歌手や女優として、長きにわたり活躍を続けているいしだあゆみさん。
今までに「ブルー・ライト・ヨコハマ」でNHK紅白歌合戦に3回出場し、2021年(73歳)には文化庁より優れた文化活動を行った人に贈られる旭日小綬章を受賞しされました。ドラマ「やすらぎの刻~道」など多くの映像作品に出演し、幅広いジャンルで活躍してこられました。
今回はいしだあゆみさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】いしだあゆみは若い頃美人!
10代(1958年~1968年)
引用元:ニッポン放送
幼い頃からフィギュアスケートを習っていて、なんとオリンピック候補にまでなったことがある、いしだあゆみさん。
当時、スケート場と同じビルに映画会社・東宝の社長室があり、そこへ遊びに行っていっていたところを当時の社長にスカウトされました。
その後、5歳頃から児童劇団「ともだち劇場」で活動し、1961年(13歳)に梅田コマ劇場で初舞台を踏み、女優としてのキャリアをスタートさせました。
また、1964年(当時16歳)には、「ネェ、聞いてよママ」でレコードデビューを果たしました。上の画像は「ネェ、聞いてよママ」のレコードジャケットです。はにかむ笑顔と優しい瞳が、心をほっと和ませる可愛らしいですよね!
引用元:X【1月6日といえば!①】
— しがない三四郎 (@shinya_bokudake) January 5, 2020
『七人の孫』〔TBS〕
放送開始(1964〈昭和39〉年)記念日!!😂🤨😗#森繫久彌 #大坂志郎 #加藤治子 #高橋幸治 #松山英太郎 #いしだあゆみ #島かおり #勝呂誉 #長谷川哲夫 #田島和子 #稲垣美穂子 #月丘夢路 #向田邦子 #山本直純 #久世光彦 @retoro_mode pic.twitter.com/nbIBOjRvBA
いしだあゆみさんは、1964年(当時16歳)の時に、テレビドラマ「七人の孫」で森繫久彌さんの孫役としてドラマデビューしました。
この当時のことをいしだあゆみさんは、「まるで実家にいるような気がして、すごくホッとしたのを覚えています」とお話しされていました。ドラマデビュー時はまだ若かったこともあり、緊張されていたと思いますが、共演者の温かな雰囲気に安心されたのでしょう。
上の画像はその時のものです。ショートカットが本当に可愛らしくて、ドラマデビュー作とは思えないほど楽しそうに笑う表情が素敵でした。
引用元:X十代の頃のいしだあゆみ pic.twitter.com/7muChna6i8
— いちじく (@icjk2019) June 26, 2021
「親もとをはなれた私にとって、このベッドサイドは、いつも”孤独なお城”なんです」
いしだあゆみさんは、1967年(当時19歳)の頃は、ドラマ撮影などの仕事があまりにも忙しく、それは歌手としての宣伝にも協力できないほどだったそうです。
10代で芸能界に入り、仕事に追われる日々の中で、周囲には芸能界の人々はいたものの、やはり親と離れて暮らす寂しさがあったことが確認できます。上の画像はその頃のものです。はつらつとした笑顔とあふれる元気が、10代ならではの輝きを放っているようでした。
いしだあゆみさんは、デビューしたときは本名の石田良子として活動していたみたいだけど、どうしていしだあゆみという名前にしたのかな?
