オーディション番組からデビューし、CHEMISTRYとして、ソロアーティストとして活躍を続けている堂珍嘉邦さん。
近年では、ネット配信番組のMCや舞台・映画など俳優としても活躍されています。
今回は堂珍嘉邦さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】堂珍嘉邦は若い頃イケメン!
20代(1998年~2008年)
引用元:YouTube
堂珍嘉邦さんは、テレビ番組「ASAYAN」で開催された「男子ボーカリストオーディション」で1万9100人の中から選ばれ、同じくオーディションで選ばれた川畑要さんと共にCHEMISTRYとしてデビューされました。
上の映像は2000年7月(当時21歳)のオーディションの時のものです。この頃から完成された歌声ですよね!
「なんか毎日が…お金とかっていうことじゃなくて…宝くじに当たったような感覚でした。」
当時を振り返ってラジオでそうお話しされていた堂珍嘉邦さん。
オーディションの最終選考に残った5人の中には、EXILEのATHUSHIさんとNESMITHさんもいたというのは有名な話ですが、実は最終選考には残っていませんが、同じオーディションにお笑い芸人NON STYLEの井上裕介さんも応募していたのだとか。
今思うと有名人ばかりですごい番組だったのですね!
ちなみに、CHEMISTRYというユニット名は「ふたりのヴォーカリストが生み出す「音楽的化学反応」に由来」しており、当時他にも候補として、堂珍さんの実家が農家だということと川畑さんが建築現場でアルバイトしていたことから「SEED and BUILD」や「Cool Dimension」「DOWNTOWN」「Do it Tomorrow」などが上がっていたそうです。
引用元:HMV&BOOKS online
CHEMISTRYは、オーディションの翌年「PIECES OF A DREAM」(2001年3月7日発売・当時22歳)でデビューしました。上の画像は「PIECES OF A DREAM」シングルジャケット写真です。知らない人はいないCHEMISTRYの代表曲ですよね!
当時を振り返って堂珍さんは「ニューヨークってこんなに寒いんだ」って思いました(笑)と、マイナス15度ほどの厳しい寒さの中で撮影したことをお話しされていました。
着ている衣装もご自身が古着屋で購入した物なのだそう。
また、MVでは歌詞を手話で表現しており、当時話題になりました。
そんな「PIECES OF A DREAM」はオリコンシングルチャート初登場2位で、その後もロングセラーを続け15週目にはミリオンセラーを達成しています。
同年に発売された初のオリジナル1stアルバム「The Way We Are」も男性アーティストのデビューアルバムとしては歴代1位を記録しCHEMISTRYは、この年の第52回NHK紅白歌合戦への初出場を果たしました。
引用元:SonyMusic
上の画像は2002年12月18日(当時24歳)にリリースされた「My Gift to You」のジャケット写真です。
「目に見える贈り物じゃなくても、人の優しさだったりとか温かさみたいなものが凄く詰まっている。音楽の力を信じて今日は歌いたいな」
2011年3月11日東日本大震災で翌週に放送延期となった「ミュージックステーション」に出演したCHEMISTRYのお2人は、当初披露予定だった「PIECES OF A DREAM」から「My Gift to You」に変更したそうです。
引用元:SonyMusic
上の画像は、前作から1年2ヶ月ぶりの2ndアルバム「Second to None」(2003年1月8日・当時24歳)のジャケット写真です。
「歌声だけが呼び起こすもの。」
そんなキャッチコピーの本アルバムは、オリコン初登場1位を記録し、1stアルバムに続いてミリオンセラーとなりました。また、年間アルバムランキングでも1位を獲得しました。
これにより男性アーティスト初となる1stアルバムから連続でのミリオンセラー達成となりました。
今ではライブ活動にも力を入れているCHEMISTRYだけど、初ライブはどうだったのかな?
CHEMISTRYとしての初ライブは、2002年日韓共催のFIFAワールドカップだったみたい。当時を振り返って堂珍さんは、
「どうやって盛り上げようとか、どうやってパフォーマンスしようとか、そういった中で、ライブを一生懸命、自分たちなりの距離感で、想いでやることしかもちろんできなかったですけど。」とお話ししていたよ。お2人共ライブ経験がなく、戸惑ったところもあったようね!
