【画像】若村麻由美は若い頃かわいい!元旦那は教祖!馴れ初めや現在の活動は?

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いくつになっても衰え知らずな美貌、高い演技力、さらには日本舞踊は名取の腕前をお持ちと言う、まさに完璧な女優、若村麻由美さん。

これまでその高い演技力を活かし、ドラマや映画、舞台などでさまざまな役を実力派女優として演じてきました。

今回は若村麻由美さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

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目次
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若村麻由美は若い頃かわいい!

10代(1977年~1987年)

若村真由美さん
引用元:Instagram

東京都練馬区で生まれた若村麻由美さん。実家は「かつ若」という名のとんかつ屋を営んでいました。

両親・弟妹4人の7人家族ということで、たいへん賑やかな家庭だったようです。父は、近所で二枚目として評判で、働き者の母は幼い弟妹を、お店の隅に寝かせながら働いていたそうです。現在、お店は畳んでしまったとのことです。

3歳の頃から日本舞踊を習い始め、若干15歳で坂東流名取になり「坂東市若」を、当時史上最年少で襲名しました。

日本舞踊師範の資格も取得されており、若村麻由美さんの時代劇での所作や着こなしは、この経験が生きているということですね!

「名取」とは・・・ 芸道関係において一定の技能を習得し、家元から認められ、芸名を与えられた人のこと。

上の画像は、日本舞踊に励んでいる11歳頃のものです。ビジュアルが既に出来上がっていますね。とてもかわいらしいです!

引用元:TBS

「自然の中で育ってもらいたい」という両親の考えから、小学校5〜6年生の2年間、親元を離れて長野県八坂村(※ 2006年より大町市に編入)の農家にホームスティという形で山村留学したそうです。

毎日山道を往復7km、地元の小学校に徒歩で通学。農作業をはじめ、東京では味わえない貴重なことを体験をしたと当時のことを語っています。さらに、大自然の中で水のおいしさも初めて知り、留学中はジュースを一度も飲まなかったんだそうです。

人生観が変わったという留学体験の中で、忘れられない思い出の味が「キジの出汁でとった信州蕎麦」。農家のお父さんがその日の朝、山で獲ってきたキジで出汁をとり、お母さんが蕎麦を手打ちしてくれたんだそうです。1日7軒ハシゴすることもあるという、若村麻由美さんの蕎麦好きのルーツでもあります。

そこから蕎麦にハマり、高校時代には本気で蕎麦職人を目指そうとした若村麻由美さん。残念ながら修行するお店探しの中、子どもの頃食べた感動の味には出会えなかったということで、断念したようです。

上の画像は若村麻由美さんの忘れられない味「キジ出汁の信州蕎麦」です。若村麻由美さんを一時本気で蕎麦職人の道に引き込んだ味、ぜひ一度食べてみたいですね!

若村真由美さん
若村真由美さん
引用元:サンスポ

都内の仏教系私立進学校、淑徳高校を卒業後、1985年(18歳)に仲代達矢さん率いる俳優養成所「無名塾」に入塾します。高校在学時に、無名塾の舞台『ハロルドとモード』を観賞した際、感銘を受けたことが入塾のきっかけだったそうです。第9期生で、同期には故・田中実さんや藤奈津子さんらがいます。同年「どん底」で初舞台を踏みました。

上の画像は、デビュー当時の初々しいものです。眉が太く凛々しい感じがして、とても美しいですね!

ギモンくん

若村麻由美さんを魅了した「無名塾」ってどんな所なんだろう?

カイケツさん

俳優の仲代達矢さんの妻、故・宮崎恭子さんによって創られた俳優養成所よ。「学費無料」「多くの有名俳優を輩出」「実力派俳優の仲代達矢さんの指導が受けられる」ことから、「劇団の東大」って言われるくらい入塾が難しいなんて話しよ。そこに入塾できるなんて、さすが若村麻由美さん!

