ペドロ&カプリシャス2代目ボーカルとしてデビューし、現在はソロで歌手として活躍を続けている高橋真梨子さん。
1978年にソロ活動をスタートさせて以降、数々のヒット曲を生み出し、毎年全国規模のソロコンサートツアーを41年連続開催するなど、精力的に活動されてきました。
今回は高橋真梨子さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】高橋真梨子は若い頃と顔が変わった?
幼少期・10代・20代(1949年~1979年)
引用元:上:Instagram、下:Instagram
高橋真梨子さんが生まれたのは、第2次世界大戦が終戦して約4年後でした。1949年、当時、広島鉄道局に勤める父・森岡月夫さんと銀行員をしていた母・高橋千鶴子さんのもとに1人娘として生まれました。上の投稿はどちらも高橋真梨子さんご本人がInstagramに投稿したものです。
戦後、父・森岡月夫さんはプロのジャズクラリネット奏者に転向し、1950年(当時1歳)の時、ジャズが盛んだった博多に家族で移り住みます。
もともと第2次世界大戦下の広島で暮らしていたご両親は、1945年8月6日の米軍による原爆投下で被曝していて、その影響で1952年、高橋真梨子さんが当時3歳の頃、父・森岡月夫さんには足の指先から脱疽の症状が出始めます。
「苦しんでいる父、痛がっている父…激しい痛みで、新聞紙を顔にのせて泣いていた父の姿を覚えている」
症状が悪化し両足の切断を余儀なくされたお父様を、お母様は高額な痛み止めを手に入れるため、スナックを経営しホステスとして家計を必死に支えたそうですが1954年(当時5歳)に別居、お父様は1人広島に帰ってしまったそうです。その後、離婚され真梨子さんはお母様に引き取られ、そのまま博多で過ごします。
引用元:上:Instagram、下:Instagram
高橋真梨子さんが歌手を志したのは中学生の頃だったそうです。上の投稿は高橋真梨子さんが中学生の時のものです。
「母との思い出は……いい思い出は、あんまりなかったんですね。いつもいつも一人ぼっちで…」
別居前からお母様は働き詰めな上に、妻子ある男性と不倫関係にあったため、いつも1人で孤独だったという高橋真梨子さん。この頃は触れられることも拒絶するくらいお母様を恨んでいたそうです。そんな彼女を支えたのが、当時流行していたザ・ピーナッツの「恋のバカンス」で、歌手を目指すきっかけになったのだそうです。
高橋真梨子さんは「歌手になりたい」という夢をお父様には打ち明けており、当時最盛期と言われ業績を伸ばしていた渡辺プロへの所属を目指しており「まり子がナベプロに入って、歌手になってお金も儲けてあげるから」とお父様と約束していたこともモチベーションにつながっていたのだと思います。
中学時代には学校に内緒でナイトクラブで歌ったり、歌のコンテストでグランプリを獲ることもあったのだとか。
引用元:日刊スポーツ
九州女子中学校九州女子高等学校に入学するも、1965年(当時16歳)に渡辺プロ九州支社から声がかかり、プロ歌手を目指すため上京と同時に駒沢学園女子高等学校へと転入されます。その後、渡辺プロと正式に契約しレッスンを開始します。
当時から抜群の歌唱力を持っていた高橋真梨子さんは、1966年(当時17歳)に選抜メンバーで結成されるグループ・スクールメイツとして芸能界デビューを果たします。上の画像はスクールメイツ時代の写真で、前列左から4番目が高橋真梨子さんです。
またその高い歌唱力を買われて、スカーレットという4人組コーラスグループにも選抜されますが、自身が思い描く歌手とは違い、グループ活動では自分の歌が歌えないと感じていた彼女は、1967年(当時18歳)高校卒業と同時に渡辺プロを脱退し、お母様が生活する博多に戻ります。
引用元:上:西日本新聞、下:日刊スポーツ
その後、数年間にわたって博多のライブハウスやディスコ、米軍クラブで歌を歌って過ごされていたそうです。そんな彼女の転機となったのは1972年(当時23歳)の時でした。いつも通りナイトクラブで歌っていたところ、当時ペドロ&カプリシャスでリーダーを務めていたペドロ梅村さんにスカウトされ、2代目ボーカルとして正式加入します。
当時は”高橋まり”として活動し、1973年(当時24歳)でリリースされた「ジョニィへの伝言」「五番街のマリー」は無国籍ソングとして大ヒットしました。翌年1974年(当時25歳)にはペドロ&カプリシャス初となる第25回NHK紅白歌合戦にも出場し、世間に広く知られるようになりました。
上の画像は1974年(当時25歳)頃の写真です。学生時代のショートヘアとは違い、髪を伸ばして大人っぽい雰囲気ですよね。
そして1978年(当時29歳)には、メンバーのヘンリー広瀬さんと共にペドロ&カプリシャスを脱退し、”高橋真梨子”としてソロ活動をスタートされます。
高橋真梨子さんはペドロ&カプリシャスで再度上京したんだよね?