30代(2008年~2018年)
引用元:Sony Music
2010年6月4日(当時31歳)CHEMISTRYは10周年に向けて期間限定ユニット「CHEMISTRY+Synergy」を結成します。上の画像はCHEMISTRY+Synergy名義の第2弾シングル「Keep Your Love」のジャケット写真です。
CHEMISTRY+Synergyは「CHEMISTRY 2010 TOUR “regeneration”」に参加した4人のダンサーを加えたユニットで、ツアー内では6人のダンスパフォーマンスが披露されました。
堂珍さんは、このユニット結成について
「変な言い方ですけど、やることが増えたことで、歌に迷いがなくなった。考えすぎないで歌える。歌を大事にしつつ、歌詞の内容をちゃんと踏まえて振り付けてくれるので、伝わりやすくなったと思います。」
とインタビューで答えていました。
ダンスの振り付けはSynergyのメンバーが担当しており、川畑さんも
「Synergyって、器用なまでにメロディや音や言葉に沿って振り付けしてくれるんですよ。」とコメントされています。
10周年を前に歌だけでなくダンスでも、表現の幅が広いですよね!
引用元:Sony Music
「当時は”このままでは続けられない”という気持ちのほうが強かった」
2012年4月(当時33歳)ソロ活動に専念するためCHEMISTRYの活動休止を発表されました。上の画像は活動休止前最後に行われたコンアートツアー「CHEMISTRY TOUR 2012 -Trinity-」のCDジャケットです。
当時を振り返って堂珍さんは、「良くも悪くも活動がルーティンになっていて、先が見えなかったんです。」とお話しされていて、10周年という区切りで新しいことに挑戦したいという思いからソロデビューを決めたそうです。
堂珍さんにとってもCHEMISTRYにとってもポジティブな意味での活動休止のようですね!
その後、堂珍さんはマネジメントを「キノシタ・マネージメント」(現株式会社木下グループ)、レーベルを「Scalear(ソケイリア)」に移籍し、ソロデビューされました。
ソロ活動をスタートさせた堂珍さんは、自分が目指す音楽の形を”耽美エントRock”(綺麗なものとアンビエントを融合したロック)と呼び、積極的にライブなどを開催し音楽活動を続けていました。
引用元:kino films
音楽活動と並行して、俳優としても活動されています。上の画像は2014年5月(当時35歳)出演した映画「醒めながら見る夢」の時のものです。歌っている時とは全く雰囲気が違いますよね!
本作は、2011年に公演された音楽劇「醒めながら見る夢」をベースに制作され、堂珍さんの初主演作となりました。
「映画のお仕事は2回目で、(僕にとっては)ほぼ初めてのようなもの。」
俳優としての経験が少なかった堂珍さんは、本作のラストシーンがマジックアワーに一発撮りで行われることにかなり緊張されたそうで、
「失敗したら、また別日に朝2時起きしなきゃいけない。迷惑を掛けられないので、前の晩に似たような川で練習しました。」とインタビューでお話しされていました。
今作品では、監督の辻仁成さんが作詞作曲した主題歌「醒めながら見る夢」の歌唱も担当されています。
引用元:CHEMISTRY Official YouTube Channel♪
5年間のソロ活動を経て、2017年2月(当時38歳)に行われたライブ「CHEMISTRY LIVE 2017 -TWO-」でCHEMISTRYとしての活動を再開されます。上の映像は「CHEMISTRY LIVE 2017 -TWO-」のダイジェスト映像です。5年経っても変わらず素敵な歌声ですよね!
活動再開のきっかけは川畑さんからの「ライブでもする気ない?近々飯行こう」というメールだったそうで、2016年の15周年を迎えて2人で話しておきたいという気持ちからメールするに至ったそうです。
しかしすぐには返信がなく、1週間後に「今夜どう?」とメールが来たのだとか。
堂珍さんの中では、自分の気持ちを整理するのに時間がかかったらしく、活動再開を見越しての返信だったようです。
活動再開の最初の活動にライブを選んだ理由を「CHEMISTRYが再始動するなら、みんなの顔が見えるライブで「戻ってきました!」という報告を最初にするべきだと思っていた」としていて、ライブMCでは積極的にCHEMISTRYとしての活動をしていきたいとお話しされていたそうです。
お2人はとても仲が良さそうだけど、活動休止期間中も川畑さんと連絡は取っていたのかな?
ほとんどなかったみたいね!