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20代(1987年~1997年)

若村真由美さん
引用元:NHK

1987年、20歳でNHK連続テレビ小説 「はっさい先生」で主演デビューしました。723名が応募した中、選ばれたということで、一躍に人気俳優の仲間入りをします。

1989年、エランドール賞新人賞を受賞しましたが、若村麻由美さんは当初、朝ドラのヒロイン役にあまり乗り気ではなかったようです。

無名塾の養成期間中にオーディションを受けた若村麻由美さん。しかし、それは自分の意思ではなく、勝手に履歴書が送られていて、書類審査が通っていた状態だったんだそうです。無名塾の舞台に焦がれ、その演劇空間を作りたい一心で入塾した若村麻由美さん。

俳優はおろか、映像の仕事をしたいとは夢にも考えていなかったんだそうです。さらには撮影で大阪まで行かなくてはいけない為、お芝居の勉強の時間が減ってしまうとまで思っていました。

しかし、仲代さん夫妻に相談に行ったところ、ヒロイン役に決まったことを大変喜んでもらえたそうです。そのときに「これはよかったことなのかぁ」とうっすら思ったそうです。朝ドラは「無名塾だから演技はできるだろう」ということで演技指導がなく、苦労するも見事に演じ切りました。

上の画像は、「はっさい先生」の時のものです。和服がとてもお似合いです。綺麗な先生ですね!

若村真由美さん
引用元:文春オンライン

1988年、21歳の時、水上勉氏原作の「飢餓海峡」(1988年テレビ版)では、故・萩原健一さんと激しい濡れ場シーンのある娼婦役を演じます。このドラマの中では、師である仲代達矢さんとも共演し「しっかりやれ」と励まされたと語っています。

1991年、24歳の時には、日本・イタリア合作映画「フィレンツェの風に抱かれて」で、イタリア人俳優とラブシーンを演じました。朝ドラの清純派なイメージを一気に覆し、大衆の度肝を抜いた若村麻由美さん。大胆なヌードを演じたことで、役の幅に広がりを見せたことは間違いないでしょう。

上の画像は、「フィレンツェの風に抱かれて」のジャケットです。初々しさが残りつつも、今にも通じる艶めきを感じさせます!

若村真由美さん
若村真由美さん
引用元:NHK

朝ドラヒロイン役を終えたら、映像の仕事を辞めようと思っていた若村麻由美さん。その後の仕事もどこか受け身で、依頼されたものは引き受けたものの、あまり積極的にはやってこなかったそうです。映画やドラマ、2時間ドラマの主演を務めるものの、本人は「役者に向いてない」と、この頃はいまいち自分に自信がなかったとも語っています。

上の画像は、土曜ドラマ「愛が聞こえます」の時のものです。耳の聞こえない役を演じるにあたり、苦労もあったそうです。もしかしたら、いろんな役を演じることが自信を取り戻すきっかけになったのかもしれませんね!

ギモンくん

お芝居に対して、ストイックな部分あるって本当?

カイケツさん

舞台の仕事には真剣になりすぎて、よく怪我をするみたい。本番中舞台から落ちた事があるし、男性役を演じる為に喉を潰してしまったことも…。稽古中に転倒して腰を数ヵ所亀裂骨折したまま1ヵ月舞台に立った事もあるんだとか。素晴らしい役者魂ね!

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30代(1997年~2007年)

若村真由美さん
引用元:NHK

1998年、31歳の時、舞台「テレーズ・ラカン」で紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞しました。翌年1999年、映画「金融腐蝕列島 呪縛」で日本アカデミー賞優秀助演女優賞を受賞します。

さらに翌年2000年、時代劇「柳橋慕情」でギャラクシー賞個人賞を受賞します。あまり乗り気ではなかったそうですが、こうして数々の賞を受賞していきます。やはり周囲に認められる実力があったということですね。

同年、番組をきっかけにヒマラヤで5000m級の山に登頂しました。その時に人生観が変わったそうです。高度順化の際にはゴミ拾いに目覚め、2002年には野口健さんの富士山清掃に参加しています。国土庁水文化調査委員や富士山清掃隊長を務めるなど自然環境への活動を継続しています。野口健さんとは登山仲間でもあるそうです。

2003年、36歳の時に小野兼弘さんとの結婚を発表しました。小野兼弘さんは若村麻由美さんの14歳年上、宗教団体「釈尊会」の教祖、そして体重が180㎏あり、見た目のインパクトも強烈な人でした。この突然の結婚発表は当時、かなり世間を驚かせました。ワイドショーやマスコミは、若村麻由美は洗脳されたと報道することもありました。

上の画像は、「柳橋慕情」の時のものです。和装が本当に似合いますね。お綺麗です!