そう!加入を機に再度上京したんだけど、正式加入と言っても当初は1年の約束だったみたいで、「ジョニィへの伝言」「五番街のマリー」リリース後、福岡に帰るつもりだったらしいの。でもその2曲が予想外の大ヒットで帰るに帰れなくなったんだって。
30代・40代(1979年~1999年)
引用元:Instagram
ソロ活動をスタートして1年後の1979年(当時30歳)には、自身初となる全国ツアーを開催します。上の投稿は1stソロツアーの時のものです。1979年に始まったこのコンサートツアーは2019年までの41年間、毎年開催され、2000人規模の大ホールで毎年25回以上の公演を行う日本の女性ソロ歌手は高橋真梨子さんのみだと言われています。
1980年(当時31歳)にリリースした3rdアルバム「Monologue」が10万枚セールスを記録するなど着実にソロ歌手としてのキャリアを積み上げていく中で、1982年(当時33歳)でリリースしたシングル「for you…」が第11回東京音楽祭で金賞を獲得し、多数のアーティストにカバーされるほど話題の曲となりました。
また、1984年(当時35歳)にリリースしたシングル「桃色吐息」は高橋真梨子さんの代表曲と言われるほどの大ヒットを記録しました。その後も数々のヒット曲を生み出し、ご自身でも作詞を担当されるなど実力派歌手としての地位を確立していきました。
引用元:TikTok
高橋真梨子さんがソロ活動を始めた当初は、コンサートツアーやレコーディングなどの音楽活動に重きを置いていたこともあって、メディア露出のほとんどを断っていたそうです。実際に「大晦日にスケジュールを拘束されたくない」との理由でNHK紅白歌合戦のオファーを断ったこともあったのだとか。
ですが、1984年(当時35歳)でリリースした「桃色吐息」の大ヒットを受けて、ソロとして初の紅白歌合戦への出場を果たします。上の映像は同年末に初めて第35回NHK紅白歌合戦に出場した時のものです。力強い歌声はもちろん、今ではあまり見ることのない独特な世界観も素敵ですよね!