お互いのライブや舞台を見に行ったり、CDを送り合ったりはあったようだけど、付かず離れずの良い距離感を保っていたらしいよ。
40代以上(2018年~)
引用元:PBJ GROUP
上の画像は2018年(当時40歳)からMCを務めていた「music monster」の時のものです。
「music monster」は堂珍さんと共に武田真治さんとオリエンタルラジオの藤森慎吾さんがMCを担当する、深く音楽と向き合う音楽トーク番組です。堂珍さんはトークも面白い印象がありますが、MCは珍しいのではないでしょうか!
相川七瀬さんや元ロードオブメジャーのけんいちさんなど、有名アーティストからYouTubeなどで活躍する新世代アーティストまで幅広くゲストに迎えて、アーティストとしての歴史や裏話をお話しされています。
番組は現在終了していますが、Prime Videoなどでアーカイブが配信されているようです。
引用元:YouTube
上の映像は2020年10月(当時41歳)「真夜中のプラネタリウム-Midnight Planetarium Live- 」の時のものです。
「真夜中のプラネタリウム-Midnight Planetarium Live- 」は、真夜中に始まるプラネタリウムを舞台にした無観客の音楽配信ライブです。堂珍さんは記念すべき初回配信に出演されました。
「やっぱり僕の曲は、空にまつわる単語が多いなと。そういう意味では、プラネタリウムにぴったりだなと自覚しております……なんつって(笑)」
堂珍さんにとっても初のソロ配信ライブで、ステージがプラネタリウムなことと出演がコロナ禍だったこともあり、このイベントならではのセットリストで楽曲が披露されたそうです。
11月生まれの堂珍さんはさそり座だそうで、「どこかに、さそり座あるはずなんだけど……」と頭上を見上げたり、幼少期はよくオリオン座を探していたという星座にまつわるお話から、
「でも、神話で言うと、さそり座はオリオンをやっつけちゃったので。以来、オリオン座とさそり座は仲が悪い。(同じ季節の)夜空に共存することがないと言われて。そう言う話もおもしろいと思います。」
と、神話もお話されていました。
プラネタリウムならではの演出と堂珍さんの歌声で、凄く癒される空間ですよね!
引用元:ステージナタリー
ソロ活動スタート時から、俳優としての活動も積極的に取り組んでいる堂珍さん。上の画像は2022年6月(当時43歳)舞台「殺人の告白」に出演した時のものです。
舞台「殺人の告白」は実際に起きた韓国史上最悪の連続殺人「華城(ファソン)連続殺人事件」からインスピレーションを得て作られた映画「殺人の告白」の舞台版です。
日本でも2017年に藤原竜也さん、伊藤英明さんのダブル主演で「22年目の告白-私が殺人犯です-」としてリメイクされた人気作です。
殺人事件の時効成立後、自らの罪を告白する手記を出版する連続殺人犯、イ・ドゥソクと、それを追う刑事、チェ・ヒョング、遺族や世間の声などそれぞれの思惑がぶつかり、国を揺るがす犯罪ショーへと発展するというストーリーで、堂珍さんは連続殺人犯を追う刑事、チェ・ヒョングを演じられました。
「まだ初舞台を踏んだばかりの頃だと、絶対歌わないと無理ですと言っていたと思うんですよ。」
そうインタビューに答えていた堂珍さん。今までミュージカルや音楽劇への出演が多かったため、本作が初のお芝居のみの舞台となったそうです。
堂珍さんは俳優としての活動をどう捉えているのかな?
堂珍さんは自分を俳優とは思っていないらしいよ。
「僕が自分のことを役者と名乗るのは、役者の人に失礼だと思うところがあって。」とお話しされていて、あくまで音楽が活動の主軸にあるようね!
堂珍嘉邦さんが所属する”キノシタ・マネージメント”には他に誰が所属してる?
引用元:上:ナタリー、中:スマートボーイズ、下:4492(嘉邦)Staff note
堂珍嘉邦さんの所属するキノシタ・マネージメントには、堂珍さん以外所属していません。キノシタ・マネージメントは株式会社木下グループを吸収合併し、現在は株式会社木下グループと商号を変更しています。
堂珍さんは現在そのグループ内のキノミュージックに所属しています。
【画像】堂珍嘉邦は現在見た目が激変?嫁との離婚理由は?
堂珍嘉邦は現在見た目が激変?