若村真由美さん
引用元:文春オンライン

夫婦は、早く子どもを授かることを望んでいたようです。しかし残念ながら、その幸せな時間は長く続きません。2007年、結婚からわずか3年半で小野兼弘さんは肝不全で帰らぬ人となってしまいます。その後、若村麻由美さんは再婚されていません。現在も小田性のまま、本名は「小田麻由美」となっています。

同じ頃、小野兼弘さんが俳優・渡辺謙さんの当時の妻に4億円もの大金を借金していたことで、離婚裁判になってしまいます。若村麻由美さんは渡辺謙さんの元妻に浮気相手として名前を挙げられ、仕事が激減してしまいました。

上の画像は、2004年、37歳の時に出版した写真集「bloom」の表紙です。自身で撮影した作品も収録されており、とてもインパクトのある表紙ですね!

ギモンくん

なんでヒマラヤに登ろうと思ったのかな?

カイケツさん

子どもの頃、朝のニュースで「山で行方不明者が・・・」と聞くたびに悲しくなりながら学校へ行っていたそうよ。子ども心に「なんで山に登るのかな?」と思って、それを知るきっかけにしたいとヒマラヤ行きを決意したんだって!

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40代以上(2007年~)

若村真由美さん
若村真由美さん
引用元:テレビ朝日テレビ朝日

夫を亡くし、悲しみに暮れ落ち込んでいた若村麻由美さん。そこから立ち上がる力をくれたのも、やはり夫・小野兼弘さんでした。あなたには役目があるのだから、仕事を役者をやめてはいけない」その言葉と思い出し、俳優・小栗旬さんが社長となった、「トライストーン・エンタテイメント」に事務所を移籍し、芸能活動を再開しました。

2008年から、沢口靖子さん主演のサスペンスドラマ「科捜研の女」シリーズに出演し続けています。

そして、2023年、56歳の時「この素晴らしき世界」に主演します。若村麻由美さんにとって、人生最大の転機となったといわれているドラマです。もともと、鈴木京香さんのために脚本が書き下ろされていましたが、クランクイン当日、鈴木京香さんが体調不良を訴え、急遽降板となってしまいました。

知名度と実力があり、このタイミングでスケジュールが抑えられる代役候補ということで、若村麻由美さんの名前が上がりました。代役を任された若村麻由美さんは、見事に演じ切りドラマは大成功しました。若村麻由美さんが受け入れたことで、鈴木京香さんからとても感謝されたそうです。

さらに、親友である天海祐希さんからも「あなたの男気に感動」と書かれたメールが届いたとのことです。「この素晴らしき世界」だけではなく、「大富豪同心」「初恋、ざらり」25年以上続いている「科捜研の女」シリーズなど活躍の場を広げています。若村麻由美さんは屈強をバネに、これからも今まで以上に新たな挑戦を続けていくでしょう。

上の画像は、「科捜研の女」シリーズの風丘早月役の若村麻由美さんです。長いシリーズを通して全く外見が変わっていません。

ギモンくん

「この素晴らしき世界」、鈴木京香さんの代役ってことでかなりプレッシャーがあったんじゃないかな?

カイケツさん

演じる際に付けるカツラも、鈴木京香さんのために作られたものだったんだって。若村麻由美さんはそれをバトンのような気持ちで受け継いで、「鈴木京香さんも一緒にゴールしていただいた気持ちでいる」って話されてるわ。周りの人へも感謝も忘れず、支えられたから完走できたって。
そんな気遣いや驕らない態度もさすが大女優よね。

若村麻由美さんが所属するトライストーン・エンタテイメントには他に誰が所属してる?

引用元:トライストーン・エンタテイメント

若村麻由美さんの所属するトライストーン・エンタテイメントには、小栗旬さん田中圭さん木村文乃さんなどが所属しています。

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【画像】若村麻由美の元旦那は教祖!馴れ初めや現在の活動は?

若村麻由美の元旦那の教祖との馴れ初めは?

引用元:上:文春オンライン、下:NEWSポストセブン

若村麻由美さんは、2003年9月に宗教法人「釈尊会」の教祖・小野兼弘さんと電撃結婚しました。

小野兼弘さんと若村麻由美さんは、坂東三津五郎さんなどが精進した日本舞踊の坂東流関係者を通して親しい仲になったと言われています。初対面にも関わらず2人は意気投合し、そのままの流れで自然に交際に発展したそうです。当時若村麻由美さんが36歳、小野兼弘さんは50歳の14歳の年の差で結婚することになりました。

入籍会見で若村麻由美さんは「私のことを私以上に理解してくれる人に出会った」「(婚約指輪は)小野さんのお心よりは小さいダイヤです」「(プロポーズは)お釈迦様の前です」などと述べ、芸能マスコミは騒然となったそうです。

また2004年に、小野兼弘さんが若村麻由美さんのどこに魅了されたかインタビューを受けた際には「(若村さんが小野さんに相談したことに対しての答えを聞き)彼女は、私の言葉をとても豊かな心で受け止めてくれた。」と答えており、若村麻由美さんが小野兼弘さんの言葉に救われていたということがわかりますね。

しかし、結婚4年目の2007年に小野さんが肝不全で他界したことで、若村さんの結婚生活は終わりを迎えることになりました。

ギモンくん

若村麻由美さんは、どうしてスキンヘッドで180kgの巨体という強烈なルックスを持っていた小野兼弘さんと結婚することになったのかな?

