を入れ、由美さんはウエディング業界の発展のために数々の提案を行いました。

由美さんが提案した代表的なものが「シビルウェディング(宗教にとらわれず、法律上の婚姻の成立に重きをおいた挙式スタイル)の提唱」「恋人の聖地(プロポーズにふさわしい観光スポット)」「ふるさとウェディング(その地域独自の文化、食べ物、場所、風景などを活かした結婚式)」などです。

また、1976年(46歳)には日本フォーマルウエア協会(現・日本フォーマル協会)を設立し会長に就任しました。この協会は、日本におけるフォーマル文化を普及し、指導啓発するための活動を目的としています。

2000年からベストフォーマリストを毎年男女2名を選出・授賞式を行ったり、フォーマルスペシャリスト検定試験やフォーマルマナー・ルール研修を実施しています。

1980年代にはウエディングドレス事業で海外進出を果たし、数十カ国でファッションショーを開いて、日本の美を発信し続け、世界的に知られるブランドとしての地位を固めていきました。

1981年にアメリカ・ニューヨークでのブライダルショーで発表した「ユミライン」と呼ばれる、着物の「お引きずり」からヒントを得て誕生した長い裾のドレスは、アメリカで評判となり、日本でも大ヒットとなりました。

その一方で、日本人の和装離れを心配した由美さんは、着付け時間の短縮となるツーピース式の着物を開発したり、打掛を大幅に軽量化したりするなど、新たなスタイルを提案して和装の改革にも力を入れました。

上の写真は、1981年(51歳)にニューヨークでファッションショーを開催した時のものです。ボブヘアにサングラス、先進的なファッションを取り入れていてとってもお似合いでカッコイイです!

ギモンくん

当時の日本の婚礼衣装の97%が着物で、ウエディングドレスを着る人は圧倒的に少なかったんだね!ウエディングドレスを日本に広めるために桂由美さんが工夫したことって何なんだろう?

カイケツさん

桂由美さんは、ウェディングドレスの素晴らしさを訴えるためにブライダルショーを開いたんだけど、草笛光子さんら人気女優をキャスティングすることで世の中の注目を集めたのよ!この成功は近年に至るまで由美さんが著名人を起用してブライダルショーを続けた原点となっているわ!

60代以降(1990年~)

桂由美さん
引用元:YUMI KATSURA OFFICIAL WEBSITE

桂由美さんは、1993年(63歳)に、自身がデザインした祭服を当時のローマ法王・ヨハネ・パウロ二世に献上したことでも知られています。

当時、由美さんは着物や帯地の伝統技術を守るための様々な挑戦を行っていて、博多織のすばらしさを世界にアピールする手段はないだろうかと考えていたときに思いついたのが、ローマ法王への祭服の献上だったのだそうです。

ローマ法王が重いものは着用されないと聞いた由美さんは、軽くて薄くて豪華な博多織の開発を進め、純金箔を使った特殊な織りの生地に、柄は法王の祖国ポーランドの国花パンジーをモチーフにデザインされました。

発案から2年半の歳月をかけて完成させ、献上された祭服は3ヶ月後の復活祭で法王に着用され、その様子が全世界に放映されました。

これを機に由美さんは、日本の美を世界に発信することに強い使命感をいだくようになったのだそうです。

上の写真は、1993年(63歳)にローマ法王に祭服を献上した時のものです。水玉模様の個性的なスーツとターバンがとってもおしゃれですよね!

桂由美さん
引用元:シネマカフェ

桂由美さんは、2003年(73歳)に春夏パリ・オートクチュールコレクションに初参加しました。それ以降、毎年パリでコレクションを発表するようになりました。

また、2008年のハリウッド映画「幸せになるための27のドレス」に桂由美さんデザインのウェディングドレスが採用されました。この映画は、いつかは自分の結婚式を夢見ながら、“ブライドメイド(=花嫁付き添い人)”として友人の世話ばかりしてきた女性・ジェーン(キャサリン・ハイグルさん)が、夢を掴むまでを姿を描いたハートフル・コメディです。

劇中に登場するウエディングドレスの数々を手がけた桂由美さんの元に、主演のキャサリン・ハイグルさんから「あなたのドレスを着ることが私にとって最高の喜びでした。あなたのドレスは特別で、着るたびに胸が躍ります」という素敵なメッセージが届いたのだそうです。

上の写真は、2008年5月(78歳)に映画「幸せになるための27のドレス」のイベントに出席した時のもので、一緒に登壇した西川史子さんは、桂由美さんのデザインしたウエディングドレスを着ています。とっても美しいですね!由美さんも爽やかなブルーの衣装とサングラスがとってもおしゃれでお似合いです!

桂由美さん
引用元:FASHIONSNAP

桂由美さんは、2013年(82歳)に国内74回目を迎えるブライダル&エンターテインメントショー「2013 YUMI KATSURA GRAND COLLECTION in TOKYO」を両国国技館で開催し、デザイナー岩谷俊和さんが手がけるオートクチュールや友禅のパリコレクションを国内初披露しました。

このショーにはK-POPグループKARAのスペシャルステージもあり、ロングからミニ丈に切り変わる華やかなドレスを身に付けたKARAのジヨンさんは「緊張したけど、自分の姿を見てちょっと可愛いなと思いました」とコメントしています。

上の写真は、2013年(82歳)に「2013 YUMI KATSURA GRAND COLLECTION in TOKYO」に出場した時のもので、一番左が桂由美さん、右がKARAのメンバーです。84歳とは思えない美しさとお洒落さには本当に驚きです!

