【画像】甲本ヒロトは若い頃から天才!嫁との馴れ初めは?弟は俳優のあの人!

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シンガーソングライターで「ザ・クロマニヨンズ」のボーカルとしてで活躍を続けている甲本ヒロトさん。

「THE BLUE HEARTS」「↑THE HIGH-LOWS↓」のボーカルでした。

今回は甲本ヒロトさんの若い頃を振り返り、現在の活躍に至るまでの変遷をお届けいたします!

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目次
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【画像】甲本ヒロトは若い頃から天才!

10代(1973年~1983年)

引用元:X

甲本ヒロトさんは、1980年ロックバンド「ラウンド・アバウト」に加入し岡山で活動をはじめました。1976年頃に結成したバンド「ペガサス」というバンドが改名した後に亀山哲彦さんに誘われてボーカルとして加入しました。

「ラウンド・アバウト」は、いくつかのオリジナル楽曲と、ザ・キンクス、ザ・ローリング・ストーンズ、セックス・ピストルズなどのカバー曲を演奏するローカルバンドとして精力的に活動していました。地元のラジオ番組に出演したこともあります。ですが、1982年頃に解散してしまいます。

上の画像は1980年(当時17歳)の時のものです。2枚目の画像の真ん中の方が甲本ヒロトさんです。くせっ毛と微笑みが自然体で安心感がありますよね!

ギモンくん

甲本ヒロトさんは、どうしてボーカルとしてバンドに加入したのかな?

カイケツさん

それは、中学時代、セックス・ピストルズやマンフレッド・マンに衝撃を受け、ロックンローラーになりたかったみたいよ!
シド・ヴィシャスの影響で元々はベーシストに憧れていたときもあったみたいだけど、ベーシストだったらどうなっていたかも気になるわね。

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20代(1983年~1993年)

引用元:X

そして、10代から20代に差し掛かる1982年から1984年まで「THE COATS」を結成していました。THE COATS時代の甲本ヒロトさんは、マイクにしがみついて歌っていました。そしてバンドは、オリジナル曲だけでなく、ビートルズ、ザ・フー、オーティス・レディングなどの楽曲のコピーをしていたと言います。

上の画像は1984年(当時20歳)の時のものです。印象的な目つきと、にやりと笑ったその顔から、少し悪戯っぽさを感じますよね!

引用元:YouTube

1980年代前半、甲本ヒロトさんと真島昌利さん、河口純之助さんの3人は「Traditional」というセッションバンドを行いました。1984年11月11日(当時21歳)に「ロードサイド・ロッカーズ」というイベントで原宿の歩行者天国にてライブをしました。

1985年1月からそれぞれのバンドを解散したり脱退したりした真島昌利さんと、甲本ヒロトさんたちは、本気でバンド結成のことについて考えるようになりました。そうして1985年2月に、真島昌利さんと甲本ヒロトさんの2人を中心として「THE BLUE HEARTS」を結成し、1984年4月(当時22歳)に、「THE BLUE HEARTS」の初ライブを行いました。

上の動画は1987年(当時24歳)リンダリンダでメジャーデビューした時のものです。きりっとした眉と鋭い瞳が印象的で、精悍な顔つきですよね!

引用元:YouTube

「THE BLUE HEARTS」はパンクらしい力強い歌、そしてメッセージ性の強い文学的な歌詞が特徴です。代表曲は「リンダリンダ」、「TRAIN-TRAIN」、「情熱の薔薇」などがあります。叫ぶように、メッセージ性のある曲を、激しいパフォーマンスをしながらの歌唱は多くの人の心をとらえて離しません。

全盛期を知らない世代の人でも「THE BLUE HEARTS」の歌は一曲は知っているでしょう。上の画像は1990年(当時27歳)の時のものです。少し見づらい部分もありますが、視線の強さから迫力を感じますよね!

ギモンくん

甲本ヒロトさんにとって、ロックってどういうものなのかな?

カイケツさん

世の中にいろんな価値観が出尽くして、最後にその全ての価値観が外れちゃった人がいたとする。そいつにとって最後に残された可能性がロックみたいよ!

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30代(1993年~2003年)

引用元:YouTube

大人気バンドだった「THE BLUE HEARTS」ですが、メンバーの河口純之助さんが宗教に没頭し、スタッフ等を勧誘するなど問題を起こし解散したといわれています。当初は解散ではなく、甲本ヒロトさんがバンドを抜けるつもりだったらしいです。

しかし、メンバーひとりひとりと話し合い、甲本ヒロトさんが抜けるなら活動休止にしようということになったそうです。上の画像は1993年(当時30歳)の時のものです。画像が荒いですが、鼻筋が美しく通っており、優しい瞳から穏やかな雰囲気がありますよね!