それは、お世話になった方の娘さんの名前から「いしだあゆみ」にしたみたいよ!永六輔さんが名付け親と述べていたこともあったらしいけれど、いしだあゆみさんご自身がお話されているわ。
20代(1968年~1978年)
引用元:ニッポン放送
いしだあゆみさんは、1968年(当時20歳)の時に、「ブルー・ライト・ヨコハマ」でオリコン週間1位を獲得しました。
「作詞家の方やレコード会社のスタッフは、本当にスキップして大喜びしていました。一方、作曲してくださった筒美京平先生は、淡々としてらっしゃったのをよく覚えています。私もどちらかというと筒美先生と一緒。でも関わったみなさんが喜んでいるのを見るのは嬉しかったですね。」
引用元:ananweb
この当時のことをそうお話しされており発売後、オリコン週間1位という記録に、いしだあゆみさんご自身は、その事実を冷静に受け止めていたそうです。それでも、スタッフが喜びの声を上げる姿に、いしだあゆみさんの心にも嬉しさが込み上げてきたことが確認できます。
上の画像は1968年(当時20歳)の「ブルー・ライト・ヨコハマ」のジャケットです。お人形のような丸い瞳、すっと通った鼻筋、そして美しく整った髪、どれをとっても見惚れてしまうほど印象的でした。
引用元:YouTube
いしだあゆみさんは、1969年(当時21歳)の時に、NHK紅白歌合戦に初出場を果たしました。その後、1973年(当時25歳)、1993年(当時45歳)と3度出場し、いずれも代表曲「ブルー・ライト・ヨコハマ」を歌唱されました。
「どこへ行っても1日中「ブルー・ライト・ヨコハマ」だけを歌ってましたから。」
この当時についてそう語るいしだあゆみさんは、忙しい日々の中で、どこへ行っても一日中同じ歌を歌い続ける状況で、精神的にも体力的にも負担が大きかったのではないでしょうか。
ご本人も「地方へ行ってもすぐそこの場所の公民館とか、劇場とか。着いたらすぐ、「ブルー・ライト・ヨコハマ」。で、帰ってきたらまた「ブルー・ライト・ヨコハマ」でした」とお話しされていました。
上の動画は1969年(当時21歳)のNHK紅白歌合戦の時のものです。優しい瞳とアップにまとめた髪が醸し出す大人っぽく、ほんのり鼻にかかる歌声が加わり、心に響きました。
引用元:zakzak
いしだあゆみさんは、1977年(当時29歳)の時に、「アワー・コネクション」というアルバムを発売しました。
これはミュージシャン・細野晴臣さん率いるティン・パン・アレーとのコラボ楽曲で、あくまで歌謡曲ということをベースに現代クラシックのような耳心地の良い曲調と細野さんの軽いメロディーラインという当時では新しい試みで話題となりました。
この時いしだあゆみさんは、「普通はフル・バンドをバックに仕事をしてきているわけで、今回のメンバーで仕事が出来たら素敵だなと思ってもとても困難だと思うんです。」とお話しされており、自分の気持ちを率直に見つめながらも、現状を冷静に捉えていたことが確認できます。
上の画像は当時のもので、髪をかきあげる仕草に漂う色気と、無邪気に笑う姿のギャップがありました。
いしだあゆみさんは20代の頃「ブルー・ライト・ヨコハマ」などたくさんの曲を出しているよね?
実は、いしだあゆみさんは、デビューしてからずっとたくさんの歌を歌っていたけれど、自分のレコードを一枚も持っていなかったみたい。あんなにたくさんの名曲を出しているのに、ご本人が持っていないなんて驚きよね!
30代(1978年~1988年)
引用元:BSフジ
いしだあゆみさんは、1981年(当時33歳)の時に、フジテレビ系ドラマ「北の国から」で黒板令子役として出演しました。
この時いしだあゆみさんは、「北海道・富良野での撮影は、自然が最優先。夕日のシーンだったら、何よりも夕日の美しさを撮らなくてはなりません。もたもたしていたら太陽が沈んでしまう。とにかく決められた撮影スケジュール通りにこなさなければ、と必死でした。」とお話しされていました。
綺麗な映像美が生まれた背景には、スタッフの方々の尽力だけでなく、俳優たちの努力も大きく関わっていたことが分かりますね。
上の画像は「北の国から」のワンシーンです。北海道の純白の雪にも劣らない、透き通るような白い肌が美しく、儚げな印象を与えました。
引用元:facebook
いしだあゆみさんは、1983年(当時35歳)の時に、「金曜日の妻たちへ」に出演しました。
この頃いしだあゆみさんは、「好きでしたね、桐子さん。強がっているけれど、本当は寂しくて。あのころのドラマは、何かをじっと待っていたりといった『間』が多かった。そういうシーンがとっても好きだったし、大事にしていたんです。だから寂しさや悲しみが伝わったのだと思う」とお話しされており、自分が演じた役柄と、ドラマそのものの魅力について語っていました。
上の画像はドラマのワンシーンです。透き通るような肌と、どこか儚げな表情が本当に魅力的でした。
いしだあゆみさんは、どうして歌手活動から女優活動にシフトしたのかな?
この時、歌手活動も並行して行っていたけれど、私たちがちょっとやったことで人の気持ちを動かせる女優という仕事も同じくらい好きだったみたいよ!
40代以上(1988年~)
引用元:ORICON NEWS
いしだあゆみさんは、2011年(当時63歳)の時に、映画「エクレール・お菓子放浪記」に出演しました。
この映画は2011年3月に東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県石巻市を中心に、震災前の2010年10月に撮影されました。震災発生の知らせを受けて、いしだあゆみさんは、「つらいです、まさかこんな…」とお話しされており、震災前の街並みを知っていたため、震災の発生に対するショックで込み上げる涙を必死にこらえてコメントされていたそうです。
上の画像は、同時期に公開された映画「エクレール・お菓子放浪記」の時のものです。優しさが漂う表情と、美しい着物が絶妙に合っていました。
引用元:YouTube、anan
いしだあゆみさんは、2021年(当時73歳)の時に、旭日小綬章を受章しました。
受賞に対して、いしだあゆみさんは「身に余る光栄でございます。多くの方々がお力添えをしてくださり、支えてくださったおかげでここまでやってこれました」とお話しされており、たくさんの人々に対して、感謝の気持ちとお礼を述べていらっしゃいました。
上の画像1枚目は受賞当時の時のもの、2枚目は2022年(当時74歳)の時のものです。華やかな美しさと柔らかな笑顔が素敵でした。
いしだあゆみさんは、引退することを考えることはないのかな?