桂由美さん
引用元:ORICON NEWS

桂由美さんは、2024年5月3日(94歳)放送のトークバラエティ番組「徹子の部屋」に出演しています。この番組の収録は同年4月22日に行われたもので、桂由美さんがお亡くなりになる4日前でしたが、収録中はとてもお元気そうな様子だったそうです。

「“まだまだ、することがたくさんあるのっ”て、おっしゃってた桂さん。その日に、私が着せていただいたのは、桂さんの白いレースのブラウス。収録が終ったら“そのブラウス、あなたに、とても似合ってるから差し上げるわ”と。シンデレラのようなブラウスをプレゼントしていただきました」

引用元:スポニチ

桂由美さんの訃報を受けて、司会の黒柳徹子さん収録時の様子を明かしていました。

上の写真は、徹子の部屋に出演していた時のもので、お亡くなりになられる4日前(2024年4月22日、93歳)に収録されたものです。93歳とは思えないほどお綺麗で、笑顔が本当にステキですね!

ギモンくん

桂由美さんと言えば、ターバン巻の頭がとっても印象的だよね!ターバン姿がトレードマークになったきっかけはあるのかな?

カイケツさん

このターバン姿は30年以上前からのスタイルなんだけど、由美さんの夫からの「黒柳徹子さんみたいに髪型を変えない方がいい」というアドバイスを受けたことがそもそものきっかけだったみたい。
由美さんのお母さんが急死した時、遺品の帽子をかぶってみたけど頭にフィットしなくて、お葬式の後に帽子のデザイナーで昭和天皇・皇后両陛下の帽子も作っていた平田暁夫さんに相談して、約150個もターバンを作ってもらっていたそうよ!

桂由美さんが所属していた”ユミカツラインターナショナル”について

桂由美さん
引用元:日経ビジネス

桂由美さんの所属するユミカツラインターナショナルは、ファッションデザイナーの桂由美さんが代表取締役社長を務めていた日本のドレスメゾンで、昭和38年に設立されました。

ユミカツラインターナショナルでは、ブライダル&フォーマルウェアの企画・製造・販売およびレンタル事業を行っています。

【画像】桂由美が結婚した旦那はどんな人?後継者は誰?

桂由美が結婚した旦那はどんな人?

桂由美さん
引用元:独立メディア塾

桂由美さんは、1972年に元大蔵省(現在の財務省)官僚の結城義人さんと結婚しています。

由美さんは、40代になって仕事が軌道に乗り、残りの人生を共にする相手がほしくなったためお見合いを始め、3人目に出会ったのが結城さんだったそうです。

当時、由美さんは42歳、結城さんは53歳と晩婚で、披露宴での「売れ残り同士、仲よくやります」という結城さんのあいさつは笑いを誘い、マスコミで大々的に取り上げられました。

桂由美さんの夫・結城義人さんはどのような方だったのでしょうか?

引用元:独立メディア塾

結城さんは、かつて大蔵省造幣局長まで務めた人でしたが、役人らしからぬユーモアにあふれた人だったそうです。結城さんもお見合いを重ねており、由美さんは結城さんの37人目のお見合い相手だったそうです。

由美さんと結婚後、結城さんは仕事の合間に通っていた図書館で、弁護士試験を受けるという知人に出会ったことがきっかけで、自身も弁護士試験を受けてみようと決めたそうです。

当時の弁護士試験は、今以上に非常に厳しく難関で、結城さんも1度目の試験は残念ながら不合格でした。新しい法律の知識や情報の不足を痛感した結城さんは、東京大学に入り直すことにし、2度目の挑戦で見事弁護士試験に合格しました。

結城さんは当時(昭和54年)の最高齢合格(60歳)だったそうです。いくつになっても挑戦し続ける姿勢は素晴らしいですよね!

結城さんは弁護士、由美さんはデザイナーというお互いに多忙な仕事を持っていたため、ゆっくりと旅に出たり休暇を一緒に楽しむようなことはほとんどできなかったそうですが、忙しい合間を縫って、由美さんの海外出張に結城さんが合流するなどし、夫婦で過ごす時間を大切にしていたのだそうです。

その後、結城さんは60歳を過ぎてから糖尿病を患い、これが原因で1990年12月、享年71歳で逝去されました。結城さんは、生前に「通夜や葬儀は一切無用」と話していたそうで、由美さんはその遺志を守り訃報は新聞掲載のみにとどめたそうです。現役弁護士として活躍中の若き結城さんの死に、多くの人が驚き深く悼みました。

ギモンくん

桂由美さんには、譲れない結婚相手の条件があったみたいだね?