高橋真梨子さんとしては、ペドロ&カプリシャスとして紅白歌合戦に初出場してから10年ぶりの2回目の出場となりました。
引用元:上:Instagram、下:Instagram
1993年(当時44歳)にはアメリカのカーネギー・ホールやイギリスのロイヤル・アルバート・ホールで公演を行い、高橋真梨子さんは世界的にも広く名前を知られるようになりました。
海外公演を行ったことで海外在住の日本人ファンからの支持を集め、その後、アメリカのカーネギー・ホールでは2008年(当時59歳)、2016年(当時67歳)にも公演を行い、3回以上の公演を行った唯一の日本人として海外でも話題になりました。上の投稿は1993年公演の時のものです。
「また、あそこで歌いたいっていうモチベーションもあるかな。」
後のインタビューでそうコメントしていた高橋真梨子さん。カーネギー・ホールでの公演はオープンチケットで行われたため当日まで不安との戦いがあったとお話しされていました。結果、会場は超満員で公演は大成功に終わりました。この公演が自信となり、そのほかの海外公演にも積極的になれたのだとか。
高橋真梨子さんはこの時も、年1回のアルバム制作とコンサートツアーを継続しており、コンサート公演回数は50回を超えていたそうです。かなり多忙な中での海外公演となったようですね。
引用元:ヤマハ音楽配信サイトmysound
1996年(当時47歳)にはシングル「ごめんね…」をリリースします。上の画像はシングル「ごめんね…」のジャケット写真です。
日本テレビ系「火曜サスペンス劇場」の主題歌として起用された本楽曲は、累計100万枚を売り上げ、オリコンチャートで47週連続でランクインするなど異例のロングセラーとなり、40代・50代の女性カラオケチャートで堂々の1位を獲得しました。「火曜サスペンス劇場」の視聴者層である中高年の主婦から高い人気を誇り、高橋真梨子さんのシングル楽曲の中では最大ヒットとなったそうです。
これ以降、清酒「白鶴」のCMへの出演や、化粧品ブランド「グレイスソフィーナ」のイメージキャラクターを務めるなど徐々にメディア露出も増えていきました。
高橋真梨子さんはメディア露出で時間が取られるのを嫌がるほど音楽活動に没頭してきて、かなりストイックだよね。
そうね。側から見ればかなりストイックだけど、ご本人はそうは思っていないみたい。「ストイックな方は他にもたくさんいる。いつになるかは分からないけど、いずれは辞めないといけない時が来るんだから」とインタビューで答えていたよ。その考え方からストイックな方だとわかるよね!
50代・60代(1999年~2019年)
引用元:上:日テレNEWS NNN、下:スポニチ
2013年(当時64歳)にはデビュー40周年を迎えた記念全国コンサートツアー「Premium 40 Forty」を開催されました。上の画像は埼玉・川口リリアメインホールと東京国際フォーラムで行われた公演の時のものです。
「40年続けてこられたのも皆様のおかげ」
1973年リリースのペドロ&カプリシャス「ジョニィへの伝言」から始まった本ツアーは、高橋真梨子さんの数々のヒット曲が披露され、彼女の華やかな衣装やステージに設置された40年という時を表すような大きな時計など40周年記念らしい演出が詰め込まれた公演となったそうです。
ちなみに高橋真梨子さんは、いつも11センチのヒールを履いてコンサートのステージに立っているそうです。
ただでさえ約2時間のステージで何十曲と歌唱されるわけですから、かなりの体力が必要となります。ご本人はインタビューでトレーニングは「全然してない。(笑)」とお話しされていましたが、見えないところで努力されているのでしょう。いつまでもお若く見えるのは高いプロ意識と努力の賜ですね!
引用元:日刊スポーツ
上の画像は、同年2013年(当時64歳)に第64回NHK紅白歌合戦出場された時のもので、ソロ活動を始めて29年ぶり2度目の出演となりました。本番組では、自身初となる紅組のトリを務め、代表曲「for you…」が披露されました。
その後も2015年(当時66歳)、2016年(当時67歳)にも同番組に出演し、高橋真梨子さんのヒット曲が披露されました。2016年出演時点の67歳9ヶ月という年齢は、NHK紅白歌合戦において紅組出場歌手の最年長記録となりました。
引用元:YouTube
2018年(当時69歳)にはデビュー45周年ツアー「MARIKO TAKAHASHI Concert vol.42 2018 Katharsis」が開催され、その千秋楽は高橋真梨子さんがソロ活動をスタートさせてから40周年の記念日に行われました。
「長いといえば長いんですけど、本人に言わせると”毎日毎日歌っているといつの間にか40年経っていた”、そんな印象みたいなんですけど」
そうお話しされていたヘンリー広瀬さん。高橋真梨子さんのすぐ隣でソロ活動をプロデューサーとして、夫として支えてこられたからこそわかる高橋真梨子さんの想いを代わりに話す場面もあったそうです。
高橋真梨子さんは長い活動期間の中で「辞めたい」と思ったことはあるのかな?
