女優としてキャリアをスタートさせ、現役時代は国民的キャラクターの声優として活躍し続けた大山のぶ代さん。
アニメ「ドラえもん」で26年間に渡り主人公・ドラえもんの声を担当し、唯一無二のドラ声として愛され続けました。2001年に病を患って以降、闘病しながら仕事を続けていましたが、2012年のアルツハイマー型認知症の発症を機に仕事をセーブして90歳を迎えた2024年9月29日老衰により亡くなりました。
今回は大山のぶ代さんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!
【画像】大山のぶ代は若い頃かわいい!
10代・20代(1943年~1963年)
引用元:X大山のぶ代さんは若い頃めちゃくちゃ美人だった pic.twitter.com/ul6xR9Zdmi
— シズ (@shizu7292) March 2, 2021
大山のぶ代さんは現在の東京都渋谷区出身で、曽祖父母までの4世代が同居する13人家族の末っ子として生まれました。幼少期から声を聞いた周囲の人が大山さんに注目するほど個性的な声を持っていましたが、大山さんご本人は特別気にしておらず、この頃はとてもおしゃべりな性格だったそうです。
それが変化したのは、大山さんが中学生の頃でした。同級生から「お前の声はおかしい」と指摘されたことで自分の声に嫌悪感を持ち、その時、初めて自分の個性的な声を自覚したのだそうです。この頃よく声をからかわれ、いじめにあったこともあり、だんだんと無口になっていったそうです。
「弱いところはうんと使いなさい。そうすれば強くなるのよ。」
最愛の母からそう勧められて、大山さんは放送研究部に入部します。周囲や教師からは反対にされながら、アナウンスやラジオドラマを放送していたそうです。「かわいい声の人ばかりだったから娘役以外、全て担当させてもらえた」と部活動が自分の声への自信につながり、その後、勧誘されたことをきっかけに演劇部に転部されました。
高校時代は演劇部と水泳部に入部しますが、母親の入院を機に退部します。高校2年生の時、母親が子宮がんで亡くなり、大山さんは手に職をつける為、演劇の道に進むことを決めます。上の投稿は1952年(当時19歳)の頃のものです。すごく美人ですよね!
引用元:使ってヨカッタオンライン
演劇の道を志し俳優座養成所に入所を決めたものの、「役者になるなら出て行け!」と父親から猛反対され、大山さんは1人暮らしを始めます。その後は、兄からの仕送りとアルバイトで生計を立てていたそうで、上の画像は1955年(当時22歳)の養成所時代のものです。
大山のぶ代さんは、1956年(当時23歳)にNHKドラマ「この瞳」で養成所に所属しながら女優デビューを果たし、翌年(1957年・当時24歳)には養成所を卒業します。劇団新人会に入団されます。
養成所の卒業公演を評価され、入団後すぐに多くのドラマやバラエティ番組で活躍します。同年に放送された「名犬ラッシー」では吹き替えを担当し、声優デビューを果たしました。
ちなみに、大山さんが所属していた俳優座養成所の同期には、水野久美さん、露口茂さん、井川比佐志さん、山本學さん、藤岡重慶さん、田中邦衛さんなどそうそうたるメンバーがいたのだとか。
引用元:X「ブーフーウー」の収録風景ですね。 RT @tokyo26: これが本当の若い頃の黒柳徹子。神田うのに似てる。左から大山のぶ代(ドラえもん)、三輪勝恵(パーマン)、永山一夫、黒柳徹子。 pic.twitter.com/pGLsU0oJ
— みやほ (@miyaho) November 29, 2012
引用元:instagram
1960年(当時27歳)には、NHK総合テレビで放送された人形劇「ブーフーウー」にブー役でレギュラー出演します。共演者にはパーマンで有名な声優・三輪勝恵さんや「徹子の部屋」でお馴染みのタレント・黒柳徹子さんなどがいらっしゃいました。上の投稿は当時の収録風景と黒柳徹子さんがinstagramに投稿した当時の写真です。
人形劇「ブーフーウー」はNHKの子ども向け番組「おかあさんといっしょ」の初代ぬいぐるみ人形劇で、1960年から6年半放送された人気コーナーです。
童話「3匹の子ぶた」に登場する子ぶたの3兄弟とオオカミの後日談を描いており、ぬいぐるみ・着ぐるみ・ギニョール(棒とピアノ線で操る人形)の3形態で斬新な演出で、当時の子ども達を魅了しました。
大山さんは本作の出演をきっかけに、声優のお仕事が増加していきました。
大山のぶ代さんと黒柳徹子さんはこの頃から親交があったの?