引用元:音楽ナタリー
引用元:Instagram
上の画像は2001年デビュー当時のCHEMISTRY(ケミストリー)のお二人です。川畑さん(左)も堂珍さん(右)も22歳の時ですが、次のインスタの投稿(2024年6月TBS系「ハマダ歌謡祭星オオカミ少年」出演時)の堂珍さんの画像は、45歳の時のものです!比べてみていかがでしょうか。
ネット上では「堂珍、顔面も声も強過ぎて45歳無双してる」「マジで顔きれいすぎん???」「堂珍嘉邦って歳とらないのかなぁ。見惚れた」などの意見が相次ぎ、衰えない抜群の歌唱力も相まって、X(旧twitter)では「堂珍嘉邦」がトレンド入りするなどちょっとした騒ぎとなりましたね。
風貌もデビュー時から変わらず美しく綺麗で今でもアーティストとしてビジュアルが際立っていることがわかります。
堂珍嘉邦さんは、どうしてそんなに若々しいのかな?
それは、ミュージカルなど人に見られる仕事をしているのはあるかもしれないけど、特に何もしていないみたいよ!
特になにもしていなくて、この綺麗さなのは羨ましいわね!
堂珍嘉邦の嫁との離婚理由は?
引用元:関西ウォーカー
引用元:instagram
堂珍嘉邦さんは2004年6月、モデルの森田あつ子(現在は敦子)さんと結婚しました。しかしながら、2018年末に離婚を発表しています。その後、堂珍さんが結婚したという情報はない為、2024年7月現在は独身ということになります。
敦子さんとは、2014年1月頃から別居状態になり、離婚に向けて真剣な協議を進めていたそうです。堂珍嘉邦さんは「このような形に至るまで、たくさんの時間をかけて話し合ってきました」とコメントし、「お互いの将来を考え、別々の道を選択するという結論に至りました」と、両者にとって前向きな離婚だったと伝えています。
離婚に至った原因は、様々な憶測がありますが、
「堂珍さんは妻には家庭に入ってほしいという考えなのに対し、敦子さんはモデルのほかに、現在は助産師になるため看護学校で猛勉強中と、働く気満々」ということだったので、価値観の違いが大きかったと想像できます。
真相は定かではありませんが、根本の部分で折り合えていなかったのかも知れませんね。
堂珍嘉邦さんと敦子さんとの間にはお子さんはいらっしゃったのかな?
実は子宝で5人の子を授かったのよ!長男・次男・(長女・三男は双子)・四男で2024年現在、20歳・17歳・15歳・15歳・10歳という年齢構成になっているよ!
堂珍嘉邦さんがデビューした2001年はこんな年だった!
引用元:上:wikipedia、中:NHK国際ニュースナビ、下:シネマトゥディ
堂珍嘉邦さんがデビューした2001年は、「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン開業」、「アメリカ同時多発テロ発生」、「映画ハリーポッターと賢者の石公開」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語(大賞)は、キャッチフレーズの「米百俵/聖域なき改革/恐れず怯まず捉われず/骨太の方針/ワイドショー内閣/改革の「痛み」」で小泉 純一郎さんが受賞しました。
堂珍嘉邦のプロフィール・SNS
引用元:堂珍嘉邦オフィシャルサイト
プロフィール
- 名前:堂珍嘉邦(どうちん よしくに)
- 生年月日:1978年11月17日
- 年齢:45歳(2024年8月現在)
- 出身地:広島県
- 血液型:O型
- 趣味:PCゲーム
- 特技:縄跳び
- 所属事務所:キノミュージック
SNS
- X(旧Twitter) URL:https://x.com/dohuzu
【スタッフの独り言】
— 堂珍嘉邦_ 9/22 『Brand New Musical Concert 2024』神戸公演 (@Dohuzu) June 29, 2024
6月最後の平日、7/1の八ヶ岳に備え、#堂珍嘉邦 スタッフ共に静かに過ごしております。
まさに仕込みの6月でしたが、こちら、また情報解禁ラッシュありますので、#ドランキー みなさん楽しみにしていてください。
良き週末をお過ごしくださいね(ス) pic.twitter.com/qVs7XiVo0z
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- オフィシャルサイト URL:https://dohchin.com/
堂珍嘉邦さんの趣味のゲームへの入れ込み具合はどんな感じなのかな?
2019年のときの音楽番組でスマートフォンのゲームのログインを毎日欠かさないらしく、5つも6つも同時並行でゲームをしていたと言っていたこともあるぐらいゲーマーみたいね!
またオンラインゲームのネット特番に変装しながら、一般人として参加したり、一般人主催のゲームのオフ会(オンライン上)に参加して、周囲に見破られるなんてこともあったみたいね!筋金入りのゲーマーよ!