それは1度も無いそうよ!辞めようと思ったことはおろか、よぎったことすらないんだって。ご本人もインタビューで「ポリープとか病気で休まざるを得ない状態になったことはあっても、歌える状態なのに自分から辞めたいなんていう時は無いですね」とお話しされていたわ。
70代以上(2019年~)
引用元:上:SPICE、下:日刊スポーツ
2022年(当時73歳)には、毎年開催してきたソロコンサート全国ツアーの集大成となる「Mariko Takahashi Concert vol.44 2022 our Days-Last Date-」が開催されました。上の画像はステージに立つ高橋真梨子さんです。
「納得するステージを毎回継続していくことが年々厳しくなってきた」
2020年(当時71歳)にベストアルバム「髙橋千秋楽」をリリースし、それと同時に1979年からライフワークとして続けてこられたソロコンサートツアーを”卒業”することが発表されました。同年に開催予定だったコンサートツアーは、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、一時延期・中止を余儀なくされましたが、2022年に無事開催されました。
「今年で最後ですから。でもツアーが最後ってだけで全部が全部終わるわけではないんですよ。TVに出るかもしれないし東京でコンサートやるかもしれないし。」
歳を重ねて体力的にツアーが辛くなってきたとお話しされていた高橋真梨子さんですが、活動をやめるわけではなく、あくまで全国規模のツアーはラストであることを強調されていたそうです。
70歳を超えてもなお現役で最前線を走り続けてきた高橋真梨子さん。今後も全国あちこちで行う公演にも積極的に取り組んでいかれることをお話しされていました。
引用元:日刊スポーツ
今年(2024年・75歳)の年末には6度目となるNHK紅白歌合戦に出場されます。7年ぶりの出場となる今回は75歳9ヶ月での出場となり、高橋真梨子さんご自身が持つ紅組最年長記録を更新することになります。
出場者発表の会見でも「久しぶりにNHKホールのステージに立つことを楽しみにしています」と意気込みをお話しされていました。どんな華やかなステージになるのか、今から楽しみですね!
高橋真梨子さんの他にも史上初の70代出場者がいるんだよね?
イルカさんと天童よしみさんが高橋真梨子さんと共に紅組史上初となる70代での出場となるよ!
【画像】高橋真梨子は現在は激やせ?旦那との馴れ初めは?
高橋真梨子は現在は激やせ?
引用元:デイリースポーツ
引用元:デイリースポーツ
高橋真梨子さんは、2016年末に放送されたNHK紅白歌合戦で、以前よりも激痩せした姿で出場され視聴者からも心配の声が上がり、話題になっていました。
「体調がいいのは年に2回ぐらいしかないんです。いつもいつも調子が悪いんです」
プロデューサーであり、夫でもあるヘンリー広瀬さんによると、高橋真梨子さんのベスト体重は41キロぐらいだそうですが、2017年の年明けに放送された「中居正広の金曜日のスマイルたちへSP」にて体重が33キロを切っていることが明かされました。
体調が悪化した原因は”更年期障害”だそうで、1996年(当時47歳)頃に発症したのだとか。幼少期の複雑な家庭環境がトラウマとなりフラッシュバックする、やる気がなくなる、急に体が熱を持つホットフラッシュなどの症状が現れ、激痩せで話題となったNHK紅白歌合戦ではステージを降りた後、誰かに支えられないと歩くこともできないほどだったそうです。
原因が更年期障害だということはどうやってわかったの?
当初は高橋真梨子さんも更年期障害だとは思っていなかったらしいの。最初はめまいや手足の痺れ、汗などに悩まされ、当時のレコーディング時、今までに無い違和感を感じ病院に行ったところ発覚したんだって。たくさんの検査と症状への恐怖や不安でうつになったこともあったらしいよ。
高橋真梨子と旦那の馴れ初めは?