お2人はこの頃から多くの作品で共演し、親交が深かったそうよ!
黒柳徹子さんはinstagramの投稿で「美味しいお菓子とか珍しい食べ物をスタジオに持ってきてくれたり、私がお芝居をやってる時は、毎回大勢のお友達にチケットを販売してくれて、大山のぶよ団体様御一行という感じで劇場に観に来てくれました。」と大山さんの面倒見の良さを綴っていました。
30代・40代(1963年~1983年)
引用元:日刊スポーツ
1965年(当時32歳)にアニメ「ハッスルパンチ」で初主演をしてから「ハリスの旋風」や「無敵超人ザンボット3」など複数のアニメ作品で主演を務め、声優としてもどんどん知名度を上げていきました。
一方で女優として顔出しのお仕事も継続していた大山さん。1978年(当時45歳)にはNHKのコメディードラマ「コメディー公園通り」のシリーズに出演しました。上の画像はドラマ出演時のものです。いつも後ろに1つに束ねていた髪を下ろして新鮮なスタイリングですよね!
引用元:WEBザテレビジョン
引用元:産経ニュース
大山のぶ代さんのキャリアの中で外すことのできない作品が1979年(当時46歳)に放送が開始され、誰もが知っている国民的アニメ「ドラえもん」です。上の画像は台本を持ってマイクに向かう大山さんとアニメ「ドラえもん」第1話のワンシーンです。本作は自他ともに認める大山さんの代表作となりました。
当初、女優・役者をメインに考えていた大山さんにとって、ドラえもん=大山のぶ代という声優としてのイメージが浸透していったことに葛藤もあったそうです。
しかし、「ドラえもん」の原作者である藤子・F・不二雄さんが初めて大山さん演じるドラえもんの声を聞いた時「ドラえもんはこんな声をしていたのか」と言ってくれたことに感激し、「この声とは離れない」とドラえもんの声を守っていくことを決めたのだとか。
そして、本作の出演は大山さんを国民的声優へと押し上げ、翌年(1980年・当時47歳)に発売したレコード「ドラえもん音頭」は100万枚以上を売り上げ、ゴールドディスクを受賞しました。
この頃から大山のぶ代さんは本を出版しているよね?
そう!大山さんは料理が得意で、料理研究家としての一面も持っていて、共著も含めると20冊以上の料理本を出版しているよ!
50代・60代(1983年~2003年)
引用元:YouTube
上の映像は1993年(当時60歳)に、ドラえもん15周年を記念した特番が放送された時のものです。アニメに登場する”あの空き地”に大山さんをはじめ、メインキャラクターを演じる声優陣が登場し、キャラクターと対談をしました。
ドラえもんの秘密道具で欲しいのはという質問に「ビッグライトとスモールライト」と答えた大山さん。その理由は「冬物と夏物の入れ替えの時便利」というかなり実用的な理由で、ドラえもんにもツッコまれていました。真面目な大山さんらしい答えですよね!
そんな大山さんは”ドラえもんを守る”という責任感がとても強く、毎年公開していた劇場版に、ゲスト声優として起用された有名芸能人にも「あなた、この台本、ちゃんと読んでいるの!?」プロとして厳しく接していたそうで、国民的アニメの座長という立場もあり、仕事にはかなりストイックに望んでいたそうです。
引用元:YAHOO!JAPANニュース
「あたしね、ガンなんだって。やっぱり……」
大山のぶ代さんは、2001年(当時68歳)に直腸がんの診断を受けます。大山さんは高校2年生の時、当時42歳だった母親を子宮がんで亡くしており、自分もいつかがんになるだろうと思っていたそうです。
診断を受けて入院を余儀なくされた大山のぶ代さんは、その時点で自分が担当していた全ての役を降板することを決めます。しかし、「ドラえもん」だけはスタッフの強い希望もあり降板せず、病室に機材を持ち込んだり、スタジオに駆けつけるなど、闘病しながらアフレコを続けたそうです。それだけ大山さんにとって「ドラえもん」という作品が大きな存在だったということなのでしょう。
「22年間、ずーっと同じ仲間でやってきたでしょ。だから、あたしだけが、どこかに行っちゃうなんてできない、できるわけないって。そう思ったら、『ガンになんて、負けないぞ!』って急に勇気が湧いてきたの」
病室にも「ドラえもん」のぬいぐるみを持ち込んでいた大山さん。密かに思い悩んできた”がん”への不安が現実のものとなり、押しつぶされそうだった彼女の心を支えたのも「ドラえもん」の存在で、その後のインタビューでは、長年「ドラえもん」を演じてきた大山さんには「自然と「ドラえもん」の励ましの声が聞こえてくる」と答えていました。
その後、手術を受けますが、すぐに完全復帰とはいかず入院生活は長期に渡りました。続投していた「ドラえもん」の収録は大山さんの体調を考慮しながら行われたのだそうで、上の画像は2003年収録時のものです。
大山のぶ代さんはどうやって直腸がんが発覚したの?