それは、やめようと思ったこともあるみたいだけど、仕事が楽しいという理由から、ドラマや映画に出演しているみたいよ!
【画像】いしだあゆみの旦那との馴れ初めや再婚相手は誰?現在は激痩せ?
旦那との馴れ初めや再婚相手は誰?
引用元:日刊ゲンダイ
引用元:スポニチ
1977年(当時29歳)に「祭ばやしが聞こえる」で主人公を演じた萩原健一さんと恋人役で共演したいしだあゆみさんは、そのドラマでの共演をきっかけに、翌年1978年(当時30歳)に週刊誌で熱愛を報じられました。
しかし、このとき萩原健一さんは、モデルの小泉一十三さんと婚姻関係にあったため、いしだあゆみさんの母親が結婚に反対されたそうです。それでも、約1年の同棲生活を経て愛を育んだお2人は、1980年4月4日(当時32歳)に婚約会見が開かれ、同年5月27日に式を挙げました。
反対を乗り越えて結婚されたお2人でしたが、結婚生活はそう長くは続かなかったそうです。萩原健一さんが1983年に大麻事件、1984年に交通事故を起こしたことを引き金として、1984年3月18日(当時36歳)に離婚されました。
その後 いしだあゆみさんは再婚することなく、現在(2025年1月時点)も独身でいらっしゃいます。
いしだあゆみさんは、どうして萩原健一さんと結婚しようと思ったのかな?
それは、週刊誌で熱愛を報じられ、誤解されたころから安心感があったという理由から、とことんやれるまでやってみようと思ったみたいよ!
現在は激痩せ?
引用元:スポニチ
引用元:Instagram
2024年(当時76歳)俳優の柳葉敏郎さんのインスタグラムに、女優のいしだあゆみさんの写真がアップされました。
ここ20年くらい、いしだあゆみさんがメディアに出るたびに「いしだあゆみさんは痩せすぎでしぬんじゃないか」や「久しぶりに見るいしだあゆみさん、痩せすぎてちょっと心配」というポストがXで見られます。
上の画像1枚目は1992年(当時44歳)のころの画像でも痩せ気味でしたので、急激に痩せたわけではないようです。体質的なものだと思いますので、病気で痩せているというわけではないでしょう。
いしだあゆみさんは、どういった生活をしているのかな?
いしだあゆみさんは、都心のマンション暮らしで、夜は電気をつける前に寝てしまい、朝4時には起きる生活を送っているみたいよ!とても健康的な生活習慣よね!
いしだあゆみのプロフィール・SNS
引用元:イザワオフィス
プロフィール
- 名前:いしだ あゆみ
- 本名: 石田良子
- 生年月日:1948年3月26日
- 年齢:76歳(2025年1月現在)
- 出身地:大阪府
- 血液型:B型
- 趣味:人間観察
- 特技:フィギュアスケート
- 所属事務所:イザワオフィス
SNS・受賞歴
- オフィシャルサイト URL:https://izawaoffice.jp/artist/ishida.php
受賞歴
1978年:第1回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞
1978年:第3回報知映画賞 助演女優賞
1982年:第5回日本アカデミー賞 優秀助演女優賞
1983年:第6回日本アカデミー賞 優秀主演女優賞
1983年:第4回ヨコハマ映画祭 主演女優賞
1986年:第11回報知映画賞 主演女優賞
1987年:第29回ブルーリボン賞 主演女優賞
1987年:第60回キネマ旬報ベスト・テン 助演女優賞
1987年:第41回毎日映画コンクール 女優主演賞
1987年:第24回ゴールデン・アロー賞
1987年:第10回日本アカデミー賞 最優秀主演女優賞
いしだあゆみさんはフィギュアスケートのオリンピック候補になるほど上手だったみたいだけど、どうしてフィギュアスケートをやめたのかな?
小さい頃からお姉さんと一緒にフィギュアスケートを習っていたみたいね。でも寒かったからスケートが大嫌いだったらしいわ!「オリンピック候補になったら辞めてもいい」と母親から言われたから、オリンピック候補になり、すぐ辞めたみたい。