宝塚歌劇団花組のトップスターとして君臨し、その後も映画・ドラマで活躍を続けている真矢ミキさん。
2000年代に行われた好感度ランキングでも上位となることが多く、信頼感・安心感ある俳優さんであることがわかります。
今回はそんな真矢ミキさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】真矢ミキは若い頃イケメン!
宝塚歌劇団時代(1981年~1998年)
引用元URL:上:真矢ミキオフィシャルブログ、下:真矢ミキオフィシャルブログ
1979年15歳の時に宝塚音楽学校に入学し、1981年17歳の時、第67期生として宝塚歌劇団に入団した真矢ミキさん。
初舞台は宝塚大劇場での「宝塚春の踊り」「恋天狗」「ファースト・ラブ」でその後、花組に配属されます。その後、「メイフラワー」新人公演にて初主演を果たしました。上の画像は、入団2~3年目(19歳~20歳)の頃の真矢ミキさんです。ショートカット姿が良く似合っていますよね!
真矢ミキさんはトップスター入りする前は、通常、1度しか主演できない人も多い中で、新人公演で5度主演しており、相当期待されていたことが伺えます。下の画像は、新人公演を行っていた時期のものです。この時、イケメンとして出来上がっていますね!
花組時代
- 入団1年目(1981年17歳):「宝塚春の踊り」「恋天狗」「ファースト・ラブ」で初舞台後、花組に配属
- 入団3年目(1983年19歳):高汐巴トップお披露目公演「メイフラワー」の第2回新人公演にて初主演
- 入団5年目(1985年21歳):「愛があれば命は永遠に」新人公演にて2度目の主演、「テンダー・グリーン」新人公演にて3度目の主演
- 入団6年目(1986年22歳):「真紅なる海に祈りを」新人公演にて4度目の主演、バウホール公演「グッバイ・ペパーミントナイト」にて安寿ミラとW主演
- 入団7年目(1987年23歳):「遥かなる旅路の果てに」新人公演にて5度目の主演
- 入団9年目(1989年25歳):バウホール公演「硬派・坂本竜馬!」にて単独初主演
- 入団12年目(1992年28歳):バウホール公演「ドニエプルの赤い罌粟」にて3度目の主演
- 入団13年目(1993年29歳):バウホール公演「アップル・ツリー~三つの愛の物語~」で4度目の主演
※1992年~1995年までは2番手ながらトップである安寿ミラとほぼ同等な扱いを受けていた
引用元URL:上:阪急文化アーカイブス、下:楽天市場
1995年31歳の時、安寿ミラさんの退団を受け、花組トップスターに就任します。トップスターお披露目公演は「エデンの東」でした。通常トップスターへの就任は入団10~15年と言われており、入団15年目での就任は遅い部類にあたるそうです。
上の画像が、エデンの東の公演時のポスターです。下の画像は、1996年32歳の時の宝塚大劇場で行われた「ハウ・トゥー・サクシード」の公演の時のものです。メイクや髪型によって、色々な雰囲気の男前になり、キラキラしているように感じます。
引用元URL:上:阪急文化アーカイブス、中:楽天市場、下:楽天市場
1997年33歳の時に、「失われた楽園/サザンクロス・レビュー」「風と共に去りぬ」「ザッツ・レビュー」「ブルー・スワン」と立て続けに公演を行い成功を収めました。上の画像がブルースワン、中の画像がザッツ・レビューの時のものです。男役として色気を感じますし、心の強さのようなものを感じます!
下の画像は、1998年34歳の時、退団公演となった「SPEAKEASY/スナイパー」の時のものです。ワイルド感があって、眼光もするどく、また違った真矢さんを見たような気がします。
引用元:上:真矢ミキオフィシャルブログ、下:真矢ミキオフィシャルブログ
1998年34歳の退団の年に、つんく♂さんプロデュースによる日本武道館でのソロコンサートを開催、そして篠山紀信さん撮影による写真集の出版を行い、周囲を驚かせました。とにかく、かっこいいという言葉が相応しいですよね。
宝塚歌劇団の新人公演というのはどういうものなのかな?