引用元:YouTube

「THE BLUE HEARTS」が活動休止した後、甲本ヒロトさんと真島昌利さんを中心に「↑THE HIGH-LOWS↓」を結成しました。しかし、2005年11月に活動休止を発表しました。活動休止の理由について真島昌利さんが「バンドが活気を失った感じがした。」と発言しています。

上の画像は1999年(当時36歳)「ハスキー(欲望という名の戦車)」の歌唱シーンです。端正な顔立ちに鋭い眼差しが印象的で、その凛とした表情から繰り出される独特の歌声が素敵ですよね!

ギモンくん

甲本ヒロトさんは、「THE BLUE HEARTS」を解散したと言っているのかな?

カイケツさん

それは、バンドを続けるにはある程度の演奏技術が必要で、「THE BLUE HEARTS」のメンバーでは出せないという理由から、解散になったみたいよ!

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40代以上(2003年~)

引用元:YouTube

「ザ・クロマニヨンズ」は2006年7月(当時43歳)に甲本ヒロトさんと真島昌利さんを中心に結成されました。

2005年11月に活動休止を発表した「↑THE HIGH-LOWS↓」の真島昌利さんが甲本ヒロトさんにバンド結成を持ちかけ、2人と仕事、プライベートで「THE BLUE HEARTS」時代から親交のあるレコーディング・エンジニアの川口聡の紹介により、小林勝さん、桐田勝治さんが加わって「ザ・クロマニヨンズ」が結成されました。

上の画像は2007年(当時44歳)の時のものです。力強い眼差しと迫力に満ちた表情から歌声が印象深いですよね!

甲本ヒロトさん
引用元:47NEWS

「ザ・クロマニヨンズ」は、2024年2月には17th アルバム「HEY! WONDER」を発売し、2024年2月16日から6月15日までツアーを開催していました。2007年に急性疾患に罹ったり、2017年にバイクで転倒し鎖骨、肋骨を骨折することもありました。体調面では色んなことが起こっていたのですね・・・

2024年現在61歳の甲本ヒロトさんはバンド活動を始めて約40年が経過しましたが、若い頃から変わらないエネルギッシュな姿をこれからも見ていきたいものです。

上の画像は2023年(当時60歳)の時のものです。通った鼻筋と少し歪んだ口元が独特の個性を感じさせ、往年のロッカーとして今でも君臨し続けています。

ギモンくん

甲本ヒロトさんは、たくさんの歌詞を書いてこられたけど、どうやって歌を作ってきたのかな?

カイケツさん

ニュースからいろいろなことが耳に入ることはあるけれど、そこから曲にしようとは思わないみたい。今の世の中に生きる人が歌を作ったらこんなのかできましたというのでいいみたいよ!楽しいことがやりたいみたい!それでたくさんの人を魅了しているのは素敵よね。

甲本ヒロトさんが所属する”HAPPY SONG”には他に誰が所属してる?

引用元:ザ・クロマニヨンズ

甲本ヒロトさんの所属するHAPPY SONGは、ザ・クロマニヨンズのみが所属しています。

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【画像】甲本ヒロトと嫁の馴れ初めは?弟は俳優のあの人!

甲本ヒロトと嫁の馴れ初めは?

引用元:中日新聞
引用元:X
引用元:X

甲本ヒロトさんと奥様の馴れ初めについては、多くが明かされていないものの、いくつかの情報から、二人が岡山操山高校の同級生であり、高校時代にお付き合いを始めたことがわかっています。卒業後、一度別れた時期もあったそうですが再び心を通わせ、2000年頃に結婚したと言われています。

甲本さんのプライベートは非常に謎に包まれており、家庭に関する情報はほとんど公開されていません。SNS上でも結婚していることを知らない人が多いほどです。それでも、長年連れ添う夫婦の関係は今も変わらず良好で、外出時に仲睦まじい姿が目撃されることもあります。また、一人娘がいるという噂もありますが、娘に関する詳細は明かされておらず、その存在自体も不確かです。

音楽シーンでカリスマ的な存在感を放ち続ける一方で、穏やかで温かい家庭を築いている甲本ヒロトさん。そのギャップが彼の魅力をさらに引き立てています。音楽と愛、どちらにも情熱を注ぐ彼の生き様に、これからも目が離せません!