引用元:Instagram
引用元:上:Instagram、下:Instagram
高橋真梨子さんは1993年8月5日(当時44歳)にプロデューサーとしてソロ活動を支え続けてきたヘンリー広瀬さんとご結婚されました。
「最初はお互い大嫌いだった。」
高橋真梨子さんがペドロ&カプリシャス2代目ボーカルとして正式加入したことで出会ったお2人ですが、当初はお互いに印象が悪く大嫌いだったそうです。
高橋真梨子さんはヘンリー広瀬さんを”女たらしの嫌な男”と思っており、ヘンリー広瀬さんは高橋真梨子さんを”気が強くて生意気な女”と思っていたそうで、活動のためにヘンリー広瀬さんが高橋真梨子さんの送迎を担当していたくらいの関係性で、結婚するとは想像もしていなかったそうです。
「泣いてばかりいる私をなぐさめてくれた。その2年前に彼が離婚した時、私は人ごとみたいに見ていたのに…。」
お2人の関係性に変化があったのは1982年(当時33歳)でした。当時、高橋真梨子さんは大きな失恋を経験され、傷心で泣いてばかりいたそうです。そんな彼女を慰めたのがヘンリー広瀬さんだったのだとか。すぐに同棲を始めて周囲からのお膳立てもあり結婚を決めたそうです。
仕事仲間としても夫婦としても公私共にベストパートナーとして寄り添ってこられたお2人。高橋真梨子さんのSNSでも度々仲睦まじい様子が発信されています。
夫婦としても音楽活動としても長年連れ添ってきたお2人ならではのエピソードって?
これだけ長く音楽活動をしているとコンサートや番組などで歌い方やアレンジのバリエーションが多くて、普通なら調整にかなり時間をかけてしまうところでもお2人は息ぴったりで歌と曲がぴったり合うんだって。ご本人曰く「求めているフィーリングが合う」らしいよ!
高橋真梨子さんがデビューした1966年はこんな年だった!
引用元:上:航空安全推進連絡会議、中:YAHOO!JAPAN天気・災害、下:中日新聞
高橋真梨子さんがデビューした1966年は、「全日空機が羽田沖に墜落」、「長野県松代町・群発地震による地滑り発生」、「ビートルズ来日」などの出来事があり、話題となりました。
また、この年の流行語として、漫画「おそ松くん」の「シェー」や3人組お笑い芸人「てんぷくトリオ」の「びっくりしたなー、もう」などがあります。
高橋真梨子のプロフィール・SNS
引用元:朝日新聞DIGITAL
プロフィール
- 名前:高橋 真梨子(たかはし まりこ)
- 本名: 広瀬 まり子(ひろせ まりこ)(旧姓:高橋)
- 生年月日:1949年3月6日
- 年齢:75歳(2024年11月現在)
- 出身地:福岡県
- 血液型:A型
- 趣味:ゴルフ、スポーツ観戦
- 所属事務所:ザ・ミュージックス
SNS
- X(旧Twitter)スタッフアカウント URL:https://x.com/mariko36_staff
本日ヘンリーさん81回目のお誕生日🎂おめでとうございます🥂🎉
— まりスタ(髙橋真梨子スタッフ) (@mariko36_staff) November 16, 2024
明日、明後日は大阪公演。
ご来場の皆さまよろしくお願いします♬ pic.twitter.com/rmBMuAwV3R
- Instagram URL:https://www.instagram.com/mariko_takahashi_official/
- オフィシャルサイト URL:http://www.the-musix.com/mariko/top.html
- スペシャルサイトURL:https://www.jvcmusic.co.jp/-/Artist/A000950.html
高橋真梨子さんはゴルフが趣味なんだね?
そう!ゴルフはとにかく好きなようで、カーネギー・ホールでの公演に伴いインタビューを受けた際にも、公演のお話よりも「ニューヨークでするゴルフは最高!」とゴルフのお話を目を輝かせながらしていたらしいよ!