宝塚大劇場および東京宝塚劇場で上演される演目を、宝塚歌劇団入団7年目までの出演者のみで上演する公演で、公演期間中、各劇場1回の上演するものなんだよ!若手の勉強の場であり、トップスターへの登竜門的な位置づけになるのかな。
30代・40代(宝塚歌劇団退団後)(1999年~2013年)
引用元:上:産経新聞、中:ORICON、下:ORICON
宝塚歌劇団を退団後は鳴り物入りで芸能界に入りましたが、4年半くらい仕事がない日々が続いたという真矢ミキさん。俳優として崖っぷちで挑んだ映画「踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!」のオーディションで警察官僚・沖田管理官役を掴み、ここから徐々に俳優としての道が開けていきます。この時、39歳でした。
ただ、このオーディションの採用理由が、”今回、無名の人でいきたかった”と聞かされた時は呆然としたそうです。宝塚歌劇団のトップでも世間一般でみればまだまだ知名度が低いということにショックを受けたのでしょうね。上の画像は、踊る大捜査線の製作発表の時のものです。
その後は、努力の甲斐もあり、コンスタントにドラマ・映画・CMなどのお仕事が舞い込んできます。2009年45歳の時には、日本ジュエリーベストドレッサー賞を受賞、2011年にはベストジーニスト2011協議会選出部門を受賞するなど、注目度が高まったことにより周囲からも俳優として認めるようになったことは言うまでもありませんね。
中の画像は、日本ジュエリーベストドレッサー賞を受賞した時のものです。また下の画像は、テレビ朝日系ドラマ「捜査地図の女」で連ドラ主演を果たした時のものです。2012年48歳の時でした。
真矢ミキさんが、4年半もお仕事が無かった時期があったなんて信じられないよね?芸能界は厳しいんだね。
背水の陣で挑んだ踊る大捜査線のオーディションでは、友人からリクルートスーツを借り、頭を夜会巻きにし、ピンヒールを履いたんだって!のちのち「会場にあなたが入ってきた途端、沖田そのものだった」」と言われたそうだから、やってきたことは間違ってなかったということだよね!
50代以降(2014年~)
引用元:上:真矢ミキオフィシャルブログ、下:Instagram
真矢ミキさんは、2015年51歳の時から、2019年55歳の時までTBS系朝のワイドショー・情報バラエティ「白熱ライブ ビビット」のMCを務めました。上の画像が、その時出演時の衣装の一つです。実はワンピースだそうですよ!50代とは思えない美しさですね。まさに美魔女です!
下のInstagramの投稿は、2019年55歳の時に、宝塚花月合同100 周年で千秋楽を終えた後の投稿です。この当時20数年ぶりに男役を演じ、さらに得たものがあったようです!これからも期待したいですよね!
そう言えば、真矢さんは、高等学校卒業程度認定試験を受けたんだよね?
そうなのよね!2017年に受験しているんだけど、見事合格!中学からそのまま宝塚音楽学校に入学しているから、肩書き上は中学卒業だったので、「人生の穴を埋めたかった」とのことよ!
真矢ミキさんが所属するオスカープロモーションは他に誰がいる?
引用元URL:オスカープロモーション
真矢ミキさんの所属するオスカープロモーションには、上戸彩さん、武井咲さん、藤田ニコルさんなど、錚々たるメンバーが揃った、大手芸能プロダクションです。
美女タレントのオスカーと業界では称され、「美の総合商社」と呼ばれており、「全日本国民的美少女コンテスト」などの大規模オーディションを開催し、所属タレントの発掘・宣伝にも積極的な企業です。
【画像】真矢ミキの旦那(夫)との馴れ初めや諦めない美容法は?