ギモンくん

甲本ヒロトさんが奥さんと一緒に出かけてるのが見られたって話があったけど、どんな感じだったのかな?

カイケツさん

アメリカのドーナツ店『クリスピー・クリーム・ドーナツ』が日本に上陸したときに二人でその店に行ったらしいんだよね。他にも、服を一緒に買いに行ってるのも目撃されたことがあるんだって!長年付き合ってても、仲良しで羨ましいね!

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甲本ヒロトの弟は俳優のあの人!

引用元:ナタリー

日本のロックシーンを語る上で、甲本ヒロトさんの名前を外すことはできません。甲本ヒロトさんは「ザ・ブルーハーツ」のボーカリストとして、1980年代後半から1990年代にかけて一世を風靡し、「リンダリンダ」や「TRAIN-TRAIN」など、誰もが一度は耳にしたことのある名曲を生み出しました。その音楽は今でも多くの人々に愛されており、まさに日本の音楽史に名を刻んだ存在です。そんな甲本ヒロトさんには、別の分野で大成功を収めている弟がいます。

引用元:サンスポ

彼の名前は俳優の甲本雅裕さん。名前を聞いてピンと来なくても、顔を見れば「あ、この人知ってる!」と感じる方も多いでしょう。

甲本雅裕さんは映画やテレビドラマで幅広い役柄をこなす名バイプレーヤーとして知られており、映画『シン・ゴジラ』や『踊る大捜査線』シリーズなど、数々のヒット作に出演しています。上の写真は、NHK大河ドラマ『どうする家康』で夏目広次役を演じた際のものです。特に渋い役や父親役を得意とし、その重厚で深みのある演技は、多くの視聴者を魅了してきました。

甲本ヒロトさんが音楽で、甲本雅裕さんが演技と、それぞれ異なる道を歩んできた兄弟ですが、どちらも日本のエンターテイメント界には欠かせない存在です。お二人のキャリアを知ることで、日本の音楽や映画、ドラマをより一層楽しむことができるかもしれません。

次に映画やドラマで甲本雅裕さんを見かけたときには、あの伝説のロッカー・甲本ヒロトさんの弟だということを思い出してみてください。その瞬間、彼甲本雅裕さんの演技にさらに惹きつけられるかもしれませんね!

ギモンくん

甲本雅裕さんが俳優になった背景って、どうしてなんだろう?ヒロトさんとの関係性でなにか影響を与えたことはあるのかな?

カイケツさん

甲本雅裕さんは大学で普通に勉強していたんだけど、そこで演劇に興味を持ち始めたことがきっかけで、俳優としての道を進み始めたみたい。
兄弟の間で影響を与え合ってる部分はあると思うけど、演技の世界での成功は、雅裕さん自身の努力と才能が大きいんじゃないかな!
ただ、ヒロトさんの存在が、雅裕さんに「自分も頑張ろう」という刺激を与えたのは間違いないと思う!

甲本ヒロトさんがデビューした1980年はこんな年だった!

引用元:上:日刊スポーツ、中:日刊スポーツ、下:ミドルエッジ

甲本ヒロトさんがデビューした1980年は、「ジョン・レノン銃殺事件」、「山口百恵さんが引退を表明」、「一億円拾得事件」などの出来事があり、話題となりました。

また、この年の流行語(大賞)は「カラスの勝手でしょ 」で志村けんさんが受賞しました。

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甲本ヒロトのプロフィール・SNS

引用元:PR TIMES

プロフィール

  • 名前:甲本ヒロト(こうもと ひろと)
  • 本名:甲本浩人
  • 生年月日:1963年3月17日
  • 年齢:61歳(2024年9月現在)
  • 出身地:岡山県
  • 血液型:O型
  • 所属事務所:(有)HAPPY SONG
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SNS

  • 関連書籍

・2007年:「日曜日よりの使者の詩―甲本ヒロト全詞集」

・2010年:「ジャパニーズ・ロックインタビュー集」

・2020年:陣野俊史「ザ・ブルーハーツ」

ギモンくん

甲本ヒロトさんはなんでSNSをやっていないのかな?

カイケツさん

昔からあんまり自分の私生活などを公にしないタイプみたい。
音楽を通して表現することがメインだから、わざわざSNSで自分のことを発信する必要がないんじゃないかな?
インタビューでも「リアルなコミュニケーションを大切にしてる」って言ってたみたいで、直接会って話したり、ライブでファンとつながることを重視してるんだろうね!
SNSってどうしても画面越しになるから、甲本ヒロトさんにとってはあまり魅力的じゃないのかも!

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