夫・砂川啓介さんと結婚3年目から恒例行事になっていた人間ドックで発覚したそうよ!「病院は病気になってから行くところでなく、これからは予防が大事」と年1回受けていて、60歳を超えてからが年2回に増やしていたんだって。だから早期発見できて、その後、仕事に復帰できたんだね。
70代・80代以上(2003年~)
引用元:スポニチ
引用元:YouTube
「私にもしもの事があれば、大切なドラえもんが傷ついてしまう。今が引き際かな、と決意しました。」
長い入院生活と並行して行ってきた「ドラえもん」の収録でしたが、2005年(当時72歳)に降板することを決意されます。
「ドラえもん」は2004年に25周年を迎え、長寿番組となったと同時に声優陣の高齢化が問題視されるようになったそうで、視聴者である子どもにとって「亡くなって交代というのはどうなのだろう」という制作スタッフの想いもあって、スタッフも含めたキャストの入れ替えが検討されました。
直腸がんで入院して「ドラえもん」以外、全ての役を降板した際、大山さん1人だけ降板することはスタッフに引き止められ続投していたことで、入れ替えの話が出た時、大山さんは「もっと私できます。まだやりたい!」と続投に意欲的だったのだとか。
しかし、番組の未来のために作画監督や音響をはじめ、メインキャスト全員が入れ替えとなるという話を受けて、大山さんも受け入れたそうです。
その後は「遠い未来までずっとずっとみんなに愛される『ドラえもん』であってほしい」とインタビューでコメントしてました。上の画像は最後の収録時に撮られた写真と、収録時の映像です。
「ドラえもん」役の後任は水田わさびさんに決まり、現在では大山のぶ代さんが望んだ通り、「ドラえもん」として多くの方に愛されています。
引用元:産経ニュース
「ドラえもん」降板後、テレビ・ラジオなどタレントとしての活動を中心に、グルメバラエティ番組「元祖!でぶや」のナレーションなど、声優としても活躍されました。
2007年(当時74歳)には、音響芸術専門学校の校長に就任され、カリキュラム編成から声優・アナウンス専門課程の授業を大山さん自ら担当し、数多くの生徒に直接指導を行いました。
当初は「(校長なんて)私には向いていないから無理」と断っていたという大山さん。しかし、最近の言葉の乱れを知って、「どんどん”言葉の遺産”がなくなっちゃうぞ」と思い、後輩の育成のため校長就任を決めたのだそうです。上の画像は2006年に校長就任に関してインタビューを受けた時のものです。
しかし、校長就任の翌年(2008年・当時75歳)に、また大山さんは病魔に襲われます。ある日の授業準備中、体調が悪かった大山さんはマネージャー・小林さんと共に病院に向かったそうです。診断結果は脳梗塞で緊急入院となりました。当時、夫・砂川啓介さんも病院に泊まり込み、大山さんには治療のために拘束衣をつけられるほど深刻な状況だったそうです。
引用元:スポニチ
2ヶ月の入院と自宅療養、リハビリを経て、2009年(当時76歳)には、若い頃から親交があった黒柳徹子さんの冠番組「徹子の部屋」で仕事復帰を果たします。上の画像はその時撮られたものです。元気そうなお姿ですよね!
