ロックミュージシャンとして活躍を続けている布袋寅泰さん。
絶大な人気を誇った伝説的ロックバンドBOOWYのギタリストとしてデビューし、日本だけでなく世界を舞台に活躍してきました。
今回は布袋寅泰さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】布袋寅泰は若い頃かっこいい!
幼少期~10代(~1981年)
引用元:instagram
布袋寅泰さんは群馬県の裕福な家庭で生まれ育ち、幼い頃からピアノ、トランペット、エレクトーンなどの楽器にも親しんできました。生家には当時まだ珍しかったエアコンが設置されており、自身や妹にも幼少期から個室が与えられ、リビングにはドイツ製のアップライトピアノや高級ステレオもあったそうです。
上の画像は幼少期のもので、自身のInstagramに「父の気持ちが少しずつわかってきた。」というコメントと共に投稿されました。貿易商として海外を飛び回っており厳格な性格だった父とはあまり親密な関係ではなかったようですが、布袋寅泰さんは後に、現在の自身の趣味趣向から「悔しいかな父から受けた影響は絶大だった」と語っています。
引用元:instagram
1976年14歳の頃にマーク・ボランのポスターを見て感銘を受け、ギターを始めたそうです。中学時代はギターを始めるまで何にも興味が持てなかったそうで、この頃のことを
「まず勉強でドロップアウト。バスケ部やサッカー部、テニス部にも入部したが闘争心が湧かず退部、かといって不良グループは煙草を吸って、バイクに乗って、パチンコして、他校の生徒と喧嘩して、何が面白いのか全く理解できなかった」と語っています。
上の画像は1978年16歳の頃、高校2年生の時のものです。現在とかなりイメージが違いますが、細く整えられた眉と長い髪が似合っていて、女性と間違えてしまいそうですね!幼少期からファッションや外見にもこだわりがあった布袋寅泰さんは、坊主にするのが嫌だったため、私服登校が可能な中高一貫制の私立校へ進学し、真っ赤なスーツで登校したりしていたそうです。
引用元:instagram
上の画像は1979年17歳の頃、高校3年生の時にライブでギターを演奏している時のものです。眉毛が無く、コワモテな印象ですね。当時はオキシドールで髪をオレンジに染めたり、デヴィッド・ボウイの「アラジン・セイン」のジャケットを真似て眉毛を剃り落としたりしていたそうです。
布袋寅泰さんは中学生~高校生時代に、「キティ」「ジギー・リギー」「BLUE FILM」といったバンドに在籍して活動しており、追っかけも存在するほどでした。バンドには後に「BOOWY」のメンバーとなる深沢和明さんも在籍しており、同時期に同じ地域で氷室京介さんと松井恒松さんも「デスペナルティ」というバンドで活動していました。
その後、高校3年の3学期に高校を中退し、中退と同時期にバンド「BLUE FILM」で「EAST WEST ’79 関東甲信越大会」、「A’ROCK本選会」、「ROCK INN」といったコンテストに出場しました。「A’ROCK本選会」では全国大会まで進出し、アイディア賞を受賞しました。
引用元:HMV&Books
コンテスト後バンドメンバーと共に上京した布袋寅泰さんでしたが、程なくして音楽性の違いからバンドは空中分解してしまいました。高校時代の先輩や当時同棲していた女性の協力を得て生活をしつつ、ギターフレーズを考案するなど自身の音楽スタイルを模索する日々を送っていたところ、氷室京介さんから突如連絡を受けたとのことです。
氷室京介さんと再会し数時間話をした結果、音楽的嗜好が近いことなどから意気投合し、2人でバンドを結成することとなりました。その後、かつて音楽活動を共にしていたメンバーなども加わり、1981年19歳の頃、「暴威」としてデビューライブを開催。デビューライブ後もメンバーの入れ替わりがあり、上の画像の6人のメンバーで活動を開始することとなりました。
布袋寅泰さんは、どうして高校を中退したのかな?
