女優、歌手、冒険家として活躍を続けている和泉雅子さん。
1989年5月(当時41歳)には、日本人女性として初めて北極点到達に成功しました。
今回は和泉雅子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】和泉雅子は若い頃かわいい!
10代・20代(1957年~1977年)
引用元:日活
引用元:駿河屋
和泉雅子さんは昭和を代表する女優さんの1人として知られています。10歳で劇団若草に入団をし、子役として活動をしていました。
子役を経て1961年の14歳の頃に日活へ入社し、「七人の挑戦者」で本格的なデビューを飾りました。その後多くの映画に出演をし、吉永小百合さんや松原智恵子さんとともに「日活三人娘」として1960年代に人気を博し、スターとして輝きました。
和泉さんの才能が開花したのは1963年(15歳)の映画「非行少女」でした。15歳の不良少女を力演して国内外でも高い評価を得ています。
後にこの映画は同年第3回モスクワ映画祭でも注目を集め、金賞を受賞し、審査員を務めたフランスの俳優ジャン・ギャバンさんは、「この子はすごい」と和泉さんの演技を絶賛したといいます。美人だけではなく演技の評価も高かったのですね!
以後、青春スターとして活躍され、1970年代から活動の場をテレビと舞台に移し、多くのドラマに出演しました。上の画像は1963年3月(15歳)に映画「非行少女」のワンシーンのものです。モノクロですがとても美人なのが伝わってきますよね!
上から2番目の画像は1960年代に全盛期の日活を代表していた和泉雅子さん、吉永小百合さん、松原智恵子さんの日活三人娘の画像です!皆さん華がありとても綺麗ですよね!
引用元:discogs
1966年(19歳)には山内賢さんとのデュエット曲「二人の銀座」、そして翌年の「東京ナイト」が大ヒットを記録しました。
当初、「二人の銀座」はシャンソン歌手でもある故・越路吹雪さんが歌う予定でしたが、「マコの方が良いわよ」と越路吹雪さんが譲ったそうです。その結果、100万枚を超える大ヒットを記録しました。
上の画像は1966年9月(19歳)に発売された「二人の銀座」のジャケット写真です。和泉さんと山内賢さんのコンビが素敵ですね!
和泉さんは女優さんとして大活躍していた時はどのような毎日を送っていたんだろう?
毎日撮影所に行って、4本くらいの映画を掛け持ちして、午前中はこの映画、午後からこの映画、夜からこの映画、明日の朝はこの映画っていう風に楽しみにしていたみたい!学校に授業を受けずに遊びにだけで行くような感覚だったみたい!
30代(1977年~1987年)
引用元:講談社book倶楽部
和泉雅子さんは1983年(36歳)、テレビ東京の番組でレポーターとして訪れた南極の雄大さに魅了され、冒険家としての活動を開始しました。
1985年(38歳)に北極点踏破を初挑戦するも失敗に終わりました。65日間で北緯88度40分まで到達しましたが、北極点まであと148キロを残して断念せざるを得ませんでした。
その時の挑戦を記録した書籍、私だけの北極点 北緯88度40分が同年8月に発売されました。
本書には大自然の厳しさ、美しさ、人々温かな心、そして和泉さんのどんな苦しみにも負けなかった忍耐と勇気を、感動的に描かれています。
和泉さんは子供のころから探検したり色々な所へ行ったりするのが好きだったのかな?
長期休みは最初から最後まで、お母様の実家がある埼玉に行っていたらしく、そこで、野山を駆け回るのが好きだったみたい!
まだタクシーがない時代だから、1時間かけておばあちゃんの家まで歩いたり、お母様のお兄さんが迎えに来て自転車に乗せてくれたり、牛車で送ってくれたり、和泉さんにとっては貴重な経験の一つだったみたいね!