カイケツさん

桂由美さんは、ブライダルファッションデザイナーを一生続けていく覚悟だったから、結婚後も仕事を続けることを許してくれることが相手に望んだ条件だったんだって!
あと、由美さんの仕事に口出しせず、夫には違う畑で活躍してもらって、それが尊敬できるものであってほしいとも考えていたそうよ!結城さんは由美さんにとってピッタリの運命の相手だったのね♪

桂由美の後継者は誰?

桂由美さん
引用元:OVO

多くの人に惜しまれながらも2024年4月26日に逝去された桂由美さん

桂由美さんはご結婚されていましたが、お子さんはいらっしゃらなかったため、どなたが後継者になるのかと注目されていました。

ユミカツラインターナショナルは、アクセサリーデザイナーの藤原綾子さんレンタルドレス担当の森永幸徳さん販売ドレス担当の飯野恵子さんの3人が率いるクリエイティブチームが後継者となることを発表しています。

藤原綾子さん
引用元:日刊スポーツ

藤原綾子さんは、岩手県釜石市出身で、1987年にユミカツラインターナショナルのアクセサリーデザイナーに就任し、30年以上桂由美さんの右腕として活躍していました。

藤原さんは、「釜石応援ふるさと大使」に任命されており、「恋人の聖地」に選ばれている釜石市大平町にある「釜石大観音」に銘板を設置するためのハートをモチーフにしたモニュメントをデザインされています。

藤原さんは、「新しい素材へ挑戦、卓越した技術を持つ方との出会いなど、常に切磋琢磨しながら、ユミカツラならではのアクセサリーをこれからも創っていきます。今はアクセサリーを脇役から主役にする挑戦をしています」と語っています。

森永幸徳さん
引用元:日刊スポーツ

森永幸徳さんは、大分県出身で、ユミカツラインターナショナルでレンタル部門のドレスデザイナーをしています。

1988年に文化服飾学院アパレルデザイン科を卒業後、2000年までユミカツラインターナショナルに在職し、デザイナーとして活躍した後、独立後もレンタル部門のデザイナーとして桂由美さんを支えてきた方です。

森永さんは、文化服飾学院在学中に銀座カワムラ主催の「夜会服コンテスト」で特別賞を受賞したり、1996年には繊研新聞社主催「新人クリエーターズコレクション・ウエディングドレス部門最優秀賞を受賞されています。

森永さんは「花嫁が運命のドレスに出合うその瞬間を思い描きながらユミカツラらしいドレスを創り続けます」と語っています。

飯野恵子さん
引用元:日刊スポーツ

飯野恵子さんは、ユミカツラインターナショナルのドレス販売を担当しています。詳細な経歴は不明ですが、桂由美さんの元で長年働いてこられた方なので、とてもスゴイ方だということは分かりますね。

飯野さんは、「花嫁が360度きれいに見える、という、ユミカツラのドレスの本質を守り、常にデザインをしていきたいと思っています」と語っています。

この素晴らしい後継者チームが、今後も桂由美さんのレガシーを引き継いで、美しいブライダルシーンを創造してくださることでしょう!?

ギモンくん

後継者の皆さんにとって、桂由美さんはどんな人だったのかな?

カイケツさん

桂由美さんについて、飯野恵子さんは「先生(由美さん)、めったに褒めないんです」と話していて、森永幸徳さんも「社員の誰かが急に倒れたりしても、その人を心配するよりも仕事のことを心配する」と話していたりと、本当に厳しい人だったみたいよ!
それでも、桂由美さんは何よりも花嫁さんを喜ばせたいという強い思いがあって、人を惹きつける魅力もあったから、後継者の皆さんはとっても尊敬していたそうよ!

桂由美さんがデビューした1965年はこんな年だった!

プロ野球第1回ドラフト会議
朝永振一郎さんがノーベル物理学賞受賞
ジャングル大帝
引用元:スポニチJIJI.COMBANDAI CHANNEL

桂由美さんがデビューした1965年は、「プロ野球第1回ドラフト会議の開催」、「朝永振一郎さんがノーベル物理学賞受賞」、「日本最初のカラーテレビアニメ『ジャングル大帝』放送開始」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語は、ファッション界の「アイビールック(アメリカ東部の名門大学をイメージしたファッション)」でした。

桂由美のプロフィール・SNS

引用元:テレビ朝日

プロフィール

  • 名前:桂 由美(かつら ゆみ)
  • 本名: 結城 由美(ゆうき ゆみ)
  • 生年月日:1930年4月24日
  • 年齢:享年94歳(2024年4月26日逝去)
  • 出身地:東京府(現在の東京都)
  • 血液型:B型
  • 趣味:スキューバダイビング
  • 好きな食べ物:すき焼き

SNS

ギモンくん

桂由美さんの趣味はスキューバダイビングとは驚きだね!好きになったきっかけは何だったんだろう?

カイケツさん

過去に、美容師の山野愛子ジェーンさんに誘われてダイビングをやって、そのときの海の色に魅せられてハマったそうよ!
なんと70代でダイビングのライセンスを取得したんだって!
海をテーマにしたドレスをパリコレで発表したこともあって、趣味もしっかり仕事に繋がっているなんて、本当に尊敬だわ!

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