学校側から髪型を指摘されたことが原因だったそうよ。
でも実際は他人から強制されたことに嫌悪感が湧いただけで、髪型自体にそれほどこだわりがあったわけでわなかったそうで、長かった髪は中退した翌日に切ってしまったみたいね。
布袋寅泰さんは自身の独特のギタースタイル、ビジュアルを確立した大きな要因として、「他人と同じことが大嫌い」という性格を挙げているのだけど、エピソードからも、他人ではなく自分が決めたスタイルを貫くという信念が感じられるわね。
20代(1982年~1991年)
引用元:the firsttimes
デビューライブ後「暴威」は「BOOWY」とバンド名を変更し、布袋寅泰さんは1982年20歳の頃に、「 BOOWY」のギタリストとしてアルバム「MORAL」でメジャーデビューを果たしました。
同年に2名が脱退し、以降は解散まで4人編成で活動することとなります。上の画像は4人編成になった後のものです。一番右が布袋寅泰さんです。凛々しい表情でかっこいいですよね!
「BOOWY」は数々のライブやツアーを行い、1986年24歳の頃にリリースした5thアルバム「BEAT EMOTION」と1987年25歳の頃にリリースした6thアルバム「PSYCHOPATH」は当時のロックバンドのアルバムとしては異例のミリオンセラーを記録しました。
シングルでも1987年リリースの6thシングル「MARIONETTE」がオリコン初登場1位を記録し、名実ともにトップバンドとなりました。人気絶頂の「BOOWY」でしたが、1987年布袋寅泰さんが25歳の時に、ツアー最終日のライブ中に突然の解散宣言をしました。
翌年1988年の東京ドームでのライブ「LAST GIGS」開催、ライブアルバム「LAST GIGS」、ベストアルバム「SINGLES」の発売をもって「BOOWY」としての活動を終えました。「BOOWY」は人気絶頂期での解散も相まって第二次バンドブームの火付け役となり、伝説のバンドと位置付けられることとなりました。
引用元:instagram
その後1988年26歳の頃、布袋寅泰さんは「BOOWY」としての最後のライブ「LAST GIGS」から約半年後に1stアルバム「GUITARHYTHM」をリリースしソロデビューを果たし、アルバム発売に伴うライブも開催しました。以降のソロでの活動では、ライブツアー等の開催の他、多数のドラマ・テレビ番組やCM、ゲーム等とのタイアップも行っています。
上の画像はソロデビューした当時のもので、布袋寅泰さんが「ソロデビューから30年。26歳の布袋寅泰に怖いものなどなかった。」というコメントと共にInstagramに投稿していました。特徴的なヘアスタイルとギターが印象的で、「怖いものなどなかった」とコメントされている通り、堂々とした様子ですね。ソロデビューしたばかりの頃だと思いますが、既に自身のスタイルが確立されていたことが感じられますね。
引用元:rockinon.com
同年に布袋寅泰さんは、「BOOWY」時代から親交があった吉川晃司さんと共に「COMPLEX」を結成することを発表し、翌年の1989年27歳の頃に1stシングル「BE MY BABY」をリリースしました。上の画像はリリース当時、雑誌「ロッキング・オン・ジャパン」1989年4月号 の表紙を飾った時のものです。二人ともイケメンですよね!
1stシングル「BE MY BABY」は、布袋寅泰さんと吉川浩二さんが白い空間でそれぞれ歌、ギター演奏をするだけというシンプルなMVも話題になり、MVは後にシングル・ビデオ「BE MY BABY」としてリリースされています。以降結成から約2年間の活動中に発売された作品は、全て、オリコンチャートで1位を獲得しました。
その後1990年28歳の頃「COMPLEX」の無期限停止を発表し、布袋寅泰さんは東京ドームで開催された「ROMANTIC EXTRA」をもって「COMPLEX」としての活動を終え、ソロとしての活動を本格的に再開しました。翌年1991年29歳の頃には、ロンドンで行われた外務省主催のジャパンフェスティバルに日本代表のミュージシャンとして招かれ、クラブ「TOWN & COUNTRY」でワンマンライブを開催しました。
「BOOWY」はどうして人気絶頂の中解散してしまったのかな?
「BOOWY」のメンバーは活動中から、「トップに立ったら解散」とインタビュー等で公言をしていたみたいね。
布袋寅泰さんは解散後のインタビューで「音とか売り上げとかじゃなく、意識が完成したから解散したんだと思う」と語っていたわ。また、解散の要因の1つとして「自身が海外での活動を強く希望した」こともあげていたわ。
30代(1992年~2001年)
引用元:hotei.com
布袋寅泰さんは、「COMPLEX」解散後は一部単発企画や限定の再結成を除き、現在まで一貫してソロでの活動に徹しています。上の画像は1992年30歳の時にソロとしての3rdアルバム「GUITARHYTHM Ⅲ」をリリースした時のものです。20代の頃の鋭いかっこ良さに加えて、大人の魅力が加わった印象ですね!