40代(1987年~1997年)
引用元:時事通信
和泉雅子さんは1985年(38歳)の北極点踏破、挑戦失敗から4年後の1989年5月(41歳)に再び北極点を目指す旅に出発をしました。
500kg以上の装備を積んだ木製のソリをスノーモビルで引きながら、62日間、氷原を進みました。和泉さんは「毎日が生きるか死ぬかの戦いでした」と、いかにその環境が過酷だったかを振り返っています。そんな和泉さんの努力は実を結び、見事北極点到達を成し遂げました。
女性としての北極点到達は、世界で2人目でしたが、徒歩による到達は初で、和泉さんは偉業を成し遂げました。
この北極点到達の経験は、和泉さんの人生観を大きく変え、お金では買えない貴重な経験を得たと感じたそうで、北極点到達を果たした後も冒険家としての活動を続けました。
和泉さんは40代〜50代にかけて、北極圏を中心に約50回もの探検を行っています。
特に印象に残っているのは、グリーンランドでの体験だったそうで、グリーンランドの氷河の美しさは言葉では表現できないほどだったと語っています。しかし、その美しさとは裏腹に、気候変動の影響も目の当たりにしたといいます。このような経験を通じて、和泉雅子さんは環境保護の重要性を訴える活動も始めました。
上の画像は北極点到達の快挙を成し遂げ、4ヶ月カぶりに帰国した和泉雅子です。達成感に満ち溢れた素敵な笑顔ですね!
和泉雅子さんは北極にどれくらいの思い入れがあるのかな?
北極とかかわることは和泉雅子さんにとって最大の趣味だそうよ!目的でもあるし人生でもあるペンギン、キツネ、オオカミ語も話せるそうで、「一緒に散歩しよう!」と言うと本当にペンギンが散歩してくれるそうよ!
50代以上(1997年~)
引用元:X#和泉雅子 7月31日生、東京都出身、女優・冒険家。1961年、日活に入社。 以降、青春映画に多数出演。吉永小百合、松原智恵子と共に「日活三人娘」として絶大な人気を誇った。また、1989年に日本人女性初の北極点到達。渡鬼・五十嵐牧子役。#渡鬼人物録 #今日は何の日
— 渡る世間の片隅で (@watasumi_net) July 30, 2021
画像:TBS渡鬼4-28 pic.twitter.com/iddcIrQZff
40代〜50代にかけて、テレビドラマへの出演や、ドキュメンタリー番組にも出演を行いました。
特に印象深いのは、1998年(51歳)放送のTBS系「渡る世間は鬼ばかり」でしょう。この作品での和泉さんの演技は、たくさんの視聴者の心を掴みました。
和泉さんは、この役について「北極点到達の経験が、演技に深みを与えてくれたと感じています」と語っています。実際、プロデューサーの石井ふく子さんも「女優として一皮むけた」と評価しました。
和泉さんは、当時を振り返ると「以前は、立ち位置や他の人への配慮ばかりが気になって、演技を台無しにしていました。でも、極地での経験を経て、すっと抜けたというか。仕事が本当に楽しくなった」と話しています。
この変化は和泉さんの演技にも大きな影響を与えてくれたようです。
和泉さんは好奇心旺盛で冒険力があり、とても明るい方だけど、どうしたらそのようにいられるんだろう?
和泉さんは、くじける暇があったら、次の一手を考えるみたい!
目の前のことばかり考えているからくじける。ならもっと先のことを考えるという考え方をされているみたい!
次の一手っていうのは“目標”であり、1つの目標を失っただけでショックをうけていたら、心臓がいくつあったっても足りないとお話しされていたよ!
和泉雅子さんが所属する”和泉雅子事務局”には他に誰が所属してる?
引用元:オーディションサイトnarrow(ナロー)
和泉雅子さんは現在、有限会社和泉雅子事務局に所属しています。代表者は和泉雅子さんで2015年10月(68歳)に設立されました。
【画像】和泉雅子は結婚せず夫がいない?恋愛遍歴は?現在僧侶?
和泉雅子は結婚せず夫がいない?恋愛遍歴は?
引用元:ZAKZAK
和泉雅子さんは結婚歴がなく、お子さんもいません。過去の恋愛遍歴も噂になったお相手の情報はありませんでした。
若い頃に舟木一夫さんと映画で恋人役の作品もありましたが、あくまでも映画の中だけでしかなかったようです。
和泉さんが独身なのは冒険心が強いことが理由で、そして実のお母様の影響だと言われています。
和泉雅子さんは日本人女性で初めて北極点に到達したとても冒険心の強い女性であることがわかります。妻や母親という肩書きよりも大自然の方に魅力を感じた可能性が高いでしょう。
また、子どもの頃から芸能活動を始めたため、お母様が付き人代わりで和泉さんをサポートをしていたのですが、和泉さんが成人を超えてもお母様が付き人を務めていたことも理由の1つだと思われます。
仕事のスケジュールからプライベートに関することもすべてお母様が管理していて、仕事が終わった後に共演者やスタッフと食事に行ったり飲みに行ったり男性と出会う機会がほとんどなかったそうです。
これほどの美貌でしたから、もしもお1人でいたら、男性から声をかけられることもあったのではないでしょうか。和泉さんを取り巻く環境が今の和泉さんを作っていると思いますが、結婚だけが全てではないので、今を幸せに暮らせていれば良いですね。
和泉雅子さんは結婚願望はあったのかな?