真矢ミキの旦那(夫)との馴れ初め
引用元URL:産経新聞
引用元URL:ORICONNEWS
真矢ミキさんは2008年に7歳年下のバレエダンサー西島数博さんと入籍、翌年にご両親と同じ明治神宮で式を挙げました。和装のお二人は新鮮で美しさが際立っていますよね。
そんなお二人の結婚のきっかけは共演で、長い間(10年程)性別を超えた友人関係だったそうです。「彼女の話とかも聞いてたし、相談に乗ってた」と真矢さんが以前番組で語っていました。
それが、恋愛に発展したのは「ある時、魔が差したんでしょうね。『付き合わない?』みたいになった時、友達として裏切りを感じて。今までの友達は何だったんだろう?って。変な日だった。複雑だったのは覚えてる」と、急に長年の友達関係からの変化があったことがきっかけと話していました。
元々、知り合う前から真矢さんは西島さんをテレビで見かけたことがあり「えらくフレンドリーで笑顔が多く、海外の人みたいだな」と良い印象を持っていたそうです。きっと、その頃から目に見えないご縁が繋がっていたのでしょうね。
プロポーズのシチュエーションやエピソードはどんな感じだったのかな?
西島さんからのプロポーズは庶民的な鉄板焼屋で受けたそうだよ!
でも、最初は野菜を炒めている音で真矢さんが聞き逃して、もう一度言ってもらったんだそうよ👀
真矢ミキの諦めない美容法は?
引用元URL:ORICONNEWS
真矢ミキさんは、2024年4月現在60歳ですが年齢を感じさせないほど若々しく、いつもお綺麗ですよね。「諦めないで!」のフレーズが印象的で49歳の時には『第7回アンチエイジング大賞』を受賞しています。そんな真矢ミキさんの美の秘訣はなんなのでしょうか?以下にまとめてみました。
①内からも外からも保湿
年齢を重ねるごとに肌の潤いが失われていくので、日頃から洗顔後や寝る前に化粧水をたっぷりつけようにしている。また食事の面からも、疲れていたり肌が乾燥していると感じた時には、水分を含んだ野菜などで栄養を摂り、お水もたっぷり飲んで、体全体に水分がいきわたるようにしている。
②姿勢を正す
宝塚時代からの流れもあって、基本背筋はいつも伸びている。どんなにキレイにメイクしても、背中が曲がった状態で歩いていたのでは、美しく見えない。
③生活スタイルを見直す
オンとオフは大切なので、四六時中気を張って生活しているわけではないが、肌のくすみが気になるなと感じたら、それは代謝が滞っているのかもしれないなと思い、部屋の掃除をして生活環境から循環をよくするようにしている。
④お酒を飲んだ翌日は戒めのデトックス
お酒を楽しんだ翌朝は、「飲んだら走れ!」と家の周りをランニングする。
「諦めないで」のフレーズは何のCMだったかな?
※0:55で真矢さんが「諦めないで」と言っています。
引用元URL:YouTube
「茶のしずく石鹸」のCMだったよ。「茶のしずく石鹼」の旧商品を使って小麦アレルギーを発症したという事件があって、びっくりしたよね。その後、男女20人が販売会社など3社に計約2億8千万円の損害賠償を求めた訴訟は2020年、大阪高裁で和解したそうだよ。
言葉自体はとてもいい言葉だったよね…
真矢ミキのプロフィール・SNS
引用元URL:ザテレビジョン
プロフィール
- 名前:真矢ミキ(まやみき)
- 本名: 西島美季(にしじまみき)
- 別名義:真矢みき(旧芸名)
- 生年月日:1964年1月31日
- 年齢:60歳(2024年4月現在>)
- 出身地:広島県広島市
- 血液型:O型
- 趣味:旅行、絵、登山
- 特技:歌、ダンス、日舞、バトン、作詞
- 配偶者:西島千博(2008年~ )
- 所属事務所:オスカープロモーション
SNS
- Instagram URL:https://www.instagram.com/mikimayaofficial/
- 公式ブログ URL:https://ameblo.jp/maya-miki-blog/
真矢ミキさんは元々宝塚に憧れて夢を実現した感じだよね?
いや、それがそうでもなくて、娘が生まれたら宝塚に入れようという頭だった母親の意向で、「母に納得してもらうというか、記念受験といったら大変失礼ですけど…」と母の思いをくんで受験したら、合格してしまったそうなのよ!「肩に力が入っていなかったのが可能性に見えて頂いたのかなと思います」と自己分析していたね!