しかし夫・砂川啓介さんはこの時期の大山さんの様子に違和感を持っていたそうです。突然怒り出したり、記憶がすっぽり抜け落ちていたり、物忘れが多くなったりしたようで、当初は脳梗塞の後遺症と思われました。実際、大山さんには言葉が出にくい、ボタンを掛け違えるなど後遺症と思われる症状も出ていたそうです。
セーブしながら仕事を続ける中で、その症状が気になり病院を受診したところ、2012年(当時79歳)にアルツハイマー型認知症と診断されます。当初は「ドラえもんや彼女のイメージを崩す」として公表はされませんでした。
ですが、「このまま隠すことは辛い」と2015年(当時82歳)にラジオにて公表されました。公表に関して話し合いを重ねたことも公表されたことも忘れていた大山さんは、のちに砂川さんが出演した「徹子の部屋」を見て公表を自覚されたそうです。
大山のぶ代さんはこの後、2017年(当時84歳)に夫である砂川啓介さんと亡くしているよね?その頃どんな様子だったのかな?
砂川さんは2016年に尿管がんを患い、在宅介護だった大山さんは、それを機に老人ホームに入所したの。亡くなった時もマネージャーをしていた小林明子さんと葬儀に向かい、喪主を務める予定だったみたいだけど砂川さんの顔を見てすぐ出ていってしまったらしいの。でもお線香をあげ砂川さんの顔をみると涙ぐんでいたそうだから、砂川さんのことはしっかり憶えていたみたいね。
【画像】大山のぶ代と旦那の馴れ初めは?子供はいる?晩年の様子は?
大山のぶ代と旦那の馴れ初めは?子供はいる?
引用元:日刊スポーツ
引用元:デイリー新潮
大山のぶ代さんは1964年2月(当時30歳)に初代体操のお兄さんである、砂川啓介さんと結婚されました。
お2人が出会いは舞台「孫悟空」でした。当時、共にNHK「おかあさんといっしょ」のレギュラー出演していましたが、それぞれの出演コーナーが違っていたこともあり番組内で特に共演もなく、お互い面識もなかったそうです。
舞台「孫悟空」に出演した時、大山さんは楽屋に挨拶に来た砂川さんを出前のお蕎麦屋さんだと勘違いしていたなんてエピソードもあるくらい、当初は交際に発展するとは思っていなかったのだとか。
そんなお2人が交際を意識したのは、ドライブに出かけた際、不良に絡まれる少年を助けたことがきっかけでした。絡まれる少年を見つけたお2人は、即興で田舎から出てきた若い夫婦を演じ、不良に道を尋ねているすきに少年を逃しました。それをきっかけに「実生活でもエチュード(即興芝居)ができるんじゃあ……」と感じて交際・結婚を意識したのだそうです。
結婚直後の1965年(当時32歳)に第1子となる男の子を妊娠の発覚します。しかし、お2人にお子さんはいません。どういうこと?と思うかもしれませんが、妊娠7ヶ月を迎えた頃、破水し慌てて病院に向かうも間に合わず、死産してしまったそうです。
その7年後、1971年(当時38歳)に再び妊娠が分かります。2度目の妊娠では女の子を授かり、大山さんは「今度こそ無事に、元気な子を産みたい」と言っていたそうですが、妊娠7ヶ月を過ぎた頃、心臓と肺に先天性の疾患を持った未熟児として生まれ、生後3ヶ月で亡くなりました。当時、大山さんは「次に妊娠したら母体が危ない」と医者に告げられ、かなり落ち込んでいたのだそうです。
大山のぶ代さんは、2度もお子さんを失い、かなりショックだったと思うけれど、どうやって乗り越えたのかな?
無類の麻雀好きとして知られていた大山のぶ代さんは、芸能界にも多くの麻雀仲間がいて、毎日のように麻雀をしていたの。
お子さんを失って落ち込んでいた時も、芸能界の麻雀仲間が毎日のように麻雀に誘っていたんだって!
過去にはテレビ番組で、美空ひばりさんや水谷豊さん、おりも政夫さんと麻雀仲間であることを明かしていたよ。
大山のぶ代の晩年の様子は?