カイケツさん

見た目よりも人柄や、誠実で情が深く少年のような心を持っていて、一緒にいると大きく包まれている感覚があり安堵したという理由から、小野さんに惹かれ、二人は結婚することになったみたいよ!

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若村麻由美の現在の活動は?

引用元:スポニチReal Sound

結婚後芸能活動が激減していましたが、夫の死後本格的な活動を再開し、ドラマ・舞台問わず第一線で活躍し続けている若村麻由美さん。

2023年「この素晴らしい世界」というドラマに出演されました。鈴木京香さんが体調不良のため、代役としての出演にはなりますが、20年ぶりの連ドラ主演が注目され、劇中では主婦と大物女優という難しい1人2役をしっかりと演じきっていました。

鈴木京香さんが降板しなかった場合のストーリーも気になりますが、若村さんが演じた今回の作品も平凡な主婦が、ある日突然失踪した大女優になりすまして“二重生活”を送ることになるという内容が、コメディータッチで描かれている面白い内容でしたね!

https://twitter.com/parcostage/status/1725424343998767259
引用元:x.com

2024年には「ラヴ・レターズ~2024 New Year Special~」という朗読劇に出演されました。

若村さんにとっては、30年前にこの「ラヴ・レターズ」で衝撃的な朗読初体験をしたことで、ライフワークである語り芝居「若村麻由美の劇世界」へ発展するなど、この作品は特別なものなんだとか。

2024年の共演相手は、舞台「Le Fils 息子」では親子役だった26歳年下の岡本圭人さん。若村さんは、「朗読のなせる技です。お母さんに見えないよう、今の私らしいメリッサ(若村麻由美さんの役名)を楽しみたいと思います。」と意気込みを話していました。

「ラヴ・レターズ」とは?
近年日本で上演されることが多い朗読劇の先駆けとなった名作。
1989年にニューヨークで初演され、世界中で静かなブームを起こしていたこの作品を、PARCO劇場は1990年8月に日本初演し、以来33年間継続して上演をしてきた。これまで年齢も個性も異なる様々なカップル、延べ518組(再演を含む)が、一つの台本を読み続けている。

ギモンくん

「この素晴らしい世界」では、役作りで監督から若村さんへ注文があったんだって?

カイケツさん

髪型について、注文があったみたい。
伸ばしっぱなしだった髪を、役に合わせてカットしようと思っていたら、監督からは「そのままの感じが“日常感”ってことで」と、そのままあえて髪型は整えず、平凡な主婦を表現するように言われたそうだよ!

若村麻由美さんがデビューした1987年はこんな年だった!

引用元:上:日刊スポーツ、中:AERA dot.、下:MSN

若村麻由美さんがデビューした1987年は、「マイケル・ジャクソンが後楽園球場で来日コンサート」、「広島の衣笠祥雄選手が連続試合出場2131の世界新記録を樹立」、「西武百貨店渋谷店隣にロフト1号店が開業」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は、俗称の「マルサ」で宮本 信子さんが受賞しました。

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若村麻由美のプロフィール・SNS

引用元:Tristone Entertainment Inc.

プロフィール

  • 名前:若村 麻由美(わかむら まゆみ)
  • 本名:小野 麻由美(おの まゆみ)
  • 生年月日:1967年1月2日
  • 年齢:57歳(2024年8月現在)
  • 出身地:東京都
  • 血液型:A型
  • 趣味:剣道、映画観賞、観劇、美術館巡り、ネイルアート、登山
  • 所属事務所:株式会社トライストーン・エンタテイメント
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SNS

ギモンくん

若村 麻由美さんの登山が好きになったきっかけって何なのかな?

カイケツさん

テレビ番組出演がきっかけみたいだね!ヒマラヤで5000級の山に登頂したときに人生観が変わったそうよ。毎年ボランティアで富士山や富士山の樹海を清掃しているみたい。山に登るだけでなく清掃もするなんて素敵な人よね!

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