この作品のリリースに伴うライブツアー「GUITARHYTHM WILD TOUR」の京都公演には、氷室京介さんも観覧に訪れていたそうです。「BOOWY」の解散後、氷室京介さんが布袋寅泰さんのライブを観覧したと公表されているのは、この1度きりのようです。
引用元:youtube
1994年32歳の頃には奈良市の東大寺で行われたユネスコ世界文化発展の10年計画の公式イベント「GME ’94 〜21世紀への音楽遺産をめざして〜 AONIYOSHI」に参加し、マイケル・ケイメン、ジョニ・ミッチェルなど世界の名だたるアーティストと共演しました。
そして、1996年34歳の頃には、デヴィッド・ボウイの「アウトサイド・ツアー」日本武道館公演のオープニングアクトを務め、公演のアンコールでは共演を果たし、同じく1996年に、マイケル・ケイメンの依頼によりアトランタオリンピックの閉会式のセレモニーにてフロント・ギタリストを務めました。
1997年35歳の頃には15thシングル「CHANGE YOURSELF!」をリリースしました。上の画像はリリース時のMVの時のものです。この作品は日清食品のCMソングとして製作され、「BOOWY」解散後封印してきたBOOWYサウンドが解禁されています。
CMには布袋寅泰さん自身も出演しました。また、同じく1997年の年末には、今井美樹さんに提供した「PRIDE」で第39回日本レコード大賞作詩賞を受賞しました。
デヴィッド・ボウイとの共演のきっかけは何だったのかな?
布袋寅泰さんにとってデヴィッド・ボウイは中学生時代からの憧れのロックスターで、オープニングアクトの機会を得た布袋寅泰さんは「一緒に演らせてくれませんか?」とお願いの手紙を渡したそうよ。
すると翌日の楽屋で「HOTEIさん!今夜はどの曲を一緒に演ろうか?」と提案があって、公演のアンコールで共演することになったみたいね。
ずっと憧れていたスターと共演できるなんて、夢のようね!
40代以上(2002年~)
引用元:oricon.co.jp
布袋寅泰さんはその後も精力的に活動を続け、2011年には、自身の49歳の誕生日に合わせて日本武道館でアーティスト活動30周年記念ライブを行いました。ライブでは「BOOWY」の楽曲の他、「COMPLEX」の楽曲、自身の1stソロアルバム「GUITARHYTHM」の楽曲の中からキャリア初期を総括する選曲を熱演し、約1万人の観客を熱狂させました。
上の画像は30周年記念ライブ当日のものです。40代最後の年を迎えてもなお、スタイリッシュなかっこよさは変わっていませんね!そして2012年、自身の50歳の誕生日に合わせ、30周年アニバーサリー・イヤーのフィナーレとして、超満員12,000人を動員する「30th ANNIVERSARY 第四弾 HOTEI THE ANTHOLOGY “最終章” WE ARE DREAMER ~50th BIRTHDAY SPECIAL CELEBRATION GIG~」を開催しました。
引用元:スポーツ報知
2021年59歳の頃には、日本を代表するギタリストとして、東京パラリンピックの開会式で演奏を披露しました。布袋寅泰さんは1996年34歳の頃にアトランタオリンピックの閉会式のセレモニーにてフロント・ギタリストを務めているため、オリンピック・パラリンピック両方の舞台で演奏したことになりますね!
上の画像は開会式での様子です。個性的な衣装も似合っていて、代表にふさわしいかっこよさですね!布袋寅泰さんはこの日のために「TSUBASA」と「HIKARI」の2曲を書き下ろし、全盲のギタリスト・田川ヒロアキさんと共演しました。光るトラックから登場するなど、還暦間近とは思えないパワフルなパフォーマンスが印象的でした。
共演した田川ヒロアキさんは、開会式の直前に舞台裏で布袋寅泰さんから「自分が一番かっこいいと思うんだ。俺を超えてみろ」と声をかけられたそうです。この一言をうけて田川ヒロアキさんは、「思いっきり楽しもう!」と思えたとのことでした。布袋寅泰さんの人柄と音楽に対する姿勢が感じられるエピソードですね!
パラリンピックの開会式で演奏することを、布袋寅泰さんはどう感じていたのかな?