引用元:週刊女性PRIME
引用元:スポニチ、楽天市場
認知症を公表した当時は、直前の出来事を覚えていない、得意だったはずの料理ができない、などの症状が出ていたものの、台本は読むことができて声優としての仕事も続けていました。
しかし、介護のストレスから、夫である砂川啓介さんにも大きく負担がかかり、胃ガンや肺気腫、帯状疱疹を患いました。それでも、砂川さんは大山さんを介護施設に預ける気がなかったのは、「一人でボーッとする時間が増えれば、もっと認知症が進んでしまう恐れだってある。」という考えからだったのだとか。
そんな大山さんが、老人ホームに入所したのは2016年(当時83歳)のことでした。砂川さんが尿管ガンを患い、治療に専念するためだったそうです。
入所当時は簡単な会話やピアノの先生が弾いた楽曲に合わせて歌を歌ったりできていたようです。晩年は、だんだんと会話も難しくなっていきました。亡くなる直前には発熱と貧血で入退院を繰り返し、大山のぶ代さんは2024年9月29日、享年90歳で老衰により亡くなりました。
夫・砂川さんが亡くなった後は誰が大山さんを支えていたの?
それは、大山さんのマネージャーをしていた小林明子さんよ。大山さんを現役時代から最期まで支え続け、砂川さんには「マネージャーというよりケアマネだね」と言われていたそう。また、お2人からの信頼もかなり厚かったんだって。
大山のぶ代のプロフィール・SNS
引用元:テレ朝news
プロフィール
- 名前:大山 のぶ代(おおやま のぶよ)
- 本名:山下 羨代(やました のぶよ)
- 生年月日:1933年10月16日
- 年齢:享年90歳(2024年9月29日)
- 出身地:東京都
- 血液型:O型
- 趣味:麻雀、たばこ、ゴルフ
- 特技:料理、アーケードゲーム「アルカノイド」
- 所属事務所:アクターズ・セブン
著書
エッセイ
- 1984年:私のおもしろ人生 心豊かに生きてみませんか
- 2006年・2011年:ぼく、ドラえもんでした。涙と笑いの26年うちあけ話
料理本
- 1981年:大山のぶ代のおもしろ酒肴 アッとおどろく美味珍味
- 1982年:大山のぶ代のおもしろ酒肴 アッとおどろく美味珍味 パート2
- 1982年:夕食ばんざい
- 1983年:夕食ばんざい 第2巻
- 1983年:大山のぶ代のなんと2分間クッキング おもしろ酒肴アットホーム編
- 1984年・1986年:大山のぶ代の新おもしろ酒肴塾
- 1984年:大山のぶ代の今夜の酒肴この一品 最新オリジナル酒肴 決定版130選
- 1985年:大山のぶ代の料理朝一番
- 1985年:大山のぶ代の料理朝一番 パート2
- 1991年:嫁と姑の面白クッキング
- 1992年:大山のぶ代のうちの味うちのおかず 嫁と姑の面白クッキング
- 1995年:おかずのアイデア180
- 2000年:大山のぶ代の毎日のおかず 安い!簡単!おいしい!そして体によい!
- 2002年:パッとできるおもしろ料理ブック イラストが楽しい!
料理本(共著)
- 1984年:大山のぶ代の水なんだ!?
- 1986年:はじめての料理ヒント あなたも今日からお料理自慢
- 1988年:啓介・のぶ代のおもしろ惣菜170 不意の来客、家計のピンチに安くてうまいスピード料理
- 1991年:啓介・のぶ代のおもしろ酒肴 5~25分お待たせタイムつき
- 1992年:魚を食べる健康法 おいしく簡単! すぐれた効用とらくらくメニュー
- 1996年:おいしい店めぐり 味よし値段よし 日本全国穴場案内
- 2002年:おさかな博士の新・魚を食べる健康法 優れた効能、らくらくメニュー
大山のぶ代さんがアーケードゲーム「アルカノイド」が特技になったきっかけって何なのかな?
1988年に空港や駅の待ち合わせの時、暇つぶしとして始めたのがきっかけみたいね。それからは、仕事で地方に行く度ゲームセンターを巡ってやっていたそうで、ご自身の別荘にも置くほど好きだったんだって。
その実力は全国でも5本の指に入るほどで、生前複数のバラエティ番組でも腕前を披露していたの。
認知症の診断後は別荘の売却と同時に”ゲーセンミカド”に寄贈して、現在も稼働しているよ!