実は過去のインタビューで「30歳までには結婚したい」と仰っていたそうよ!その夢は惜しくもかなわなかったけど結婚だけが幸せではないし、和泉さんは“人生は楽しく 一年は愉快に 一日は豪快に”というのが自分の中のモットーみたいよ!
過去を振り返ったときに、こんな人生送ってきたなあ、と思って。好きなことだけして、嫌いなことはすぐやめて、好きな仕事をして、今が一番若いのだから人生を楽しむことに注力しているみたい!
和泉雅子は現在僧侶?
引用元:島根県HP
引用元:北海道新聞デジタル
和泉雅子さんは真言宗の僧侶でもあります。僧侶としての活躍は調べたところ情報は出てきませんでした。
僧侶としての肩書きも持ちながら、現在(2025年1月)は北海道士別市で地域貢献活動を行っています。
士別市にログハウスを建て、馬を飼ったり、農作業をしたり、現地での生活を楽しんでいるそうです。1年の半分を東京と北海道を行き来する生活をされています。士別市への愛着が深いのですね!
2024年1月には士別市のふるさと大使に就任しました。和泉さんは「士別の魅力を全国に広めたい」と意気込みをみせました。現在は芸能活動よりも北海道での地域貢献活動のほかにも講演活動、トークショーなど多岐に渡って活動を行っています。
和泉雅子さんがハマっていることって何だろう?
ジグソーパズルで、中でも2000ピース以上の極小パズルにハマっているたい!昼食のあとにお昼休憩と称して、パズルをするんだって!和泉さんがは好奇心旺盛だね!
和泉雅子さんがデビューした1961年はこんな年だった!
引用元:マイナビニュース、朝日新聞GLOBE+ - 朝日新聞デジタル、Yahoo!天気・災害 - Yahoo! JAPAN
和泉雅子さんがデビューした1961年は、「宇宙船ボストーク1号が地球を1周」、「ジョン・F・ケネディ米大統領が就任」、「本州各地に集中豪雨」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語では、「わかっちゃいるけどやめられない」、「プライバシー」、「不快指数」などが流行りました。
和泉雅子のプロフィール・SNS
引用元:タブ・ハウス有限会社
プロフィール
- 名前:和泉雅子(いずみ まさこ)
- 本名:和泉雅子(いずみ まさこ)
- 生年月日:1947年7月31日
- 年齢:77歳(2025年1月現在)
- 出身地:東京都中央区銀座
- 血液型:A型
- 趣味:絵画、彫刻、刺繍
- 特技:日舞、小唄、鼓、写真
- 所属事務所:和泉雅子事務局
著書
単著
- 1976年「白いささやきーマコのおしゃべり読本」
- 1984年「和泉雅子の南極 白いメッセージ '83〜'84」
- 1985年「私だけの北極点 北緯88度40分」
- 1988年「北緯88度40分 めざせ北極点 マコはがんばった」
- 1989年「笑ってよ、北極点」
- 1990年「マコさん北極を行く(ネイチァリングスペシャル)」
- 1994年「ハローオーロラ! 和泉雅子写真集」
共著
- 1985年「輝いて生きたいー魅力ある女性になるための14話」
- 1986年「まさこおばさんありがとう」
- 1995年「著名人の思い出ポロリー25人のいい話」
和泉雅子さんって料理も得意なんだって?
そうみたい!仕事で家を離れる時以外は、毎日台所に立って1時間半くらいで、最低でも8品、きちんととった出汁を使い分けて作るみたい!塩は使わないそうよ!和泉さんにとってお料理は心の楽しみでもありストレス解消法の一つみたい!