布袋寅泰さんは現在ロンドンに住んでいるんだけど、オファーを受けた当時ロンドンは新型コロナウイルス感染拡大防止のためロックダウンが敷かれていたため、参加を迷ったみたいね。でも、「音楽で頑張っている皆さんを応援するのはミュージシャン冥利に尽きる」と感じたために参加を決断したそうよ。
「まさか五輪の閉会式とパラリンピックの開会式でこうやって経験できるなんて。夢のようです」と語っていたわ!
【画像】布袋寅泰の妻との馴れ初めは?娘はモデル?
布袋寅泰の妻との馴れ初めは?
引用元:instagram
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布袋寅泰さんは1997年35歳の頃に離婚(アーティストの山下久美子さん)を経験し、1999年37歳の頃に現在の妻である歌手・女優の今井美樹さんと再婚しました。
今井美樹さんとの出会いは、布袋寅泰さんが山下久美子さんのバンドのサポートメンバーを務めていた時に、同じくサポートメンバーとして参加していたドラムの椎野恭一さんを通じて知り合ったようです。
今井美樹さんは布袋寅泰さんのSNSの投稿画像にも度々登場していて、仲睦まじい様子が伝わりますね!今井美樹さんは以前から布袋寅泰さんのファンだったそうで、初対面ですぐに打ち解けて、なんでも話し合える親友になったそうです。
布袋さんから結婚のアプローチをした時に、今井さんはすぐに返事ができなかったんだって?
そうみたいね!「二人の気持ちが確かなものとなるまで時間がほしい」と言ったみたいよ!今井美樹さんは、布袋さんの背景の大きさを背負っていく自信がなかったと話していたみたいだけど、「布袋さんの音楽への情熱を浴びることができなくなるのは嫌だ」と思った途端、気持ちがすーっと楽になったらしく、結婚を決意することができたみたいだね!
布袋寅泰の娘はモデル?
引用元:instagram
引用元:ねとらぼ
布袋寅泰さんと今井美樹さんの間には、布袋寅泰さんが40歳を迎えた2002年に一人娘の愛紗(あいしゃ)さんが誕生しました。愛紗さんも布袋寅泰さんのSNSの投稿に幼い頃から度々登場しており、最近も、後ろ姿や、顔がわからないように加工された形で登場することがあります。
布袋寅泰さんと今井美樹さんは2012年、布袋寅泰さんが50歳で愛紗さんが10歳の頃にロンドンに移住しました。投稿からは、親子で散歩に出かけたり、布袋寅泰さんが愛紗さんのお弁当を作り、幼稚園でギターを演奏するなど、仲良しな様子がうかがえます。
特に、布袋寅泰さんが愛紗さんの14歳、15歳の誕生日にそれぞれ「君はもうLadyだね。いつまでも見守っているよ。」「きみは世界で一番美しい」というコメントと共に投稿された後ろ姿は、まるでモデルのようだと話題になりました。たしかに、後ろ姿だけで美人ということがわかるくらい、スタイル抜群ですね!
布袋寅泰さんの娘の愛紗さんは現在何をしているのかな?
現在22歳(2024年7月)の愛紗さんは、2021年にイギリスの大学に入学し、現在は寮で暮らしているみたいね。将来はモデルや歌手として活躍するのではないかと期待されているわ!
布袋寅泰のプロフィール・SNS
引用元:instagram
プロフィール
- 名前:布袋 寅泰(ほてい ともやす)
- 生年月日:1962年2月1日
- 年齢:62歳(2024年8月現在)
- 出身地:群馬県
- 血液型:B型
- 趣味:料理
- 所属事務所:DADA MUSIC(個人事務所)
SNS
- X(旧Twitter) URL:x.com
なんと懐かしい写真。この頃僕の体重は57キロだったよ。今より20キロ細かった。 https://t.co/OwHeHWdsLD
— 布袋寅泰 (@Official_Hotei) July 1, 2024
- Instagram URL:instagram
- facebook URL:facebook
- YouTube URL:youtube
- オフィシャルサイト URL:hotei.com
布袋寅泰さんの趣味が料理って、意外ではないかな?
2022年60歳の時にSNSで「長年『趣味はない』とこたえる自分をずっと寂しく思っていたが、ひょっとすると料理が1番の趣味なのかもしれない」と語っていたわ!
「胃袋を満たすためではなく、心を満たすための時間は音楽を作るようにクリエイティブで楽しい」そうよ。
手料理の写真がInstagramに投稿されていて、とっても美味しそうだったわ!